20.「あ、上から、お布団が落ちてきて……」
キリが泣きやんだのはおそらく10分後ぐらい。赤かった西の空もポツポツと星が見えるようになっていた。
「……えっと、ゴメンなさい」
キリは、お尻を落とし、正座した状態でちょっと恥ずかしそうに笑いながら謝った。まだ目は赤いが、キリはちゃんと笑えた様な気がした。
その間、カンミはずっと立っていた。更にワイシャツの胸のあたりが涙とよだれで濡れてしまっていた。
「あらら、キリちゃんのお洋服、借りようかしらぁ」
「え? あ、はい。あ、でも、どうしよう、子供っぽい服ばっかりで、カンミさんに似合いそうなの、持ってないです……」
「うーそよぉ。夜だし、大丈夫。それにそんなに足、私、出せないわよぉ」
そう言って、ショートパンツから伸びる太股をちょっと触る。
「ふきゅ……」
びっくりしてキリから妙な音が出た。
キリはちょっと恥ずかしい気持ちでカンミをリビングに案内する。メゾネットタイプのアパートに初めて入った人は一様に階段をのぞき見あげる。
「あ、上は寝室と物置があるだけです」
「ふーん、そぉ」
「あの、こちらへどうぞ」
リビングのカウンター横のテーブルに誘導し、いつものイスに座って貰う。折りたたみの小さいパイプイスを引っ張り出し。向かい側に座る。
「はい、ありがとぉ……ふーん」
そう言ってリビングを見渡す。明かりはまだキッチンとカウンターの上の明かりしかつけていない。
「なんか、コーヒーの残り香があるわねぇ」
「あ、いえ、コーヒーそのものが置いてあります」
「あらぁ。コーヒー好きだっけ?」
「いえ、その……」
キリの目が泳いだのをカンミは気がついた。『臭い消し、かしら……』と、何かあった結果の処置と考えた。カンミは仕事の話に切り替えることにした。
「♪ふんふんふん、さーて、キリちゃん。今回の依頼は……依頼って言っていいのかしら?」
「あたしに聞かれても、困ります」
キリもうれしそうに応答する。
「うふ。あのね、じゃーん。これ」
カンミはそういって一枚の折り畳まれた紙を取り出した。
「あ、はい」
それをキリは受け取って開いてみた。
「それに参加してみない?」
それは海をテーマにしたイラストコンテストの応募要項であった。
「え? これって」
「はい~。今までのお仕事とは違うわよぉ。でも、こういうのに入賞したら今後の単価も上げられるからねぇ」
「海……」
「そう、夏の海をテーマにしたイラコ~ン」
「なんで?」
キリがちょっと寂しそうに言う。
「最初の時、一回見せて貰った絵、覚えているわよぉ」
カンミはパンフレットを持つ左手をそっと触れた。
「キリちゃんは恥ずかしそうに隠したけど、私は好きだったなぁ」
「そ、そうなんですか? でも、あれ、スケッチしただけの……」
「まだあるよね?」
「は、はい。もちろんです」
そう元気よく言ってキリは勢いよく立ち上がる。
バターン
その勢いでパイプイスが倒れた。
「あ、ゴメンなさいー」
キリはそう言いながらも、倒れたパイプイスはほっておいて二階に上がって行った。
それを追うカンミの目に、リビングの暗影にぼんやり光るワンピースを見た。
『まだ、着てなさそうねぇ。早かったかしら……』と、目を細くして微笑む。
どすん
二階ではなにやら大きな音がした。
静かになって、しばらくしてゆっくり階段を下りてくる音がする。もう外は真っ暗だ。
「ありました」
その手には日本のものじゃない文字が書かれた表紙のA3ぐらいのスケッチブックがあった。それを持つキリの髪の毛は、グシャグシャだった。
「あ、上から、お布団が落ちてきて……」
そう言って手ぐしで髪をとかす。キリの髪の毛はそれで元に戻る。
「これですよね?」
キリはうれしそうに、ちょっと興奮気味にスケッチブックを開いた。
「あぁ、そう、これこれぇ。なんかなつかしいぃ。見せて貰ったの、一年ぐらい前かしらねぇ」
キリが開いたページには、紙全体に広がる水平線、手前に右に海の家らしき簡単な作りの家があり、紙のほとんどを埋める砂浜の中央のちょっと左に、誰かを抱えて男の人が海からあがって来ているところが書かれていた。
その男以外はラフだが数人の人が駆け寄って行っているのがわかる。
「なんかいいのよねぇ、これぇ」
「そ、そうですか?」
キリはちょっと恥ずかしそうに笑う。
「……これ、あたしが初めて日本に来た時に見た、風景なんです」
カンミはちょっと身を乗り出した。
「ねぇねぇ、この絵を書いた時のこと、教えて貰ってもいいかしらぁ?!」
「え? あ、はい。でも、あまりおもしろい話じゃないと思いますよ」
キリはちょっと赤くなった。




