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【連載版】銀雪物語  作者: 紅茶


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4

雷轟公の威圧感の前に平伏し、震え上がっていた中納言と継母だったが、数秒の時を経て落ち着きを取り戻すと、琥珀の言葉を反芻した。



(鎮狄将軍の妻だと?)



それは、別に構わないのではないか。


ただ嫁ぎ先が変わるだけで、悩みのタネであった忌み子を、追い出すことができるのだから。


(それに、北狄の地といえば、四六時中魔物が蠢く最前線の死地ではないか)


琥珀が薄雪を抱き抱えて背を向けた瞬間、彼らの歪んだ顔に醜い嘲笑が浮かんだ。


(ああ、そういうことか。あの男も、忌み子の銀髪が魔物を引き寄せると知って、囮にでもするつもりで連れ去るに違いない。なるほど。これで無駄にしぶとい薄雪も、魔物に無惨に喰い殺されるのか)


彼らは、これ以上ない「厄介払い」ができたと、腹の底で暗い歓喜の声を上げていたのだった。









 


薄雪が運び込まれたのは、琥珀の広大な邸宅の奥、美しい庭に面した離れのつぼねであった。


ふかふかのしとねに、細やかな刺繍が施された美しい几帳。


長年、暗い塗籠の冷たい板間で生きてきた薄雪にとっては、夢のように贅沢な空間である。


しかし、薄雪は部屋の隅で身を縮め、ガタガタと震えていた。


(あの鎮狄将軍さまが、私のような忌み子を本気で妻にするはずがないわ。きっと、魔物がうごめく北の最前線で、囮や生贄にするおつもりなのだ……)


そう考えるのが自然だった。


銀髪は魔物を引き寄せる。


だからこそ実の親にすら殺されかけ、幽閉されていたのだから。






夜更け。


瑞鳳国の習わしでは、正式な婚姻は男性が三日続けて女性の元へ通うことで成立する。


琥珀は薄雪を自邸に迎え入れながらも、作法に則り、夜陰に乗じて本棟から薄雪の待つ離れへと静かに渡ってきた。


御簾が静かに跳ね上げられ、仄暗い灯台の明かりの中に、長身の影が浮かび上がった。


薄雪が恐怖で身をすくめ、痛みに耐えるようにぎゅっと目を閉じた、その時だった。


「……怯えさせてすまなかった。怖がらせるつもりはなかったのだが……」


降ってきたのは、恐ろしい将軍という噂とは裏腹な、ひどく甘く熱を帯びた声だった。


琥珀は床に片膝をつき、壊れ物に触れるかのように極めて優しい手つきで、薄雪の華奢な体をそっと抱き寄せた。


「将軍、さま……?」


「琥珀でいい」


琥珀は、薄雪の銀糸のような髪を愛おしそうに撫でながら、静かに語り始めた。


「君は覚えていないかもしれないが……数年前の夜、中納言の屋敷、つまり君の家に、魔物が現れたことがあった」


琥珀の脳裏には、あの夜の光景が今も鮮明に焼き付いていた。





暗闇の中で瘴気に苦しむ小鳥を労わるように伸びてきた、透き通るような白い指先。


そして格子の隙間から垣間見えた、月明かりを孕んだような美しい銀髪と、憂いを帯びた清らかな横顔。


血生臭い戦場に身を置き続けてきた琥珀にとって、それは目を奪われるほど神聖で、心を強く揺さぶる美しさであった。


さらに、癒やされた式神を通して琥珀の内に流れ込んできたのは、無垢で慈愛に満ちた彼女の心根の優しさだった。


その瞬間、琥珀は決意したのだ。


この薄暗い牢獄からいつか必ず彼女を迎えに行き、自らの妻として生涯守り抜くことを。







「魔物の瘴気にあてられて瀕死になった俺の式神を、あの塗籠の隙間から手を伸ばし、癒やしてくれた少女がいた」


「……あ」


薄雪の脳裏に、あの夜の小鳥と、闇夜に光る黄金の瞳の記憶が鮮明に蘇る。









「中納言は隠蔽したが、俺はずっと、あの純粋で温かい光を探し続けていたのだ」


「私を……ずっと、探してくださって……?」


薄雪は信じられない思いで琥珀を見つめ返した。


忌み子として隠され、誰の記憶にも残ることなく消えていくはずだった自分を、この人はあの日からずっと想い続けてくれていたのだ。


胸の奥底が熱くなり、視界がじんわりと滲んでいく。


「お前は魔物を呼ぶ呪われた忌み子などではない。俺の、そしてこの瑞鳳国を救う清らかな光となるだろう」


「私が……光……?」


その真っ直ぐな言葉に、薄雪の瞳から堪えきれない大粒の涙が溢れ落ちた。


生まれてからずっと「家の恥」「化け物」と蔑まれ、存在そのものを否定され続けてきた彼女を、この最強の武将はたった一言で完全に肯定してくれたのだ。


琥珀は薄雪の涙をそっと口付けで拭い、夜明けまで狂おしいほどの恋慕の言葉を囁き続けた。


恐ろしい鎮狄将軍は、薄雪の前では人が変わったように甘く、彼女をひたすらに甘やかしたのである。


翌朝。


夜明け前に本棟の自室へ戻っていった琥珀から、見事な枝に結ばれた文が届いた。


邸内とはいえ、正式な儀礼として後朝きぬぎぬの歌を贈るためである。


最高級の薄紅色の和紙には、力強くも流麗な筆致でこう記されていた。


『君を置きて 帰るあしたの 露よりも 消えなむばかり 恋ひ焦がれつつ』


(あなたを置いて一人帰るこの朝の露よりも、今にも消えてしまいそうなほどに、あなたに恋い焦がれております)


自分がこんなにも愛に溢れた歌を贈られる日が来るなんて。


薄雪は顔を真っ赤にしながらも、震える手で懸命に返歌を認めた。


『朝露の 消えなむばかり 思はれど 日陰の雪は ただ溶けにけり』


(朝露が消えてしまいそうなほど私を思ってくださるとのことですが、日陰で凍えていた薄雪のような私は、ただあなたの温かさに溶けてしまうばかりです)


一方その頃、中納言邸では、薄雪を連れ去られた家族たちが白々しい会話を交わしていた。


「氷の将軍様も大層な物好きですこと。あんな呪力もない忌み子を攫っていくなんて。でも、今頃はきっと後悔しておられるでしょうねぇ」


紅梅が嘲笑えば、継母も扇で口元を隠して冷たく嗤う。


「いえいえ、魔物を引き寄せる性質を利用して、北の死地で囮にするために連れ去ったのよ。見てごらんなさい、あの冷酷な将軍があんな無能な銀髪を本気で愛するはずがないわ。それか、今夜にも追い出されるんじゃないかしら。ひどい豪雨になりそうだもの。祟りとか言って、屋敷から追い出されているかもしれないわね。本当に、可哀想!」


彼女たちの、呪いのような予言の通り、二日目の夜は空が割れたかのような豪雨となった。


薄雪もまた、局の中で激しい雨音を聞いていた。


(宮中での公務でお忙しい将軍様が、こんな嵐の夜にわざわざこの離れまで足を運ばれるはずがない。きっと一夜の同情だったのだわ)


薄雪は、まだ信じてはいなかった。


位の高い者が、遊びで女性をもて遊ぶなど、よくある話だ。


諦念の思いを抱きながら、一人で夜を明かす覚悟をしていた。


しかし――。


「薄雪」


土砂降りの雨を切り裂いて、息を切らせた琥珀が現れたのである。


濡れた軍装を急いで着替えたのか、その髪からはまだ微かに水滴が滴っていた。


公務から戻り、本棟へも寄らずに真っ直ぐに離れへやってきたのだ。


「こんな嵐の夜なのに、どうして……」


目を丸くする薄雪に、琥珀はとろけるような笑みを浮かべた。


「そなたに会いたくて、たまらなかったのだ。天が割れようとも、俺は必ずお前の元へ帰る」


そう言って、琥珀は濡れた薄雪の銀髪を優しく掬い上げ、うっとりと目を細めた。


「そなたの銀髪は、月明かりを透かしたようで世界で一番美しい」


その真っ直ぐな瞳と、力強く温かい抱擁に包まれながら、薄雪は静かに目を閉じた。


胸の奥で長年凍りついていた巨大な氷柱が、音を立てて確かに溶け出していくのを、彼女は肌で感じていた。


そして運命の三日目の朝。


この日は、正式な婚姻が成立したことを花嫁の一族にお披露目する「三日夜餅みかよのもち」の儀式を行うこととなっている。


この日のために琥珀が用意させた装束は、目を見張るほど豪奢なものであった。


幾重にも重ねられた最高級の絹の衣は、雪解けを思わせる淡い白から深い青へと連なる美しいかさねの色目をなし、表着には銀糸で繊細な雪輪の文様が縫い取られている。


艶やかに梳きつけられた薄雪の銀髪は、そのきらびやかな装束に負けることなく、むしろ真珠のような上品な光沢を放って彼女の透き通るような白い肌をこの上なく引き立てていた。


みすぼらしい単衣姿しか知らなかった者が見れば、天から舞い降りた神獣の化身かと見紛うほどの、気高く神秘的な美しさであった。


琥珀は薄雪を伴って、中納言邸へと堂々たる凱旋を果たした。

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