01 柳橋美湖 著 『優美な特等席』
《梗概》初夏の日曜日、憧れの先輩のオープンカーの助手席でドライブを楽しんでいた。しかしそのBGMはちょっと……
初夏の日曜日。昼下がりの海岸通りを走るオープンカーの助手席に私はいた。
サングラスをかけた醤油顔の先輩は、カジュアルなシャツを自然に着こなし、さらさらした髪を潮風にわずかにたなびかせていた。
この日のために買った勝負服のワンピース。私だけの特等席、嬉しい。速度計をそっと覗くと時速六十キロ。
そこでだ。スズキ先輩が、カーオーディオのスイッチを入れる。流れてきたのは、彼自身がカバーしたというアニソン『シドニアの騎士』のオープニングだった。
「僕のお気に入り。感動して何度も観返したんだ」
ガウナという対話不可能な宇宙生物が地球文明を崩壊させた。生き残った人類は、小惑星をくり抜いた宇宙船に都市を築き、植民可能な系外惑星を求め、宇宙を彷徨っている。
そんな滅びゆく人類の悲壮な物語の行進曲『シドニア』の爆音が車内に響く。「衛人、発進!」の重低音を浴びる。
先輩が勧めるので、一話だけネットビデオで観た。女性と男性のユニット、angelaのオープニング主題歌「シドニア」は確かに、SF的でスタイリッシュだ。力強い中にもどこか「母性」や「人類の未来への祈り」のような、突き抜ける透明感に、救いを感じる。
けど、重厚な男声で歌うと悲壮感が倍増される。そして、「個人の尊厳が抹殺され、人類の存続のためだけに命を捧げさせられる戦時下の狂気」だけが残る。これはもう精神攻撃系魔法だ。もし二十四時間聴かされたら、間違いなく鬱になることだろう。どうにかなりそうな圧迫感が、車内という密室を支配してゆく。もはやホラーだ。
「え…? 何この男声コーラス…宗教…? ファシズム…?」
ハンドルを握る先輩はハミングして、自分の世界に酔いしれている。
「鎌倉にピロシキとコーヒーがいけてる店があるんだ。そこでお茶しよう」
(も、もう、お腹いっぱいですう……)
きらきらした水面に浮かぶ江の島が見えてきた。
オープンカーという逃げ場のない空間で、じわじわ精神をすり潰されてゆく私の心は半泣き。だけど自作CDの曲を「やめて!」と叫んで拒絶することは、無粋というより、この先輩の人格の全否定ではなかろうか?
「どうしたの、サキちゃん? 顔色悪いよ!」
「だ……大丈夫です、先輩」
「そっかあ、無理しないでね。じゃあ、つぎはこんな曲どうかなあ。昭和の名曲・中島みゆき『恨みます』をカバーした僕の歌。たぶんサキも元気でると思うよ」
(うわっ!)とその日のドライブは散々だった。
*
週明けのお昼休みの大学ラウンジでソファに座り、親友アヤと自販機ドリンクを飲む。
「それでサキ、スズキ先輩とのデートはどうだった?」
「あっ、あはは。最高だった」
「どうしたの、顔が引きつってるよ」
吊りのハーフパンツにハイソックス、パンプスのアヤ。彼女は私を心配してくれている。でも半分は「人の不幸は蜜の味」と考えているのも表情から見てとれる。
事情を話すと、
「スズキ先輩は社長令息で、高身長・イケメン。軽音部部長。女の子を勝ち抜いてようやく手に入れたプリンセスの座。そ、その趣味は、なんというか、アレだ。うん……けして音痴じゃない」
さすがに、何とフォローするべきか、慎重に言葉を選んでいるアヤの顔がイタイ。スズキ先輩は優しくて素敵なんだけど、この先、やっていけるだろうか。私は天井を見上げた。
*
放課後、最悪のタイミングは訪れた。
学内の掲示板前でアヤと話していると、「やあ、サキちゃん」と聞き覚えのある美声が響く。振り返ると、カジュアルなジャケットを羽織ったスズキ先輩が、さらさらした髪を揺らして微笑んでいた。完璧なイケメンオーラに、周囲の女子学生たちの視線が突き刺さる。
「先輩! こんにちは」
「隣の方は?」
「あっ、親友のアヤです」
アヤは一瞬でビジネス用の猫かぶり笑顔を作り、「いつもサキがお世話になってます」と頭を下げた。だが、その目は完全に「獲物」を見る目になっている。
「アヤちゃん、よろしくね。サキちゃん、ドライブで聴かせてあげた僕の新しいカバー曲、どうだったかな? 感想をゆっくり聞きたくてさ」
心臓が跳ね上がった。ここで『シドニア』の話題を出されたら、アヤの「人の不幸は蜜の味」センサーが限界突破してしまう。
「あ、あの……先輩! 感想なら、今すぐ二人きりで、じっくり、たっぷりお話ししたいです!」
私は先輩の服の袖を掴み、半ば強引にアヤから引き離すように歩き出した。「えっ?」と驚く先輩の後ろで、アヤが「ニヤニヤ」とした下俗な笑みを浮かべて手を振っているのが見えた。
人気の少ない第二食堂のテラス席に先輩を連れ込み、私は深く息を吐いた。
「サキちゃん、積極的だね。嬉しいな」
先輩は本気で喜んでいる。その無垢な瞳を見ていると胸が痛むが、背に腹は代えられない。
「先輩、お願いがあります。さっきの曲のこと、アヤには内緒にしておいてほしいんです」
「え? どうして? 自信作なんだけどな」
先輩は不思議そうに小首を傾げた。醤油顔のイケメンがやると絵になるが、言っていることは狂気だ。
「その……私だけの特等席で聴いたことだから秘密にしたいんです! 他の人に教えるなんて、もったいなくて」
我ながら心にもない大嘘を、必死の笑顔で盛り付けた。すると先輩は一瞬目を見開き、それから耳まで真っ刻にしてうなずいていた。
「……そっか。サキちゃんがそこまで僕の歌を特別に思ってくれていたなんて。わかった、二人だけの秘密にしよう」
やった、騙せた! ……けど、先輩の純粋な好意を「嘘」で誘導してしまった罪悪感が、じわじわと私の胸を刺す。
「じゃあさ」と、先輩が顔を上げて私を見つめた。その瞳は、どこか悪戯っぽく輝いている。
「秘密を共有する代わりに、条件がある」
「条件、ですか?」
「今度の土曜日、僕のマンションに来て。防音完備のオーディオルームがあるんだ。
ボリュームいっぱいにした例の曲をサキちゃんと、一緒に聴いてほしくて」
神様、助けて!
*
土曜日、私は覚悟を決めてスズキ先輩の超高級タワーマンションの前に立っていた。
フロントの豪華なカウンターで訪問を告げると、常駐する受付さんが内線をつなぐ。居住エリアへの自動ドアは住人の生体認証でしか開かない仕組みらしく、スズキ先輩がロビーまで出迎えに降りてきてくれたのだ。王子様にエスコートされるプリンセス感に、私の胸は高鳴った。
通された最上階の部屋にあった「特注のオーディオルーム」は、私の想像を絶する豪華さだった。
重厚な防音扉を開けるとミニシアターばりで、壁一面には吸音材が美しくデザインされ、中央には高級な本革製のツインソファ。そしてフロントには、私の身長ほどもある巨大なトールボーイスピーカーまである。完璧な音響空間だった。
「さあ座って、サキちゃん。まずは挨拶代わりに、僕の『シドニア』マックスボリュームだ!」
先輩が楽しそうに最高級アンプのノブを回す。
このままでは私の精神が宇宙生物「ガウナ」に破壊される。防戦一方ではダメだ。「防御兵器」が要る。
「先輩、前座で……これ、かけてください」
私はバッグの底から、ダウンロード音楽のメモリを取り出した。中身は、明治の軍歌をポップなアニソン風に仕立て直した、女性声優が歌う、ガルパン版『抜刀隊』だ。まずは先輩の脳をバグらせてやる!」
曲が終わる。
「すてきな曲だ……」
目を閉じて聴いていた先輩は、ノートパソコンからカラオケバージョンのそれをダウンロードして、早速歌いだした。
重低音。
いやーっ、やめて、軍歌を男性ボイスで歌わないで!
了




