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02 紅之蘭『天才紅教授の魔法講義 其之二十五』

【梗概】黄戸島・千本桜の森でのお花見会。美少女花精「サクラクラブ」に魅了され暴走する変態三人衆は、桜の肥やしにされかける。泥濘に沈む彼らを救ったのは、優雅に舞う桜翁・在原業平の「楽園追放」という名の物理的掃射だった。

   其の二十五 成長


 三月、小笠原の風は春の香りを運び、黄戸島は淡い桃色の霞に包まれる。

 大学キャンパスの裏手、険しい外輪山の斜面には「千本桜の森」と呼ばれる隠れた名所があった。かつて与謝野晶子が「今宵あう人みな美しき」と詠んだ情景をそのまま移したかのような、幻想的な枝垂れ桜の群生。地元の民だけが知るその聖域で、今日は村立大学の親睦お花見会が催されていた。

 石積みの斜面に並べられたブルーシートの上では、重箱に詰められた海鮮料理と、数多の酒瓶が春の陽光を浴びている。

「いい風ね。魔素エーテルが花びらと共鳴して、空間そのものが歌っているわ」

 お団子ヘアの紅教授が、白衣の襟をくつろげながら杯を干した。その傍らでは、ロマンスグレイの島村学科長が、懐中時計の鎖を弄りながら優雅に珈琲を嗜んでいる。

 ふと、桜の奥から妙なるお囃子が聞こえてきた。

 現れたのは、桜色の水干すいかん衣装に身を包んだ三人の美少女である。一人は琵琶を爪弾き、一人は小鼓を打ち、もう一人は鈴を鳴らして舞い踊る。

「……花精ね」

 助教の私・縫目フラ子が呟くと、肩に乗った管狐のテトが小さく鳴いた。

「風情があるが、『魅了』の術式には気を付けんとな。精神を抜かれるぞ」

 島村学科長が警告を発した、その直後だった。

「おおお! 桜色の女神降臨! 命名、サクラクラブ!」

 叫んだのは、鼻血を噴きながら藪から飛び出してきたメガネ、カブ、コゾウの変態三人衆だ。彼らはさっきまで私に「縫目ちゃーん、一口頂戴」と絡み、ジャルジェの警棒で追い払われていたはずだが、今は花精たちに猛烈なアタックを開始していた。

 血走る双眸、鼻血を噴射しながらじわじわ詰め寄る。

「ヒラリちゃん!ハラリちゃん! マイちゃん! 僕たちと合コンしよう!」

 三人の煩悩が臨界点を超えた瞬間、桜の根元の地面が、突如として底なし沼のような泥濘ぬかるみへと変貌した。

「ぎゃああ! 沈む! 足が抜けない!」

 腰まで埋まりながらも花精の手を握ろうとする醜態に、大学職員一同は溜息をつく。

「放置すれば、そのまま来年の桜の肥料(肥やし)にされるわね」

 紅教授は酔いの回った赤い顔で、冷淡に言い放った。

「一度死んでみるのも、教育の一環。いい勉強だよ。ねえ、ジャルジェさん?」

「左様。わが故郷でも、森の妖精を汚す賊は、土に還るのが定めにございます」

 九頭身の金髪騎士ジャルジェさんが、なぜだか私を童女のように、膝に乗せて重箱のカレーを頬張りながら激しく同意した。私も無言で頷く。

「そうはいっても、助けてやらんと。肥料に匹敵する、花精たちの喜ぶことをせねばな……」

 島村学科長はそう言いながらも、腰を浮かせる気配は微塵もない。呑気に予備の缶ビールをプシュッと開けている。

 その時、お囃子が最高潮に達した。

 桜吹雪が渦を巻き、束帯装束に身を包んだ優雅な貴公子が姿を現した。桜翁――その姿はまさに『伊勢物語』の主人公、在原業平その人であった。

「世の中にたえて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし……」

 古歌を詠みながら、業平は金箔の扇を翻して舞う。その優雅な所作に、大気中のエーテルが激しく渦巻いた。

「麻呂の美しき花園が、斯様かような輩に汚されてしまうでおじゃるか。……ささ、吐き捨ててたもれ」

 自然な公家言葉と共に扇が一閃されると、泥濘が爆発した。

 三人衆は泥まみれのまま空中に射出され、斜面を派手に転がり落ちていく。

「楽園追放って、物理的な衝撃を伴うものなのね」

 紅教授の言葉に、私とジャルジェは深く頷いた。

「……ふぅ。最近の若者は、一向に成長せんのだな」

 島村学科長が遠ざかる悲鳴を聞きながら、春の宵に缶ビールを傾ける。

 千本桜の花びらは、何事もなかったかのように、ただ、ひらり、はらりと舞い落ちていた。


 翌朝。

 私・縫目は学内のスタバで紅教授と、食後のコーヒー・フロートを吸っていた。ガラス張りの壁越しに、前日、桜翁による「楽園追放」で、外輪山の斜面をごろごろと転がり落ちていった変態三人衆が登校してきたのが見えた。三人とも泥まみれのボロボロだった。

 三人の前を通りかかった島村学科長が、あたかも何も見なかったのように、横切って行った。

 職員官舎では、自称学園騎士団長ジャルジェが、いつもの朝練で警棒の素振りをしていた。


 了

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