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03 奄美剣星 著 『エルフ文明の暗号文 28』

【梗概】ダンケルク作戦は成功した。救出されたバティストは、処断したはずのアベラールがエルフの休眠薬で死を超越し、知能ネットワークと化したことを告げる。本国へ召還されたシナモンは、女王から「旋律」の兵器化を命じられ、ドンファン副王と共に再潜入を決意。異貌の地と化したダンケルクの地下、真の「狭き門」からアベラールが待つ深淵へ挑む。


    28 復活


 要塞島ドーバーの朝は、海霧と石炭の煙が混じり合い、白亜の断崖を灰色に塗り潰していた。ダンケルクから救出された三十万の将兵が吐き出す安堵と疲労が、重苦しい湿気となって停滞している。私、ドロシー・ブレイヤー博士は、ぬかるんだ道を歩くレディー・シナモン少佐の背を追っていた。彼女の足取りは、いつになく迷いを含んでいるように見えた。

「ドロシー博士、あのバティスト様の表情が忘れられないのです。アベラールを処断した瞬間の、あの空虚な眼差しが……」

 黄金の髪を後ろで束ねた若い貴婦人が呟く。私たちは地下要塞の士官待機所へ向かっていた。鉄扉を開けると、そこには煤と返り血に汚れた軍服のまま、机のワルサーP38を凝視するバティスト大尉がいた。かつての快活な姿はどこにもない。

「……バティスト様、ご無事でしたか?」

 少佐の声に、彼はゆっくりと顔を上げた。

「ああ、姫様。最悪の結末を、最高の脚本だと思い込もうとしているところだ」

 レディー・シナモンは机の前に立ち、まっすぐに彼を見据えた。「あの聖堂で、アベラールは最後に何を語ったのですか。彼はまだ何かを隠していたはずだ」

 大尉は、自嘲気味に鼻を鳴らし、小さな瓶を机に置いた。中には不気味な周期で脈動する銀色の甲殻の欠片が入っていた。

「奴は笑っていたよ。『僕の心臓はもうここにはない』とな。奴が飲んだのは毒ではない。エルフの文明が遺した『休眠薬』……細胞の時間を止める物質だ。アベラールは肉体の死を超越し、自らの意識をこの記録媒体に同期させた。奴は死んでなどいない。あのダンケルクの地下に広がる、巨大な知能ネットワークの一部になったのだ」

 少佐の顔から血の気が引いた。彼女が解読した「砂丘の教会」という暗号は、犯人を追い詰める道標ではなく、アベラールを深淵へと招き入れるための招待状だったのだ。

「彼はあそこにまだ? 暗闇の底で、王女の目覚めを待っているのでしょうか?」

「……ああ。そして奴はエルフの旋律を使い、世界そのものを書き換えようとしている」

 バティストの言葉が冷たく反響した。祝杯の汽笛が、今は遠い世界の不協和音にしか聞こえなかった。


 ドーバー島から海を渡り、私たちは本国ヒスカラの王宮へと召還された。謁見の間で待ち構えていたのは、冷徹な氷の双眸を持つオフィーリア女王だった。

「レディー・シナモン。貴女が発見した『旋律』は、我が国の歴史を塗り替える功績である。だが、我が国が求めているのは恒久的な支配だ。その『周波数』を用いれば、甲殻虫どもを意のままに操る『神の軍隊』を組織できるはずだ」

「陛下、それはあまりに危険な賭けです!」

 シナモンが声を荒らげた。

「私が解読した旋律は表層に過ぎません。無理に干渉すれば休眠中の王女を刺激し、人類を焼き尽くす災厄を招くでしょう」

「案ずることはない、少佐。本国で『音響増幅装置』の試作に成功した。これはエルフのレコードを強制的に上書きするための楔だ。貴女にはこれを持って、再びダンケルクへ向かってもらう」

 王立アカデミーの傲慢な科学者たちが、シナモンの知恵を「毒」に変えてしまったのだ。

「ドロシー博士、どうお考えです?」

 黄金の髪を後ろで束ねた貴婦人が私に、

「……科学は、扱う者の意図によって毒にも薬にもなるけれど、この装置は、あまりにも悪意が鮮明過ぎると思う」

 私の答えに少佐は深く息を吐いた。沈黙を守っていたドンファン副王殿下が一歩前へ出た。

「陛下。装置の運用には現場での緻密な調整が不可欠です。私が彼女たちを護衛し、全権を持ってダンケルクへ戻りましょう。レディー・シナモンにはまだ、あの地で解読すべき『扉の秘密』が残されている。それこそが真の王道でありましょう」

 女王は細い指で肘掛けを叩き、殿下に全権を預けた。それは名誉ある任務ではなく、自ら開けた「狭き門」に、本国が用意した火を放ちに行く過酷な再赴任であった。


 新大陸の夜は、すべてを飲み込む深淵の闇に包まれていた。潜水艇が音もなくダンケルクの海岸へと接近する。かつての波止場は、巨大な甲殻虫の骸が積み重なる異形の墓標と化していた。

 ハッチが開き、冷たい潮風と共に私たちは暗闇へと滑り出した。殿下は潜水艇に留まり、退路の確保と本国への通信を担う。

「ドロシー博士、足元に気をつけて。ここはもう、私たちが存じている街ではありません」

 レディー・シナモンの声は緊張で張り詰めていた。

「了解した、少佐。……だが、この空気、生物的な熱気が酷すぎるな」

 私が小銃を握り直すと、隣のバティスト大尉が頷いた。「ああ。街全体が、巨大な虫の腹の中にいるみたいだ」

 目指すは大聖堂の跡地だ。瓦礫の山に近づくにつれ、異常な光景が目に飛び込んできた。石材の隙間から血管のような青い光が脈動している。エルフのレコード盤が発するそれが仄かに、発光していたのだ。

「やはり、アベラール氏の言葉は本当でしたのね」

 少佐が瓦礫に触れると、微かな振動が伝わった。

「ドロシー博士、ここは単なる祈りの場ではなかったのだと考えられませんか? 地下深くに眠るエルフの『心臓』……膨大な演算装置の旋律を地上へ増幅するためのスピーカーだったとしたら?」

「では、暗号の答えはまだ先にある!」

「ええ。エロイーズ様が残した『狭き門より入れ』という言葉……その真意は扉ではなく、地下へと続く深淵の『入り口』だったのではと思えてならないのです」

 私が計測器で光の脈動が最も激しいポイントを特定すると、バティスト大尉が銃床を叩きつけた。重低音が響き、瓦礫がスライドして漆黒の螺旋階段が姿を現した。そこからは、地上の喧騒を拒絶する圧倒的な「和音」が吹き上がってくる。

「行きましょう。アベラールが、闇の底で私たちを待っているわ」

 黄金の髪を後ろで束ねた貴婦人は迷いなく暗闇へと踏み込んだ。背後で入り口が閉ざされると、ダンケルクの廃墟には冷たい海風だけが吹き抜けていった。


 つづく

【登場人物】


01 レディー・シナモン少佐:王国特命遺跡調査官

02 ドロシー・ブレイヤー博士:同補佐官

03 グラシア・ホルム警視:新大陸シルハ警視庁から派遣された捜査班長

04 バティスト大尉:依頼者

05 オスカー青年:容疑者。シルハ大学の学生。美術評論家。

06 アベラール:被害者。ジャーナリスト。洗濯船の貸し部屋に住む。

07 エロイーズ:被害者。アラスの寄宿学校教師。アベラールの妹。

08 シャルゴ大佐:シルハ副王領の有能な軍人。

09 フルミ大尉:ヒスカラ王国本国から派遣された連絡武官。

10 トージ画伯夫妻:急行列車ラ・リゾンで同乗した有名人。

11 サルドとナバル:雑誌社〈ラ・レヴュ〉報道特派員。記者とカメラマン。

12 フランクリン将軍(大将):ヒスカラ王国海外領土シルハ副王国駐留軍総司令官。

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