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キリ  作者: P.N.なの
鏡に映った……
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7.「あたし、なにしてんだろ」


 お祭りの後のあの気だるさ。それが彼女、キリの今の心境だった。


 初めて部屋に人を入れ、初めて男の人と一緒にご飯を食べ、初めて会話しながらの食事をし、そしてちょっと怒られて……。午前中だけでいろいろあった。


 それで、その人はまた自分の当たり前の生活に戻るため、この部屋を出ていってしまった。キリもいつもの一人の生活に戻る。


 当たり前だけど、当たり前だったことだけど、当たり前じゃ無いことがあっただけに今が当たり前に感じられずに……。


 そして……初めて、鏡に映った自分がいて……。


「そうだ、鏡!」


 ヒロを送り出してからも、しばらく暗い玄関で扉を内側から見つめていた。が、キリは急に思い出した。


「鏡! 鏡!」


 誰も見ていないが、ちょっとスキップしながら喜びを表現しながら洗面所に行く。気だるさをかき消すための自分に見せる演技。キリはいつのまにか、それが癖になっている。一人暮らしをしていると誰でも独り言は増えるものだ。それがちょっとオーバーになっただけ。


 キリはやっぱり鏡の前、自分の姿が映りこむ手前で一度止まる。


「大丈夫、大丈夫。そう、慎重に」


 そう言ってゆっくり鏡の前に手を差し出す。でも、映るはずのギリギリのところから手が進まなくなる。そしてまたその手を戻す。しかし、またギリギリまで進める。


「ふう」


 一つため息。そして再びゆっくり手を進める。今度は鏡に映るはずのところまで進めることが出来た。しかし、いつの間にかキリの目は閉じていた。ぎゅっと閉じている。


 そのまま十秒。


 我に返るキリ。


「あたし、なにしてんだろ」


 ちょっと自分に呆れた感じでボソッと言う。今度は肩でため息。しばらく肩を落としたまま静止。


 そして次の瞬間。


    バッ


 パジャマの布がはためく音。そしてそれに続いて、


「っしゃあ!」


 キリはその瞬間『グリコ』の様な万歳ガッツポーズをする女の子を鏡に見た。


 そう、映っている。鏡に映っている。やっぱり映っている。物心付いた時から鏡に映らなかった。十八になるまで鏡で自分を見たこと無かった。その彼女がその鏡の中にもいる。


「ふふふ」


 笑わずにはいられない。楽しまずにはいられない。なんと言っても自分の声に合わせて口を動かす女の子が鏡の中にいるのだ。自分の思った通りに手足を動かす女の子が鏡の向こうにいるのだ。


 そして関心もする。


「あたしも雑誌やTVで見る女の子と同じなんだぁ」


 変な関心かも知れない。キリも自分でそう思う。それがまたおかしい。


「ははは」


 笑いながら、初めての自分の姿を見ながら髪をとかすことにしてみた。その時、キリは一つのことに気が付いた。


「あ、鏡の中のあたし、もしかして左利き? ふーん、変な感じだ」


 髪をとかしているが、キリの髪の毛は短くサラッとしているので、鏡を見てやっても見なくても、結果は変わらない。しかし、キリは鏡を見ながらとかしてちょっと上機嫌。


「うん、よし!」


 時計を見るとすっかり昼。朝が遅かったので、お腹は空いていない。


 きっと今日からはまた違う生活が始まる。ちょっとずつ変わっていくだろう自分の期待していなかった未来に、牛乳パックで一人乾杯してみた。これが今日の昼ご飯になった。いつもながら手抜き、そしてバランスの良くないメニューだ。


「ふふ。鏡に映っても、これは、変わんないなぁ」


 そう笑い、そうぼやきながら、直に床に置いてある背の低い棚から引っ張り出してきたのは持ち運びには不便な大きさの重いノートPCと、ペンタブレットだ。


 台所のカウンターにくっつけて置いてあるテーブルにそのノートPCを置く。……置こうとした時、ヒロが食事した時、跳ねた醤油の染みが一つ見えた。確かにここでヒロが食事をしたんだ、という証拠。


「ふふ」


 なぜか笑みがこぼれる。テーブルの端なので問題はないから……なのか、その染みはそのままほったまま、キリはノートPCを置いた。


 ノートPCを開ける。大きな液晶画面が現れる。電源を入れ起動するまでの時間で、必要書類を同じ棚に置いてあったバインダから取り出す。手慣れている。


 そして椅子にすわる。パジャマの両袖をまくりあげ、そこにあったクリップで留めると、ちょうどノートPCの起動が完了していた。ノートPCをちょっと奥にずらし、手前にペンタブレットを置く。


「えっと、昨日、どこまで……」


 キリは在宅でイラストを描いたり、音声をテキストファイル化する内職で生計を立てている。と言ってもそんないいお金にはならない。ギリギリ。家賃を払って、昼間でもカーテンを閉め切り電気をつけっぱなしの生活のため高い光熱費を取られ、手元に残るのは月三万をちょっと越えるぐらい。


 単純計算で一日一千円での生活になる。でも、それだけあればキリは十分だった。普通の女の子ならおしゃれをするだろう。しかし彼女は部屋をほとんど出ない、出られない。だから信じられないことだろうが、四、五着しか服を持っていない。しかも自分で選んだものではない。後はパジャマが今着ているのを入れて四着あるだけだ。


「今日は、イラストの日」


 キリはテーブルの上のペンタブレットの上を、自分の細い指と同じぐらいの真っ白なペンを滑らせる。そのペンの先は真っ白のちょっと固い素材で、そこには何も書けない。


    サー

    シャ、シャッ


 ノートPCの小さいファンの音と、ペンを滑らせる音だけが聞こえる。時々その前においてある、ノートPCのキーを左手で触る。


    カチ、サー、サー、サー、カチカチカチ……


 昼間にも関わらず厚めのカーテンが閉じられ、蛍光灯だけの薄暗い部屋には、そんな音がしばらく聞こえ続けた。


 そんな昨日までと変わらぬ作業をしているキリに、一つやってみたいことが芽生え始めてきていた。それはすごく些細なこと……。




 次回より、やっと3人目の登場人物が出ます・・・のんびりだね。

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