19.「私でよければいつでも呼んでいいからね、ね」
キリは、結果的に久々に大掃除をした部屋にちょっと満足していた。そう思うようにしていた。
今日はカンミさんが来てくれる。仕事とはいえ、今は来てくれるだけでうれしい。
「今朝のヒロさんも断らなきゃよかったかなぁ~♪」
綺麗になった部屋でちょっとご機嫌。たぶんちょっと無理に明るくしている。
今朝、一切れだけ食べた食パンをもう一切れ取り出す。それを焼かずに、イチゴジャムを厚塗りする。いつもはこんなに塗らない。
リビングに置かれたコーヒーの入った小さいカップを一つ手に取った。朝、少し飲んだ奴だ。
「消臭だけに使ったら、もったいないものね」
そういって一口。キリは大変わかりやすい『苦い顔』を作っていた。
「……カンミさんに差し入れって貰ったけど、やっぱり苦い飲み物すぎるよ、これ……」
眠気覚ましとしてインスタントコーヒーを3瓶、貰っていた。分量を間違っていることもあるが、キリにとってなじみのない飲み物。
「でも、体にもいいって、カンミさんもヒロさんも言ってた……」
……これに関しては、諸説あるが、カンミもヒロもそう言っているなら、キリは信じてしまう。
多めにジャムを塗ることで、その甘みとコーヒーの苦みが中和されるとキリは考えているらしいが、実際にはそんなことはない。
小さいカップを飲み干し、食パン一枚を食べ終わった。顔はまだ苦い顔……。
「……だめかな、こんな昼ご飯じゃ……」
片づけながらちょっと反省する。でも、なかなか改善はされない。
久々に内職の準備を始めた。
「今週中までにこれ書き上げなきゃいけなったのよ」
キリはリビングのテーブルにでっかいノートPCとタブレットを並べる。そして今日からは、卓上ミラーも置く。
「今日、カンミさんが新しい作業持ってきてくれるかも知れないの」
キリは鏡の中の『リキ』に話しかけながら作業をする。
「うーん、こんなんでいいかなぁ」
いつもは集中できるキリであったが、今日はなかなか集中できない。おそらく『リキ』が見ていることと、昨晩のことのせい……。
集中は出来ていないが、なんとか作業を続ける。キリ的には『リキ』と相談をしながら……、ようするに独り言をいいながら……である。
ふと気がつくと西側の窓のカーテンの色が少し赤くなっていた。
「あ、カンミさん、来る前に買い物、行かなきゃ……」
手早く作成した画像をUSBメモリにコピーする。そしてノートPCとタブレットを片付ける。
そして暗くなったらすぐに出かけられるように着替えなきゃと思った時……
「あ、いっけない」
と、慌てて、洗濯機をのぞきにいく。もちろん、洗濯は終わっていた。恐る恐るフタを開けてみる。もし、全然色が落ちていなければ、昨晩のことが鮮明に蘇ってしまうかもしれない。そう思うだけで怖かった。
「……ふふ。変な色」
残念ながら色は落ちていなかった。しかし、重曹のせいだろうか……ベージュ色だった大きいパーカーも、真っ白だった下着も、全体的に淡い赤……ピンクと言えばピンクっぽい色に染まってた。
「乾いたら、どんな色で落ちつくかな」
幸いなことにその色から昨晩のことが連想できなかった。キリは新しい服を手に入れた感覚で、それらを二階に干した。
その時だった。
ピンポーン
一階の玄関から音がした。
「え? 誰だろう」
慌てて一階に下り、玄関のドアスコープをみる。……真っ暗。
「あれ?」
キリがそう言うと扉の向こうから、
「うふふふふ」
と聞いたことのある声が聞こえた。
「もうっ」
キリは穴をふさいでいるのはカンミとわかった。キリは鍵を開けた後、少しばかり陽が射しているので、『鍵は開けました』という合図のつもりで、ドアを二回軽く叩いた。
コンコン
「こんにちわぁ」
その瞬間、扉はガバッと明き、カンミが現れた。仕事帰り、あるいは、仕事途中の様で、スーツ姿である。ただ、今日は暑かったので、上着は折り畳んでバックに入っているようで、それはパンパンになっていた。
そのカンミの開けた扉に反射した僅かの陽が、キリのショートパンツから伸びる太股に当たった。
「あつっ」
太股を隠すように体育座りしたが、今度はちょうど顔に陽が当たる。
「きゃっ」
顔を両手で覆う。抱えていた膝が前に倒れ、正座している状態になった。
「ああ、ごめんなさい。大丈夫?」
カンミは慌てて扉を閉める。
「あ、はい。大丈夫です!」
そうキリは元気に答えたが、ちょっと目には涙。
カンミはちょっとおろおろしながら、
「ごめんなさいね、早く来すぎたかしら。ここまで過敏って知らなかったの、ほんとにごめんなさいね」
カンミらしからぬ、早い口調で謝った。
「ううん、大丈夫ですよ!」
元気ににっこり笑って答えた。
「そう……よかった……」
カンミはホッと胸をなで下ろした。
ホッとしたのもつかの間、カンミは、
「上がっていいかしら?」
と言いながら、右手に持っていたパンパンのバッグを靴箱の上に置き、ちょっとかかとのあるサンダルのマジックテープを器用に右手だけで外し、軽く振るように脱いだ。ちょっと散乱したが、すぐにしゃがみ込んで右手できちんと並べる。
キリは正座したまま一連の流れが終わるのを待ってから、
「はい、どうぞ」
と答えた。
カンミがあがってくれたのが初めてだったので、キリはちょっと驚いていた。そして、うれしかった。
キリが正座から腰を上げ立ち膝になった時、カンミは右手をキリの頭の後ろに回し、自分に引き寄せた。それはちょうどキリの顔がカンミのYシャツの胸に包まれる状態になった。
「ふあ。カ、カンミさん?!」
「キリちゃん、無理しないで……私でよければいつでも呼んでいいからね、ね」
カンミはそれ以上言わなかった。聞かなかった。ただ、キリが無理して明るく振る舞っているのだけはわかった。
キリは小さくうなずいた。そして立ち膝のまま両手でカンミに抱きつき、胸に顔を埋め、声を殺して泣いていた。カンミはキリの頭を優しく撫でてあげた。




