9 船の街ラヴァンダール(1)
テンペランティア達の迎えは来ないらしい。セルペンスが加護の力でテンペランティアの手当てをしている間、祐理は野営の支度をしていた。ラズトラウトは哨戒中だ。
エデンに来たばかりのころは右往左往していた祐理だが、最近はすっかり野宿も板についてきた……ような気がする。焚火の中央では小さな爆ぜ響くは断末魔が燃えている。どうやらこの牛の像の中は空洞になっているようなので、それを利用して料理を作った。今日の食事は(ラズトラウトが狩ってきた)鳥のローストと野菜のエチュベで、中々豪華な出来だ。
「あんたらも食べるかー?」
少し離れたところにいるセルペンス達に声をかける。テンペランティアがびくりと顔を上げたが、一向に立ち上がろうとしない。祐理を見つめるその眼差しには怯えの色が混じっていた。
(それもそうか。自分の足潰した奴と仲良くメシなんて食えねぇよな)
一応少女達の分も作ってみたのだが、この分だと無駄になってしまいそうだ。エペーに与えれば消費してくれるだろうか。
そんなことを考えながら自分とラズトラウト、そしてエペーの分の料理をよそる。しばらくエペーには隠れてもらっていたが、こっそり与えるぐらいならバレないだろう。バレないと信じたい。
「ただいま。この辺りは安全そうだよ。……いい匂いだな。おいしそうだ」
「おかえりラズさん。ちょうどよかった、食べようぜ」
夜の闇に紛れてぬっと出てくる黒甲冑にも慣れたものだ。爆ぜ響くは断末魔の前に座ったラズトラウトに料理を盛った皿を渡し、永久の闇の緋き檻の中にも同じものを置く。すると、こっそりエペーが出てきた。
「のう、儂はいつまでこうしてればいいんじゃ? 亜獣のふりをしとれば見咎められないじゃろ?」
「もしものことがあるだろ。偉い聖職者なんだから、あんたが神だって知ってるかもしれねぇし」
「むぅ……」
そう諭すと、エペーは不承不承といった様子で縮こまった。
祐理が爆ぜ響くは断末魔の前に戻ると、ちょうどセルペンスが近づいてきた。
「食べるか?」
「いや、そこまで世話になるわけには、」
凛々しい女騎士然としたたたずまいは、腹の虫で台無しになる。顔を赤らめるセルペンスに、祐理は皿を差し出した。
「あの聖女サマの分も持ってけよ。あんたらは捕虜みたいなもんだ、だったら俺らがちゃんと世話しないとだろ? 安心しろよ、毒とか入ってないからさ」
「……かたじけない。では、食後に少し話をさせてください」
セルペンスは深く頭を下げた。料理を手に戻っていく彼女を見送るのもそこそこに、祐理は夕飯に手をつける。我ながら美味しい。
「なあ、ユーリ。これからのことなんだけど」
器用に食事をするラズトラウトの手がふと止まった。
「もしも僕が黒の聖者の予言通りカティーシスを殺してしまったら、僕を『魔女名鑑』に封印してくれないか」
「ラズさん、だけど、」
「それが最適なんだ。相手が強ければ強いほど、殺さないよう手加減するのは難しい。気を抜けば自分が殺されてしまうから。……言っただろう、カティーシスは強かったって。奴との戦いが白熱すればするほど、僕は自分を抑えきれないかもしれない。だけど君が魔女を封印してくれるなら、僕も全力で戦える。堕ちる心配をしなくてもいいからね」
黒騎士の静謐な声には確かな覚悟が宿っていた。それを無下にすることなど誰にもできない――――だが。
「もともと僕の命運は、“紅き森”で尽きていたんだ。あそこでラフェミアに殺されるか、それともラフェミアを殺して魔女になるかの二択しかなかった。ユーリがいてくれたから、人のまま生き続けることができただけだ。それなら、ここで魔女になっても構わないだろう?」
「いいや、そんなのごめんだね。だってそれって、結局テンペランティアの言った通りってことだろ? あいつの予見した未来の通りになるなんてまっぴらだ」
祐理はロゴスを信奉する聖職者が嫌いだ。彼らの頂点に立つ聖者の言いなりになるなどもってのほかだった。だからこそ、そんな悲壮な決意は蹴っ飛ばす。
「皇帝陛下が言ってたじゃねぇか。俺と一緒に世界を旅して、すべての魔女を狩れって。その期待に応えてこその騎士なんじゃねぇの? なのに三人目の魔女で失敗して、挙句自分が魔女になるなんて……ラズさんは、それに耐え切れんのか?」
「それは……」
ラズトラウトが掲げる誇りを盾にする。案の定、ラズトラウトは声を詰まらせた。
「カティーシスがなんで【災厄の魔女】になったのかは、教会がもみ消したんだろ? だから、俺がどれだけ主張してもラズさんだって悪い魔女扱いされるに決まってる。仮にラズさんが魔女だって知られなくても……急にいなくなったラズさんのことを、逃げただとか途中で死んだとか勝手に噂するぞ。それでいいのかよ。そういうのが嫌だったから、今のラズさんがあるんじゃねぇの?」
「ッ……!」
「だから、これからそういうことを言うのは禁止な。ラズさんには最後まで俺らに付き合ってもらわねぇと。俺とエペーだけじゃ絶対やってけないからさ」
「ああ……そうだな、僕が悪かった。もうそんなことを考えるのはやめにしよう」
兜の下でラズトラウトは微笑を浮かべているのだろう。彼を思いとどまらせることができてよかった。
食事もひと段落すると、空の皿を手にしたセルペンスがやってくる。片づけを手伝いながら、彼女はおもむろに口を開いた。
「先の話の続きをさせていただきたい。我々はこれからラヴァンダールに向かうつもりなのですが……お二人の目的地も、そこなのでしょう?」
「……なんでもお見通しってわけか」
「ラヴァンダールの街を訪れるお二人の姿を、姫様が視ただけにございます」
セルペンスの態度はすっかりしおらしいものになっている。紫の言葉は視えなかった。
「よろしければ、我々も同行させてくださいませんか? もともと“狩人”の抹殺については、教会の中でも上層部しか知らぬこと。黒の聖者と勇者である我々が共にいれば、少なくともこの黒の領域において不自由はさせません。……他の聖者様がたと勇者達にも、我々から口添えさせていただきましょう」
「それで君達に何の利点がある?」
尋ねるラズトラウトの声はまだ険しい。セルペンスは沈痛な面持ちでラズトラウトに視線を移した。
「【災厄の魔女】の誕生は、黒の大聖堂きっての醜聞です。魔女狩りの英雄を魔女に仕立て上げ、あまつさえ真の魔女として覚醒めさせてしまうなど……。三百年に及ぶこの過ちを、清算する時が来たのです。【災厄の魔女】の終焉に我々が立ち会うことこそ、道理というものでは?」
「綺麗事だな。確かにあんたは、嘘は言ってねぇ……でも、それだけが理由ってわけじゃねぇだろ?」
裕理が見ているのは、黙したままのテンペランティアだった。
裕理達からは少し離れたところにたたずむ彼女は、裕理の視線に気づいて諦めたように歩み寄る。彼女は、言葉を詰まらせたセルペンスに代わって祐理の前に立った。
「ユーリと言いましたね? 認めましょう。確かにランティ達は、お前達には魔女を屠る力があるとみなしているのです。どうやって魔女化せずに【幸福の魔女】を倒したかはわかりませんが……それでもお前達は、次代の英雄です」
蒼い顔で精一杯厳かに振る舞おうとするその少女は、わずかに震えていた。それだけ裕理と相対することに強い恐怖を刻み込まれているのだろう。罪悪感でざわめく心を鎮め、裕理は彼女の次の言葉を待った。
「だからこそ、ランティ達が同行しなければいけません。率直に言いましょう。【災厄の魔女】を討伐した暁には、その手柄をすべて教会に譲りなさい」
「なっ……! 何言ってんだよあんた!?」
「それで黒の大聖堂の名誉は保たれ、教会の威信は回復します。お前達も、二度と教会に命を狙われることはないでしょう。黒の魔女を倒したのが黒の大聖堂の人間だと広まれば、黄の魔女を倒したのもまた黄の大聖堂の人間なのだと人々は思うはずですから」
「……なるほど、合理的ではある。合理的かつ……僕達の意見をはなから無視した、殿上人だからこそできる独善的な提案だ」
取り繕った傲慢を掲げるテンペランティアを、ラズトラウトは皮肉げに評した。
テンペランティアの立場からしてみれば、最大限の譲歩と勇気なのだろう。それでも、なんて勝手な提案なのだと思わずにはいられない。
確かに裕理達の安全は保障され、大聖堂関係者から目をつけられる可能性もぐんと低くなる。しかしそれでは、ロゴスを守る信仰の鎧をはがせない。魔女を倒した教会に喝采が集まるなど論外だった。
「決まりだな。あんたらは連れていけない。あんたらと一緒にいたら、俺らの目的が果たせないんだ。怪我させたのは悪かったって思ってるけどさ。……他のお偉いさん達にも伝えといてくれよ。これ以上俺らの邪魔をする気なら、今度はお前らが怪我する番だって。次は、怪我じゃ済まねぇかもしれねぇけど」
「……いいでしょう。せっかく切った啖呵ですが、伝えたところでお前達が【災厄の魔女】に殺されたらなんの意味もないですけどね?」
テンペランティアはむっとしたように眉根を寄せる。それでも放った嫌味は虚勢にしか聞こえなかった。
「ラズさん、朝イチでここを発とう。どうせこいつらは俺らの目的地を知ってるから、こそこそしてたって仕方ない。夜のうちに休んどこうぜ」
「そうだね。まっすぐラヴァンダールに向かって、【災厄の魔女】を封印しよう。そのためにも英気を養わないと」
祐理とラズトラウト、テンペランティアとセルペンス。一生理解し合えることのない二組は、互いに離れたところで眠りについた。
* * *
念のため自分達の周りに『審問大全』から取り出した罠を大量に仕掛けておいたが、特に作動することなく朝を迎えた。若干拍子抜けだが、威圧感しかない拷問器具の数々が抑止力になったのかもしれない。あるいはテンペランティア達も、闇討ちされることだけ警戒していたのだろう。
打ち合わせ通り、裕理達はすぐに野営地を発った。テンペランティア達はまだ眠っている。追ってくるにせよこのまま大聖堂に帰るにせよ、彼女達が起きるまでの猶予はあるだろう。
きびきび動くラズトラウトをしり目に、あくび交じりに永遠の闇の緋き檻に乗り込む。寝惚け眼の主人とは対照的に、疾走する大逆の禍風は力強く駆け出した。
「ようやく儂も出てこれるのう。まったく、息苦しかったわい」
「おつかれー」
エペーがリュックの中からもぞもぞ出てきた。遠くなる野営地を眺めながら、エペーはうかがうように切り出した。
「あのテンペランティアとかいう小娘の誘いじゃが、袖にしてよかったのか? 黄の魔女に次いで黒の魔女まで封じれば、これから先はより教会からの妨害が苛烈になるぞ。青の魔女がすでに儂らの手中にあると知られれば……」
「避けて通れない道だろ、そんなの。聖職者が怖くてカミサマに喧嘩売れるかよ」
「それもそうじゃの。ま、何が来てもいなしてしまえば問題ないか」
能天気なエペーの様子に苦笑が漏れる。だが、エペーの言う通りだ。祐理にはラズトラウトがいて『審問大全』もあるし、条件さえ揃えば『魔女名鑑』で魔女達を使役することもできる。ラフェミアの強さは、ロゴスの放った楽園の騎士の守り手と戦った時によくわかった。戦力としては十分だ。
魔女を仲間として扱っていれば“狩人”も人類の敵として数えられてしまうかもしれないが、気づかれないようにしていれば大丈夫だろう。そもそも、大抵の荒事は『審問大全』でなんとかできそうなので、聖職者とはいえ対人間戦で魔女の力は不要かもしれないが。
それからどれだけ進んだろう。森を抜けていくつかの町を通り、潮風を感じるころにはすっかり日も暮れていた。祐理達の前には白亜の壁がそびえている。外壁越しでも伝わる活気が、壁の向こうに大きな街があると教えてくれていた。
「着いた。ここが“船の街”、ラヴァンダールだ。ラヴァンダールは自由都市連盟フィガの中心都市の一つで、領域内外の国に向かう船が出ているはずだよ。カティーシスを封印したら、船に乗って別の領域に向かうのもいいかもしれない」
「だな。えっと……赤の領域だけは、海に囲まれてるんだよな? 航路しか使えないなら、ここから赤の領域に行ったほうが早いか?」
頭の中にアルカディアの地図を頭の中に思い描く。領域ごとに色分けされていたため、絵としては覚えやすかった。黄の領域を中心に、最北の緑の領域から(厳密にはだいぶ歪んでいるが)時計回りに白、青、紫、黒の領域。西側には赤の領域の島々が海の上に浮んでいる。
一見内陸に見える黄の領域だが、実は領域に切れ目があって海が存在していた。しかし大陸を囲む海のほとんどは赤の領域に数えられるらしい。黄の領域と赤の領域だけは、すべての領域に接しているというわけだ。ラヴァンダールから船に乗れば、どこかの島には着くだろう。
「ああ。ただ問題は、赤の領域に座す【震悚の魔女】が黒の領域の海域と空域で略奪行為を働いていることかな。ラヴァンダールの船乗り達も魔女の傘下の賊を恐れて、アヒアマー行きの船を出すのをやめている可能性がある。ことと次第によっては、他の領域から行ったほうがいいかもしれない。空路と海路、どちらがいいか考えておいてくれ」
「空路? そういや、ベルクディールが乗った飛空艦がどうのって黄の聖者の爺さんが言ってたな」
「船には渡海船と飛空船の二種類があるんだよ。赤の領域の軍隊は、軍とは名ばかりの海賊と空賊でね。……【震悚の魔女】は海からも空からも赤の領域を支配しているんだ。その魔の手は他の領域にも及んでる」
「ふぅん……」
ようは船旅か飛行機か、という話だろう。飛行機のほうが地形が見渡せていいかもしれない。それに飛行機のほうが速そうだ。
「とはいえ、まずはカティーシスを封印しないとね。さあ、行こうか」
「ああ。夜明けまでには終わらせてぇよな」
自分達の勝利を疑ってはいけない。負けるイメージは必要ない。自分かラズトラウトが新しい魔女に為るなんて考えてはいけない。【災厄の魔女】こそ自分達の末路であると、認めてはいけない。自分にそう言い聞かせ、祐理は何でもないように笑った。




