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「私も、それに賛成だな」
だから少女が目を覚ました時、真広の心は躍った。
もっとも、死にかけていた人間が突然目を覚まし、あまつさえ腕を握ってくるなどと言うことをしてくれたせいで、別の意味でも心が弾んだが。
「ぬおぉ!」
ついでに、思い切り間抜けな声を上げて、その場で物理的にも思い切り飛び上がってしまった。しかしそれも無理からぬことだ。あの状況で突然声をかけられれば、誰だってそうなる。その証拠に、真広以外の全員も、一様に目をひんむいて口を半開きにした顔のまま固まっている。
「おおう!?」
もう一つおまけに、真広がいきなり飛び上がったせいで腕をつかんだ少女の方まで驚いている。
飛び上がった衝撃で少女の腕を振りほどいた真広は、床の上に帰還すると、胸に手を当てて呼吸を整える。驚きすぎたせいか、心臓が痛い。突然のことに目は少女にくぎ付けになるが、頭が真っ白になり、どうしていいのかわからなくなる。口が言葉を発しようと小さく開いたり閉じたりを繰り返すが、肺が空気を送り出すことを拒んでしまっている。しかしそれも当然だろう。この状況で、「大丈夫ですか」とか、「こんにちは。私の名前は霊螺子真広です」とか、「やあ、美人のお姉さん。お加減はよろしいですか」とか言える方がどうかしている。
しばらくの間、誰も一言も発しない。真広たちも少女も、お互いにどう言葉を継げばいいのかわからない。おかげで妙な沈黙だけが流れて、少女に対して声をかけるタイミングを失う真広。いや、真広だけではない。全員が、言葉を繰り出すタイミングを見失っていた。
「えー……」
それでも頑張って何か言おうとして見る真広だが、声になったのはこれだけだった。脳みその中で未だに正気を保っている部分が、名前を聞くとか、何とかあるだろうが! と全力で行動を動かすが、体の方はストライキを継続するばかりで全く働いてくれない。
「いたたたた」
そんな中、気を使ったのか能天気なのか、場の空気を断ち切るように、少女が腕の痛みにあえぎながら身を起こす。しかし、座るだけの体力がないのか、少女は上半身を起こしたところでよろめき、壁に背中を預けてしまう。腕の傷口からは、動くたびに血が玉になり、シーツを汚す。恐る恐ると言った感じで少女は傷の様子を確認すると、やっぱりかという風に大きくため息をつく。
少女は肩から目を放すと、次は部屋の中を見回し始める。何がそんなに珍しいというのか。少女の眼は、まるで博物館で古物を見るように、好奇心に輝いている。しかもそれはただ骨董品を眺めているということではなく、目が覚めたら、展示品に混じってガラスケースの中に自分が入っていたとか、きっとそんな感じの視線だ。その一方で、少女の顔と視線の中に含まれているものは、好奇心や能天気さ、ましてや空気の読めなさだけではないように真広には感じられた。
そこに含まれているのは、慎重に事態を探る知性だ。目が覚めたら見知らぬ場所にいたが、そこはどこか? もしかしたら、自分は目指していたものに到達したのではないか? 真広は自分が読み取ったのは、興奮しつつも状況を冷静に分析する気配のような気がした。
真広の頭が次第に落ち着きを取り戻し、少女に対して改めて声をかけようとしたとき、沈黙を破って少女の方から真広に話しかけてくる。たまたま少女の一番近くに居たせいで、少女は真広に真っ直ぐ視線を向けてくる。真広に戻したその視線には、今までの興奮に代わって強い確信と若干の不安が宿っている。
「ここは、どこだ?」
「えー……どこって、農業区にある俺の家だけど?」
この場合、これでは答えになっていないだろうと自分で自分に突っ込みを入れる真広。だがいつの間にやら少女の瞳が発する圧力に呑まれてしまっていたらしく、取り繕う言葉がうまく出てこない。
「いや、そういうことではなくて……ん、どう言ったものか」
案の定、少女は難しい顔をして考え込み始めてしまう。
「えっとね、ここは農業区の駅から三百mくらい街の中心に行ったところにある家で、今しゃべってたのが持ち主ね。あなたは、なぜだかしらないけど、道に倒れてて、それでどうするか迷ったんだけど、この家に連れてきてとりあえず包帯を巻いて……」
持前のポジティブさでいち早く正気に戻ったクシャナが、真広に代わって説明を引き継ぐ。
「あー、いや、違うんだ」
少女は、少し焦った様子で、クシャナの言葉を強引に切ってしまう。
「こう、どう言えばいいのか……と、待て。だから、私が聞きたいのは、ここは死の丘なのか?」
「「「「……は?」」」」
一同、それだけ口にすると固まってしまう。ホワイト・ゾーンなどという名前、聞いたことが無い。そもそも、この街には、名前がない。ドームに納まっている街全体に対してもそうだし、街を構成する各区画についてもそうだ。一部の特殊な区画――農業区など――を除いて、一区、二区と言った風に、数字で呼ばれている。街全体の名前に関しては、かつてはあったらしいが、名前を使う機会そのものが無く今は忘れ去られてしまい、誰も知らない。名前なんてものは、名乗る相手があってこそなのだ。人類最後にして唯一の砦であるこの街は、名乗る相手を持たない。だから、ホワイト・ゾーンなどという変な名称は、聞いたこともないし、そもそも必要がない。だが、少女の方こそその名前が通じないことが不思議であったらしく、
「はい?」
信じられない、という声が返ってくる。
「あの、申し訳ないけれども、ホワイト・ゾーンなんて名前、俺は、知らないぞ」
一文節ずつ、確かめるようにして言う真広に対して、ベッドの上の少女が食ってかかる。
「いや、冗談だろう! ホワイト・ゾーンはホワイト・ゾーンだ! そうでなければ、滅びの地とか、ネストとか、これならどうだ?」
どうだ、と言われても、解らないものは解らない。
少女が助けを求めるように他の面々を見回すが、当然そんな名前を知っている人間がいる訳がない。全員、視線をそらしてしまう。
「うそ、だろう?」
途端に、少女の顔が真っ青になる。名前を知らないことの、何が問題なのだろうか。
「なあ、ここは、ホワイト・ゾーンなんだろう?」
まるで、溺れる者がただ一本の藁に縋りつくように、一本だけ残った腕で懸命に真広の服を掴む。
「ちょ、え?」
少女の重さに引きずられてよろめく真広。目の前の少女の表情は必死そのものだが、真広には理由が解らない。解らないから、どう扱えばいいのかも解らない。とりあえず、少女が床に落ちないように支えるだけ支えるが、相手はそれにすら気づかない。
「だから……くそ!」
頭が混乱しているらしく、同じ言葉を繰り返そうとするが、ようやくそれでは無駄だと気付いたらしく、何を言いたいのかを必死に悦明し始める。
「ここは……そうだ! コンクリートで囲まれた、巨大な壁で、死を運ぶ神が管理している世界なんだろう? ええい、これでもダメか? どの言葉が失われているのかなんて、私にはわからないぞ!」
「確かに、マキナが管理する世界ではあるけど……」
少女の言葉の内容は、変な質問であることには間違いないが、普段であれば自信をもって答えられるものだ。しかし、あれほど妙な態度と変な言い回しを見せつけられた後では、はいそうです、とは答えられなかった。それに、少女の口にしたデウス・エウス・マキナと言う単語には、何か普通とは違う響きが含まれているような気がしたのだ。
「そ、そうか」
真広の言葉をきいた瞬間、少女が安心したようにベッドにへたり込む。
「ここは、デウス・エウス・マキナの統べる土地で、ロボットが働く場所だな?」
「たぶん?」
変な聞かれ方をしたせいで、語尾が疑問形になってしまった。
「はあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー」
だが少女はそんなことは全く聞いておらず、上がってしまった真広の語尾にかぶせるように盛大なため息を吐き、その場で溶けてしまう。もちろん実際に溶けてしまう訳はいのだが、そうとしか表現できないほど一気に、少女の体から力と緊張が抜けた。少女は、ベッドの上でスライム宜しくでろんと伸びきってしまう。そして、心底嬉しそうに笑う。それはもう、ニタニタと信じられないほどとびっきりの笑顔で。
これはもしかして、拾ってきてはいけないものを拾ってきたのではないだろうか。具体的に言うと、精神に問題を抱えていらっしゃる方とか。
己の判断が間違っていたのではないかと不安になった真広が助けを求めるために視線を動かすと、いつの間にか他の面々が近くに集まってきていた。
「おい真広、これどうするんだよ。拾ってきて、本当によかったのか?」
「いや、大丈夫、だと、思うけど?」
イリックの言葉に対して、自信を持って返せない。
「兄様、あの、普通の救急車は来てくれませんでしたが、黄色い救急車なら、すぐに来て下さるかもしれませんよ?」
「いやいや、それは都市伝説だから。すでに番号を押そうとしてるけど、かけても来るのは普通の救急車だからな」
「それでもお呼びした方がいいのではないですか? その、すぐに鎮静剤の投与が必要だと思います」
「んー。でも、さっき呼んでもこなかったじゃない。それに、放っておけば伊織ちゃんの望み通りに、死ぬんじゃない。あの人」
「そうかもしれませんけど、人を見捨てるのは少し……て、変なこと言わないでくださいクシャナさん」
「なっはっはっはっは! 悪ふざけはさておき、どうするの真広? 連れてきたのは、真広なんだから責任持ってどうするか決めなよ」
「責任持ってと言われても……一応聞くけど、イリックはどう思う?」
「さてな。まだよくわからないな」
「だと思ったよ。
俺は、もう少しだけ、様子を見ても、良いんじゃないかと思うぞ。変と言えば変だけど、今すぐ害があるようには……」
「くぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
見えない、という言葉は、突然部屋中に響き渡った少女の声に飲み込まれた。今度は何が起きたのかと、真広たちの視線が一斉にベッドに突き刺さる。いつの間にか、少女はベッドの上でうずくまっていた。一瞬、どこか体調でも悪くしたのだろうかと思った真広だが、すぐに違うことに気づく。体の隙間から見える少女の横顔に浮かんでいるのは苦痛の色ではなく、どこからどう見ても喜びの色だったからだ。その様子は、前人未到で到達不可能と言われていた秘境に初めて踏み入った探検家のような、望外のという言葉がこの上なく似つかわしい笑顔だった。その喜びは間もなくして体の方にまで浸透したらしく、次は何をする気なのかと困惑して見ている真広たちの前で、少女はロケットのように飛び上がった。
「やっっっったぁ! 私はついに、やり遂げたんだ! 何が絶対に無理、だ! これで、開花の旅の初期目的完了じゃないか!」
感極まった少女は、言葉の最後にベッドの上で飛び上がる。それはもう、見事としか言いようのない素晴らしい跳躍だった。しかし、ベッドの上というただでさえ天井との距離が近く、かつ足元には大量のスプリングが入っている場所でそんなことをすれば、
「うごぅ!」
天井に頭をぶつけるのは当然の帰結であり、あまりの衝撃で舞い上がった天井の埃と共に、少女はつつがなくベッドに帰還する。いや、天井に強かに頭を打っているせいでまた伸びてしまったので無事ではないかもしれないが、そこはそれ。ひとまず、ベッドの上でうつ伏せに伸びている少女に近寄る真広。
「あー……大丈夫、ですか?」
唐突に飛び上がった理由とか、何か聞きなれない単語を口にしてなかったかとか、他にもっと聞くべきことがあるだろうと自分で自分に突っ込みを入れる真広だが、言葉がこれしか出てこないのだからしょうがない。しょうがないと真広は思うのだが、どうやら他の人はそうは思ってくれないらしく、これ以上の被害が出る前にこの奇人をさっさとどうにかしろと言う視線がとても痛い。少女は少女で、糸の切れた人形のように、指先一つ動かさない。またもや変な沈黙が部屋の中を埋めてしまう。数秒間誰も何も話さない。




