5話
「たまたまアレンたちの痴情を見てしまってな」
「痴情……?キスですか?」
「いや、こう、まぐわっていたわけだ」
「はぁ……、まぐわう。何処でですか?」
「庭園で。それで、父と隣国の王が茶を飲んでいたんだよ。俺は途中で気づいたんだが、まぁ、面白そうだから知らないふりをしたんだ」
そこで知らないふりをできる貴方の肝が気になる。でも、殿下は難しい話をするときは難しいが、人の興味関心を引く分野においても天才的である。これからやらなければならないことがあるというのに足を止めてしまう。
「気になるか?」
「……殿下の話が面白くて悔しいほどです」
まぁ、お前とは違って話の才があるからなと笑われる。
「意識をするとたまに声が聞こえてきてな?もう面白くて面白くて口元がにやけて仕方ないわけだ。それで、父がふとバラの庭を見せたいと言って王を立たせたんだよ。その言葉に女は気が付かなかったがアレンは気づいたようでな?こうガサガサ音がして、虫か動物かと父が様子を見に行ってな。そこでぱっと二人と鉢合わせしたんだ。父は怒りと、バレるわけにはいかないってので焦ってさ。もうそれが面白くて面白くて笑いが止まらなかったんだ。そしたらなぜか女が、父ではなく俺にブチ切れてきて、顔を叩かれた」
ぐっ、ふっ、ははっと、騎士たち全員が笑いをこらえられず吹き出す。
「なんだ。笑えよ。ラニ」
「……いや、あまりに呆れて笑いを通り越すと言いますか。庭園でまぐわう理由がわからなくて」
「結婚目前の一番熱いカップルなど世界が見えず盲目なものなんだろ。いろんなところで報告を聞いた」
ふと後ろに並ぶ騎士たちの声が聞こえる。
「俺見ましたよ。男子トイレで王子と聖女様がヤってるの」
「ヤっているという言い方はやめなさい」
「……すいません」
「私はあそこで見ました。給仕部屋」
「俺は夕方窓ガラス越しに全裸の聖女様を見ました。確かあれは離れの執務室だったと」
頭を抱えるが、殿下はまぁ実に楽しそうだった。
「結婚前に子でもできたら勘当だな」
「縁起でもないことを言わないでください」
「お前な~。人生面白おかしく生きたほうが得なんだよ。他人の不幸なんて笑って楽しめばいいんだ。あいつ等はお前の人生を捻じ曲げたんだぞ。不幸になればなるほどいいと思ってるくらいでいいんだ」
「……そんなにうまい心の整理がつきません」
俯き掛けると盛大にため息をつかれた。
「一生困ったような顔して生きてくんだろうなお前」
また嫌味だった。
「お前ワクワクしたり楽しいなと思ったりする時あるのか?毎日微妙そうな顔しやがって本当に」
「……い、今は少しだけ、前向きな気持ちなのですが」
執務室にいた殿下やウイ、副団長たちまでびっくりした顔をした。な、なんでだ。
「殿下の要望は、アレン王子とはまた違った意味で、頭を悩ませることが多いです。ですが、主人の間違いすら見て見ぬ振りをしていた少し前を思えば、やっと前に踏み出せたような気がしています。殿下に拾っていただけなければ、国の仕事を諦め実家で結婚するしかないと思っていました。い、いつも微妙な顔をしていてすみません。でも、チェスをした時も先日の試合も、私に期待してくださっているのだと、嬉しく思います。お側にいられて幸せです。拾っていただき本当にありがとうございます。アレン王子の心配を今すぐ無くすのは難しいですが、忠義は殿下にあります。最近は夜寝るとき、朝が来るのが楽しみなんです」
目が点の殿下が、分が悪そうに逸れた。そしてぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜられる。
「分かりずらい」
「す、すみません……、」
隊での位を決める模擬戦を行うと、陛下と殿下からのお達しがあり、皆自主練に励む日々が数日続いた。
「ラニ、お前男装は得意か?」
「ぇ、あ、あまりしたことがないですが」
「まぁ、髪は短いし、騎士団の服を着て、胸を潰せば男に見えるか?」
「殿下、こ、今度は何を」
「いや、まだ想定段階だから、とりあえず今言った格好をして模擬戦でいい結果を残せ」
「頑張りますが、殿下に期待するほどの結果を残せるかどうか」
「自信がないのか?」
「自信と言いますが、純粋に第3騎士団での私の実力は上位というわけではなかったもので」
「全力を出せ。お前にこれから任せいたいと思っていることを任せられるかどうかは結果次第だ」
主の期待には応えたい。少し前とはまるで違うのだ。正しいと思ったほうへ進める。それだけでうれしかった。隙間時間は剣術に費やすようになって、出来立ての第一騎士団の真っ黒い制服に袖を通す。鏡で5分もその姿を眺めていれば肩をとんとたたかれた。
「お前もうれしそうな顔をするんだな」
「で、殿下、」
恥ずかしい。
「うれしいか?」
「はい、う、うれしいです。ありがとうございます」
「……、」
無言で顔を眺められ、どうしたのかと聞く。
「純粋な忠義というやつに気圧されている」
「どういう、」
「まぁ、いい。ちょっとこっちにこい」
呼ばれた先は予算の会議のようだった。私は警護として殿下の脇に立たされた訳だが。
「先日の大雨での被害についてですが、」
久しぶりに会う父に、視線で殺されそうであった。話がうまく入ってこない。アレン王子の側にいた時はこういったことも自分の仕事だったはずなのに、怖くて視線が上げられない。
「これで本日のお話は終わりになりますが、陛下、並びに殿下に、別件でお話があり、このままよろしいでしょうか。お前たちは下がってよい」
絶対に、絶対に殺されると、私もそのまま部屋を出ようとして、殿下に腕を掴まれた。
「逃げるな、ラニ。ロス伯爵には説明しておかなければならない」
久方ぶりに父と顔を合わせる。私の父は、この国の財務大臣だ。ロス家は、魔法使いとして、戦争で活躍し、その後生活魔法の発展で功をなした一族だが、伯爵としての位を大きく引き上げたのは父並びに私の影響が大きいだろう。
私がアレン王子の側仕えになったのをきっかけに、この十年で父は王族の血が入る公爵家を除き、貴族社会で一番の力を持つまでに成りあがった。祖父の代では伯爵家の中で秀でた実績のある一族ではなかったのだ。まず魔法使いとは、騎士には及ばないと多少舐められているものだ。
「アレン王子の側近の任を終えたら、実家に戻り、ウェスタン公爵へ嫁げと言ってあったはずだが」
「っ……す、みません」
「何故そんな男のような格好で、この場に立っている」
「それは、その」
「俺がスカウトしました。愚弟では彼女の能力を最大限使えないと思ったからです」
「ですが殿下、ラニはもう20です。このままでは行き遅れてしまう、今なら引く手あまただというのに。せっかく公爵家の方に待っていただいているのに」
「ロス伯爵」
「っ……はい、」
「彼女のためを思っているかとは、聞きません。皆家のために必死でしょうから。ですが、これは伯爵家のためになる話です」
「どういうことですか?」
ぐっと、腰を抱かれる。理解が追い付かず固まった私の耳元に殿下の顔が近寄った。
「俺は結婚の条件にチェスで1時間私に負けない人物だと皆に提示していたんです」
「それは、知っていますが。お戯れでは」
「いえ、ずっと本気でした。先日ラニとチェスをしました」
「まさか」
「そのまさかです。それ以来俺は彼女に惚れています。なので今ある婚約の話はすべて破棄してください。分かりましたか?」
「ッ!!!!そ、それならば、もちろん、今すぐに取りやめにします。婚約の発表はいつなされますか?結婚式は、」
「それは追って、今は、やるべきことがありますから。ただ、そういうことですから彼女はこちらでで預かっていいですね?」
「そういうことならばもちろんです」
私をめぐっての話だというのに、一度も自分は会話に参加することができず、私の視線の先にいた陛下は頭を抱えていた。殿下に気に入られているとは思う。だが、だが、
「惚れてはいないですよね……、」
鼻歌を歌うほど喜んだ父がにっこにこで部屋を後にして、取り残された私は殿下にそう問いかけた。
「今お前をロス伯爵に奪われるわけにはいかない。ラニ、お前は私が何をしようとしているかわかるか?」
「わ、かりませんが」
「考えを放棄するな。何か答えを出せ」
近い距離で視線が合って、睨まれる。殿下の欲するもの。チェスより面白いゲーム。
「……他国ですか?」
肩を抱かれて、頭の上に殿下の顔が乗った。顔が見えないというのに表情の想像がつくのだからおかしい。
「セルお前何を言って」
「父上、やっとやりたいことが見つかりました。俺は父上のように民のための素晴らしい王になりたいわけではない。自分の兵を使って国盗りがしたいのです。父上はまだ若い。あと10年やそこらでどうこうというわけではないでしょう。もう少しだけ俺に自由をくれませんか?」
「何を言ってるか分かってるのか、そんな、さわやかな顔で、お前、戦争を仕掛ける気か」
「やり方はいろいろ考えていますが、父上とラニとチェスをした日、俺は思ったのです。道が開けたと。俺はアレンより真面目に生きてきたつもりです。政治にも戦術にも財務にも興味がありましたから、だが、面白いと思えたことは今日まで一度もなかった。上から盤上を見て戦術を決めるのではない。見えない中で、戦術を考えてみたいのです。ダメですか?」
「意味のない戦争の許可などできるわけがないだろ」
「ですがもう止められませんよ。俺は。アレンのようにバカではないので、申し訳ないが、必ず成し遂げます」
なぁ、ラニ。そう、殿下は笑った。そんなことは私は一度も聞かされていない話だった。
「なぁ、あれ、誰だ。見たことない」
「ロス家の家紋だ」
「武闘大会だろ?魔法は禁止だが、分家か?」
「確かに、本家は娘が3人いたはずだが男児は」
「いや、3人目はアレン王子に仕えていて騎士団にいると聞いた」
「それとも、婿養子を迎えたのか?」
「にしても、ロス伯爵に顔立ちが似て線が細い。剣など持てるのか?」
人に注目される機会など久しぶりであった。殿下の申し出一つ、位を決めるための模擬戦が、貴族の娯楽の武闘大会に変わった。お抱えの私兵も出場できるようになり、皆、自分のお気に入りの兵の活躍を見るために集まって、賭けも行われるらしい。
多少なりとも番狂わせが起こるだろう。第三騎士団は平民が大量に混ざって舐められている。いや、それ以上に、アレン王子の騎士が強いわけがないと、そんなところに配属になってと、多分同情されている。
「第三試合。ペント・タラン対、ラニス・ロス」
簡易な偽名。詳しい今後の計画も聞かないままに、勝手に名義変更されて、今後はどうなるのか。説明してくれたらいいのにと思うが、ここで結果が悪ければ聞かせてもらえないのだろう。
「ふぅ……、」
「ロス家と言えば、魔道で功を成した一族であろう。何故騎士団になど」
「いろいろ事情がありまして。今日は胸を借りるつもりで頑張らせていただければと思います」
彼は第ニ騎士団の部隊長。実力の予想がつかないが、やるだけやるしかない。予選会を終え、5000人ほどから、100人ほどまでに絞られていた。サクサクと勝たなければ体力が持たないだろう。会場からはこの男の部下たちから応援の声が聞こえるが、負けるわけにはいかない。
「っ……ぁ、あれ」
と、思ったのだが、あまりに容易だった。第三騎士団では部隊長になれるか到底怪しい実力なのだが。その後、ベスト8まで非常に順調に勝ち進んでしまった。残るは皆良く知る顔ばかり、身内でつぶし合うのもと思っていたが、私が当たったのは第一騎士団の団長だった。
「団長、そんな女のような奴にけして負けないでください」
「流派もない第三騎士団の剣に決して屈しないでください」
「アルベルト様!頑張ってッ……!」
やりずらいなんてもんじゃない。会場全員に応援されていない。アルベルト・ロージーと言えば、ロージー伯爵の次男。いくら自分がロス家の人間と言えど、繋がってんだか繋がってないんだか分からないほどの分家だったら、皆応援する義理もない。
「ら、ラニ……なんで貴方がこんなところに出てるのかわからないけれど、頑張って……!」
半分も理解してなさそうな姉の消え入りそうな声しか聞こえない。いや、アレン王子も見ているか。聖女様の腰を抱いて、実に不満そうな顔で、私をにらみつけている。この試合に勝って誰が喜ぶのか。いやなため息が漏れる。
「ロス家にもキミのような優秀な剣士がいるとは知らなかった。ずっと第三騎士団で埋もれていたのか?」
「埋もれていたつもりはありませんが、剣の鍛錬は頑張ってきたつもりです」
「実に洗練されている。今日は正々堂々頑張ろう」
「えぇ、よろしくお願いします」
小さなころにパーティーで会っているとはいえるわけもなく。華やかな世界で生きてきた人は人の視線や声を重圧には感じないのだろうなと思う。私は、慣れない視線や声に正直とても疲弊している。今までの努力を称賛されたことなんてほとんどなかった。この剣技を誰かの前で見世物として披露する日が来るなんて考えもしなかった。
さっきは見つけられなかったが、きっと父だって見ていて、信じられないほど怒っているにきまってる。いい結婚先を見つけるためにアレン王子のところへ奉公へ行ったのにお前は何をしているんだと何度言われたか知れない。
本当に応援してくれる人物なんて。
「っ……はぁ……、」
中心で実に偉そうに(いや実際にこの国で誰よりも偉いのだけれども)座る姿を眺める。熱気にあふれた声ではない、ただ小さく、口パクで『がんばれ』そう見えたような気がした。
全然、幻覚、ありえるが。
「それでは、試合始め!」
これから新しい未来が動き出すと信じている。実家に帰り実家の爵位のために結婚なんて絶対にしたくない。私は、まだ、ここで、剣を振るい、主人の側で広い世界を見てみたい。国盗りなんて、そんな面白そうなこと、諦められるわけがない。
姉は他国へなんて行ったことがないだろう。名君だと言われる殿下が夢を持つことを知る人はいないだろう。この国の頂点に必要とされている。それがどれほど名誉で誇らしく、自分にとってどれほど嬉しかったか、父は知らないだろう。
ずっと、ずっと、何年も、最後の2年は、うまく食事の喉が通らないほどに辛い日々だった。でも、今がある。この剣を振り続けた意味を示す時だ。
「その細い腕から、どうやってそんな重い振りを、ッ……!」
随分長い間剣を交えていた気がする。ボロボロだし、ぶっ倒れそうだし、正直ここまでくれば十分だったと思うし。自分がここまでしぶとくたっていられるなんて思いもしなかった。腕つりそう。額の上が切れて前がぼやける。足も腕もあざだらけだろうし。はあ。こんな姿見られたら100%父に怒鳴られるが。勝った。
胸の下で小さくガッツポーズ。腕で血と汗を拭く。髪をかき上げる。楽しすぎるな。殿下とちらりと視線が合って、腕を上げた。
「恥ずかしー奴」
そう笑われた。控室。汗を拭きながら、全身いてーと考えていると。扉が開く。え。誰と。振り向くと。
「殿下」
「遠くで見ても随分だったが、近くで見ると本当にボロボロだな」
「貰った隊服が破れてしまいました」
タオルを取り上げられて雑に髪を拭かれる。
「気にしなくていい。何枚でも作ってやる」
「本当ですか?」
「あぁ、」
「て、いうか、1日試合で汗臭いですよ。あんまり近づかないほうが、」
「褒美は何が欲しい」
視線が合う。
「褒美、ですか」
失望されたくなくて頑張っていたわけで、そんな想定はしていなかった。
「そうだ」
「ゆっくり、考えてもいいですか」
「それでもいいが、お前が本当に欲しいものは無いのか?」
本当に欲しいもの。頭の中で復唱されて、瞬きが数回。濡れた髪に殿下が触れた。
「それなら……捨て、ないでください」
「捨てる?」
「正義に反していても、倫理に反していても、構いません。この先何があろうと、殿下の白が、私の白であると、誓います。だからっ……、突然いらなくなったと、捨てないでください」
ぐしゃぐしゃと、髪に触れる。そして、された、キスは、理解できなかった。触れるだけなのに数秒長くて、驚きすぎて目を開いたままだった。
「褒美だ。取って置け」
取っておく術を知らず、頭をぐちゃぐちゃにしているうち、ボロボロだし、ものの数秒でベスト4は負けた。おいと、殿下に背を蹴られたが、貴方のせいだと言えるわけもなかった。




