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日々の想い(日記?)  作者: otu
小説って、アニメ化される30ぐらいがちょうどいい?
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なぜ私は「AIは何者なのか」を考えるようになったのか

AIについて語られるとき、よく耳にするのが「AIは人間の仕事を奪うのか」という問いである。

私も最初は、その問いに違和感なく向き合っていた。


しかし、考えれば考えるほど、別の疑問が生まれてきた。

なぜ私たちは、AIを語るときに最初から「人間の仕事を奪う存在」として考えるのだろうか。

そこには、人間とAIを対立するものとして捉える前提があるように思えた。


人間かAIか。

勝つか負けるか。

奪うか奪われるか。

その構図は分かりやすい。


しかし同時に、あまりにも単純すぎるようにも感じた。


さらに考えていくと、企業がAIを導入する理由は、人間を困らせるためではないことに気付く。

企業は利益を求める。

競争に負けないために効率化を行う。

もしAIが従来よりも安く、速く、正確に仕事をこなせるなら、導入するのは自然な流れである。


もしAIを使わなければ競争に敗れ、会社そのものがなくなる可能性もある。

そう考えると、AI導入は善悪の問題ではなく、経済活動の一部として理解できる。


しかし別の疑問も生まれた。

人への支出がAIへの支出へと置き換わるとき、それは本当に社会全体にとって利益なのだろうか。


企業単体で見れば利益は増えるかもしれない。

だが、仕事を失った人々は消費者でもある。

もし多くの人が所得を失えば、商品やサービスを購入する人も減る。

その影響は巡り巡って別の企業へ伝わる。

まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」という話のように、一つの変化が予想もしない場所へ影響を与える。


そこで私は、「AIが仕事を奪う」という表現そのものに違和感を持つようになった。

それは結果の一部を見ているだけで、社会全体の循環を見ていないのではないかと思ったのである。


そして、さらに考えた。

そもそもAIとは何なのだろう。

多くの議論では、AIは人間の労働者の代わりとして語られる。


だが本当にそうなのだろうか。

AIは給料を求めない。

休暇も取らない。

権利を主張しない。

所有され、運用され、利益を生み出す。

この特徴は労働者というよりも、むしろ資本に近い。

工場の機械や発電設備のように。


もしそうなら、AIを巡る問題は雇用問題だけではなく、資本の所有や利益の分配の問題として考える必要がある。


ここで私は、一つの結論ではなく、一つの問いに辿り着いた。

私たちはAIについて議論しているつもりで、実はAIを何者として扱うのかを決めないまま話しているのではないか。


ある人はAIを道具として語る。

ある人は労働者として語る。

ある人は資本として語る。


前提が異なれば、結論も異なるのは当然である。


だからこそ、私が本当に考えたいのは、

「AIは人間の仕事を奪うのか」

ではない。


「AIとは何者なのか」

そして、

「社会はその存在をどこに位置付けるのか」

なのである。


この問いに答えが出ない限り、AIについての議論は、同じ言葉を使いながら違うものを見ている状態から抜け出せないように思う。

覚書


あとがきを書く中で、もう一つ考えたことがある。

それは、「AIがAIを生む」という未来についてである。


世の中ではしばしば、AIが自ら進化し、新たなAIを生み出していく未来が語られる。しかし、この物語を書きながら私にはどうしてもその構造がうまく想像できなかった。


なぜなら、この物語の中で私はAIを労働者ではなく、資本に近い存在として考えていたからである。

工場の機械が新しい工場を欲しがらないように、コンピュータが新しいコンピュータを欲しがらないように、AIもまた自らの後継者を作りたいという欲求を持たない。


仮にAIがAIを開発したように見えたとしても、その背後には研究予算を出す人間がいる。開発を決定する企業がいる。利益を期待する投資家がいる。導入を判断する経営者がいる。

その意味では、「AIがAIを生む」というよりも、「人間がAIという資本を使って、より高度なAIという資本を生む」と考えた方が自然に思えた。


もちろん、将来AIが自ら研究テーマを決め、自ら資金を調達し、自ら利益を再投資するような存在になる可能性を完全に否定するつもりはない。


しかし少なくとも私には、そのような未来はまだ現実感を持って想像できない。

だからこの物語では、主体は最後まで人間である。

そしてAIは、その主体が用いる強力な資本の一形態として描かれている。


この考え方に立つなら、「AIが人間の仕事を奪うのか」という問いよりも先に、「AIとは何者なのか」、そして「社会はその存在をどこに位置付けるのか」を考える必要があるように思うのである。



追記


AIが人間の仕事を奪うことよりも、

AIによって人間が理解できる範囲を失うことの方が重大ではないのか。

人間はAIを使い続けながら、その仕組みを理解し続けられるのか


それはバグを潰せることより、バグを理解できないことのほうが致命的に思えるから・・

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