6話
麻里は近頃違和感を感じていた。日本という国から、聖女としてこの世界にやって来て、概ね満足する日々を送れていたはずだというのに、ここ数か月思い通りにならないことが増えた。
「マリー。今日は買い物に行くんじゃなかったのか?」
「……買い物には行きたいけれど、好きなリップがないんです。いつもこのリップを塗っていたのに」
「それは、誰かが取ったということか?それなら屋敷のものを徹底的に」
「違う。前までは、前の世界に近い色のものをメイドが言えば渡してくれたのに、前のメイドにはレシピを残して辞めるように言ったのに、どうしても作れないって言われたんです」
そういうと、アレンは薬師と雑事のための使用人を呼びつけてくれた。
「マリーのリップが作れないとはどういう了見だ。ラニにはきっちりと引継ぎをして辞めるよう申し伝えていたはずだし、レシピが残っているなら作れないわけがないだろ」
アレンが薬師の腹を蹴ると、うずくまり、聞こえずらい声で話し始める。
「東邦の……国で採れる花の色から作っていたもので、現状国にある植物で近い色を出すことは困難です」
「ッ、あの高額の経費の話か」
「東邦の国では、200年以上前に聖女様がいらっしゃったという伝承があり、そのおかげで聖女様の元の世界に近い素材が手に入るのです」
「最近食事がアレンと同じものばかりなのもそのせい?以前のようにしてと言っても無理だと言われているの」
「そうです。みそ?やしょうゆ、という素材は現状東邦の国から輸入でしか手に入らないものなのです。聖女様のためを思ってラニ様が取り寄せていたものです」
思い通りの日々は、ラニという女のおかげでなりたっていたのだと言われているようで気分が悪かった。何かが崩れてゆく感覚がする。けして日本で不自由な生活を送っていたわけではない。この世界に来たかったわけでもない。
だが、この世界に来ても、男たちは大抵思うように動いてくれた。悲しそうな顔をすれば彼らは私の見方をしてくれたし、泣けば周りを責めてくれた。だから、まぁ、いいかと思っていた。スマホがない日々も、魔法やこの世界の目新しさに誤魔化されていた。食事の不便も、メイクや服も、小さいことが最近うまくいかない。
降り積もれば大きなストレスだった。
「ラニ様だけ、屋敷に戻すことはできないんですかね?」
ラニという女が限定的に不満で追い出したわけではない。利益を求めて定期的にやって来ては去るバカ女たちがキモかったら追い出したのだ。嫌味を言っても反応が薄い、私以上の理不尽を言うアレンにすら返事と謝罪しか述べない女に、何かを想ったりはしなかった。話を聞くに爵位があるというのに、頭を下げて、何を考えているかわからなくて不気味だっただけだ。どうでもいい存在だったため、価値がないと思いまとめて追い出しただけだった。
それが、分かりにくくも自分のことをきちんと考えていたと知れば、側に置いておくのも悪くないと思う。何より、先日の武闘大会での姿は悪くはなかった。あれならそこらの男より見栄えする。あの姿でいてもらえばいいのではないかと考えたが、アレンはいい顔をしなかった。
「……それは難しいかもしれない」
今までアレンが私の願いを叶えてくれないことなどなかった。いや、よく考えれば、後ろに控えるラニが、何もかもを可能にしていた。学園での叱責も、伯爵家のラニを使えば防げたし、隙を見た嫌がらせもラニは身を挺していた。インクに濡れようと、泥を掛けられようと、食事にゴミを混ぜられようと顔色一つ変えなかった。陛下や殿下と言ったアレン以上の人物からの叱責も、何かあればラニは前に立ち私たちを逃がした。
横領の件を聞いたときは、ちゃっかりしているのだなと感心したが、むしろ、声にも出さず私のために食事やメイクに気を使っていたというなら、いい気持になるが、分かり合えないだろうなと思う。
聖人の顔をしているわけでもなく、ひけらかすでもなく、当たり前のような顔でアレンや私を周り守っていたのだとすれば、余計に理解できない人種である。
本物のいい人間ってなんか苦手だ。キモい。アレンのように下心がないと思うように動かせないだろうし。つまり、金や色気で動かないとは、余計に厄介な女だ。
だがあれは、アレンに忠誠を誓っていたのだろう。アレンのためならば、すべてを可能にする勢いだったというのに。心の奥底で好いていたのだろうと思うし、また雇うと言えば喜んで戻ってくるはずではないか?
「アレン様のお願いをラニ様が無碍にするとは思えないのですが」
「そう、ではない。ラニは僕のことを想っているだろうが、今は兄上に使われているから、そう簡単には奪い返せない。それに兄上はラニを随分気に入った様子だった」
「ラニ様に直接お願いすれば戻ってきてくださるのではないですか?まだ半年ほどですし」
「……ラニに会わせてもらえないんだ。僕のことを気にするから、引き合わせたくないんだろう」
あぁ、厄介な男に捕まっているな。この世界にきたとき、一番最初に目を付けたのは当然跡継ぎであるセルだった。だが、簡単に色仕掛けに引っかかるような男ではなかった。何人かの異世界転移者がいたあの状況で、早急に盤石な地位を手に入れるためには、簡単なアレンを引き入れるしかなかった。欲を言えば、王妃の地位が欲しかったにきまっている。
だが、セルはラニ以上に厄介で、嫌いな男だ。
回りくどく嫌味を言いながら、いつもいつも嘲笑ってくる。元の世界に帰れない可能性を考えれば、一時の欲をかいて、一生あの男の妻など耐えられるわけもない。そんな男に捕まっているとなれば、取り返すのは容易ではない。
「アレン様。ここはひとつ手紙を書くのはどうでしょうか?」
「手紙?だが、」
「会うことは防げても、ロス家に直接手紙を送れば、時間はかかれど必ずラニ様の手元に届くはずです」
「確かに。さすがだなマリー」
「いいえ。色々考えましたが、いくら女性と言えど、アレン様の母ともいえるラニ様は近くにいていただくほうが未来のためであると思い直しました。これから結婚して出産のことなどを考えると結局一人以上は女性が欲しくなりますし、その時ラニ様が側にいるのは一番安心できると思うのです」
「そう、そうだな。本当にそうだ、ラニはどんくさい女が、いざというとき頼りになる」
評価を改められない、まさに、目の前のこのような男が老害とか言うのになるのだろうなと思う。女らしい可愛い反応がなく、貴族社会ではうまくやっていけなかったのだろうが、男の姿をしたラニは、武闘大会のたった一回で評価を一変させていた。
セルが気に入っている。その一言が価値そのものだろう。ぽつりぽつりと屋敷の使用人が入れ替わってゆくのを知っている。使えた人間ほど姿を消していく。あの女の糸がどこまで引かれていたか知らないが、見方を改めなければならないだろう。
ですからと、綺麗な便箋を机から取り出す。代筆を頼んではいけない。つたなくともアレン本人の字でなくてはいけない。机に座り一緒に書きましょうと諭す。
「中身はこうです。今まで苦労を分かってやれなくて悪かったと。そして、キミがいなくなり本当に自分のことを考えてくれている人物が誰だったのか分かったと。今までありがとう、……最後に、キミがいないと僕はだめだとそう書いてください」
セルがラニに会わせないというのは、会わせたくない理由があるということだ。つけいる隙間はいくらでもある。




