1. さよなら
学院の廊下。
本来静かなはずの回廊に笑い声が響いていた。
そこをナリッサは通り抜けようとしていた。
それが。
ナリッサの今までの人生を変えることだと知らずに。
「なあ。ナリッサのことどう思ってるんだよ」
自分の名前がなかったら立ち止まらなかっただろう。
その声はナリッサの想い人ウェストの親友ライスフィールドの声だった。
なら。
ウェストは一緒なのだろう。
そう思ったら足は自然と止まってしまった。
「やめなよ〜。ウェストが困ってるじゃん〜」
囂しい声もする。
最近ウェストの騎士科グループと仲良くなったらしい淑女科のハルリッサだ。
どこから声を出すのかというくらい甘く高い声が響く。
クスクス笑う声は本当に淑女科なのか疑うほどの大きさだった。
「ナリッサ?ああ………。別に」
ウェストの声だ。
硬派な彼らしい返答だった。
ナリッサが好きな低音が胸をときめかせた。
そこでナリッサは冷静になれた。
立ち聞きなんて下品だ。
そう思って踵を返そうとした。
その時。
走っていたら良かったのかもしれない。
「ナリッサのこと女の子として好きでもなんでもないんでしょ?」
「ああ………違うな」
どッ………。
湧き上がった笑い声。
人は彼らだけではないらしい。
ずきりと痛む胸をナリッサは押し殺した。
勝手に傷ついているだけだ。
ウェストはナリッサの恋人ではない。ただの幼なじみ。
ナリッサがウェストが好きで追いかけ回していることは学院中が知っている。
今更馬鹿にされた所でなんだ。
そう思おうとした。
「ナリッサって。外見があれじゃ………」
「男の子みたいだもんなあ」
「いくら騎士科の女子枠だからってあれはな………」
これらもいつものことだ。
でも。
ナリッサは気にしていなかった。
ナリッサにとって有象無象の声よりもウェストの声が重要だったから。
だって。
いつもウェストは………。
ウェストはそんな上辺のことを軽々しく言わない男だった。
少なくとも。
ナリッサはその時まではそう思っていた。
「ははッ………。確かに。最近泥に塗れてる姿見ると女捨ててるなあとは思うな」
「あいつの泥塗りたくったみたいなそばかす見たか?ありゃない」
「確かに」
それは確かにウェストの言葉だった。
友達の言葉に同調するように吐き出された声は確かにウェストの声だった。
「俺等と同じように泥に塗れてくれる女は………ナリッサくらいだな。女は汚れ仕事嫌いだろ?感心するよ」
笑いながらナリッサの頭を撫で回した時と同じ声と笑い声。
「男と同じふうに動ける女は流石に恋愛対象にならないな。仲間だな。仲間」
「ナリッサくらいだな。俺等騎士科の苦労わかってくれるのは。俺の背中預けられる女はお前くらいだ」
魔獣退治に手こずっていても。
切磋琢磨してきた。
ナリッサは元来運動神経が良いだけの引っ込み思案な少女だった。
本来なら淑女科に行くはずだった。
それを。
ウェストと共にいたいがために騎士科に在籍していた。
騎士になりたいわけでもなかった。
なんて不純な理由だろうとはナリッサ自身思ったし周りも諌めた。
命をかける仕事に恋を理由にするなんて。
でも。
ナリッサにとっては恋とは命がけだった。
好きな人の死地に黙って待つなんて嫌だった。
共に戦いたかったのだ。
「女はさ。やっぱりおしとやかに家にいてほしいよな」
「だな。男の職場には出しゃばらないでほしいよな」
「ナリッサの良さはおしとやかな女と違う所だよな。一緒にいて気が楽なんだ」
ああ。
同じ声だ。
ナリッサが好きな声が残酷な言葉を紡いでいた。
「弟みたいなやつがお菓子作ってくるんだぜ?重いし困惑するわ。男になりたいのか女なのかわけわかんね………。
恋人でもないのに尽くされてみろよ………」
「俺等にはくれないだろう?付き合い悪いんだよな〜」
「お菓子?でも男女を嫁には貰いたくないわな〜」
また笑い声が響いた。
ナリッサは。
凍りついたように動かなくなった身体をやっと動かした。
踵を返そうとした。
今度こそ。
「ナリッサはあれは男だよ。男女だ。
趣味だけは女らしくて無理があるんだよな………ない。
恋人にはないな」
ナリッサは噂は信じなかった。
ウェストが影でナリッサを男女と言っている話を。
信じてなかったのだ。
今彼の声で聞くまでは。
それは明らかな侮辱だった。
男女。
仲間と思っていたとしても言ってはいけない類の。
ああ。
ナリッサは膝が震え出した。
ウェストは。
ナリッサを女と思う前に人として見ていない。
ナリッサの何かが割れた気がした。
「俺、女おんなしてるのは好きじゃないんだ」
「化粧の匂いも苦手だ。髪も長いと煩わしいだろ」
「お前の低めの声落ち着くよな」
「そばかすなんかあると素朴でかわいいよな」
「お菓子は俺だけにくれよ?」
「色んな男と話すのは阿婆擦れだろ?騎士科の男達ともあまり話すなよ?」
それらの言葉を信じていた。
ナリッサの真実は彼の言葉だけだったから。
ナリッサは男の世界こそ愚直で率直な世界だと信じていた。
でも。
察せられなかったナリッサが悪い。
愚直すぎたナリッサが悪いのだ。
「さよなら」
ナリッサは三日三晩泣いた。
泣いて泣いて休んだこともない学院を休んだ。
両親も兄達にも心配させた。
屋敷中の使用人から出入り業者までお見舞いに来るほどの大騒ぎになった。
ナリッサが泣き笑いしてしまうほどの大騒ぎだった。
泣いて笑って。また泣いて。
ナリッサは騎士科を退学した。
このことは両親も兄達も驚きこそすれ歓迎された。
元から反対されていたのだから。
無理してしがみつくほど騎士科に未練はなかった。
ウェストへの恋心との決別だけではなかった。
彼の仲間だからと切磋琢磨してきた者たちとの絆も薄っぺらいものだった。
ナリッサは仲間以下だったのだ。
騎士科のほとんどがあの教室にいたのにナリッサを擁護する声はなかった。
「馬鹿みたい………」
ナリッサは。
ありのままの自分に戻ることにした。




