23 距離感がおかしい東宮さま
「椿餅と言えば、まだあなたが女童のころにここへ来た時も、どこかの身分の高そうな若君と、最後のひとつを取り合ったことがありましたね。あなたは、『姫様に差し上げるんです』の一点張りで譲らなくて」
「……そんなことありましたっけ?」
「ありましたよ」
身分の高い相手に対して、幼い松緒も向こう見ずな真似をしたものだ。
「あなたってば、男顔負けの勢いで、お相手と言い争っていましたよ。よほど椿餅を横からとられそうになったのが悔しかったのでしょうね。『先に買ったのは、この松緒です。身分が高いからと、横から掠めようというのなら道理が通りません。道理が通らないことを上の者がしていたら、下の者もそれでいいのだと思いますよ、そうなれば国もゆくゆくは乱れます、それでよろしいか!?』って!」
相模は口元を押さえて笑いをかみ殺している。
松緒は、昔の自分の大げさないいように顔から火が出るような思いだった。そして、そんなこともあったな、というほんのりとした記憶は蘇ってきた。
「結局、お相手の若君がよくよく物のわかった方でよかったということです。最後の方には感心なさった様子で松緒の言葉に頷かれていましたね。その後、松緒を手招きして、何かを言っていたようでしたが……そういえば、何と言われたの?」
あれは随分前の出来事だし、今なら笑い話になるだろう。
「たわいもない童の戯言ですよ。『気に入ったから妻になれ』と。あの時は本当に腹の立つ言い方だったのです」
松緒にとっては、偉そうな坊ちゃんが偉そうに命令してきたぞ、みたいな認識だったのだ。
「『姫様がいるから、無理です!』と言ってやりましたよ。どこぞの坊ちゃんかわかりませんが、人を馬鹿にした感じだったので」
なんだろう、思い出したら昔のことなのに、まだ腹が立ってきた。
「松緒。もし相手が本気だったら気の毒すぎますよ。若君の純心が粉々に砕け散ったかもしれませんよ」
「まったくだ。忘れられない傷をつけられて、他の女など見えなくなってしまったかもしれない」
男の声がしたと思えば、木陰に立っていた松緒の背後に影が差す。
正面の相模が、ぽっかりと口を開けたまま、わなわなと震えだす。
後宮で取次の役目をしている彼女には、相手がだれかすぐにわかったのだ。
「あ、あなたさまは……!」
「相模よ。この場で俺の名を口にしてはならぬぞ」
相模が反射的に自分の口元を押さえた。
松緒は振り向き、濃い紫の狩衣姿の相手に、低い声で問う。
「どうしてこちらに?」
「『約束』したはずだ。寺で落ち合うと」
「しかし、場所と時刻は曖昧だったかと思いますが」
ふいに笠から垂れた布がすくうように持ち上げられた。
東宮からは、松緒自身の顔が見えているだろう。松緒は視線をそらして、東宮の手を払った。
「いいじゃないか。顔が見たい」
「見世物ではありませんので」
「命じてもだめか」
「お忍びの身に何の権力がございましょう」
「たしかに」
――それで納得するのね。
東宮は妙に引き下がりがよいところがあった。
「松緒。その椿餅をくれないか」
唐突に東宮が松緒の手にある包みを指さして告げた。相模と話し込んでいたので食べる時を逃していたのだ。
「は? まだそこで売っているでしょう?」
「いや。おれにはその椿餅を食う権利があると思うぞ」
「は? 何を言っているんですか」
「ひとつまるごとは食いきれないから、半分食べてくれ」
間食を気にする女子みたいなことを言い始めた。
引き下がる様子もないため、めんどくさくなった松緒は、仕方なくその場で包みをあけて、椿餅を半分に千切る。
「どうぞ」
「助かる」
なぜか東宮は椿餅を差し出す松緒の肘のあたりを持ち、自分の口元に餅を持った手を持ってくると……そのままぱくりと食べてしまった。
――何をしているの、この人!
椿餅は大きいので松緒の指が口に触れることはなかったものの、危なかった。
東宮との距離感が先日の一件以来、おかしくなっている。色香で松緒を篭絡するつもりなのだろうか。東宮なのに。
この一連のやりとりを眺めていた相模は、魂が抜けたように呆然としていた。あとで事情を説明しなければならないだろうが、とりあえず魂を後で戻しておかなければ。
「姫様!」
そこへたつきが手を挙げながら駆けてきた。それを一瞥した東宮は、松緒の手を掴む。
「腹ごしらえもできたし、では約束通り、行こうか」
松緒は観念して目を瞑った。
不思議そうに立ち止まったたつきに叫んでおく。
「あとで寺で落ち合いましょう。先に相模と向かっていてください! ついでにどうにか相模の魂も戻しておいてください!」
たつきの返事も聞かず、松緒は東宮に連行されたのだった。




