いびつな○
最近、世界の動きを見ていると、どうしても一つの感覚が頭から離れない。
どの国も、「前に進もう」としているように見える。
自分たちなりの正しさや、安全や、未来を守るために、それぞれが行動している。
けれど、その「前進」が、本当に同じ方向を向いているのかはわからない。
むしろ、それぞれが違う方向に進みながら、互いにぶつかり合っているようにも見える。
阿Q正伝 の阿Qは、世の中に順応しようとしていた。
間違っていたかもしれないが、それでも彼なりに「前に進もう」としていた。
それでも、最後は排除された。
その姿を思い出すと、今の世界もどこか似ている気がする。
どの国も、自分たちの正義の中で成長しようとしている。
けれど、その成長が、他者との衝突を避けるものではなく、むしろ強めているように見える。
ここでふと、「いびつな○」というイメージが浮かぶ。
本来、○は完成や調和、閉じた安定を意味するはずの形だ。
すべてがつながり、途切れず、均衡が取れている状態。
けれど、もしその○を、それぞれが自分の正しさだけで描こうとしたらどうなるのか。
少しずつ歪んだ線が重なり、
互いに押し合い、削り合い、
一見すると円の形を保っているのに、どこかが膨らみ、どこかが欠けている。
それでも描き続けることをやめられない円。
完成に向かっているはずなのに、完成から遠ざかっていく円。
それが、自分には今の世界の姿に見える。
日本もまた、その円の一部を描いている。
これまで守ってきた形を少しずつ変えながら、「外の世界」に適応しようとしている。
その動きはここ最近、急に加速しているようにも見える。
2026年4月には、防衛装備品の輸出に関するルールが見直され、これまで強く制限されていた武器の海外提供が、より広い形で可能になった。
さらに同じ時期に、自衛隊の階級呼称も、海外の軍隊に合わせた名称へと変更する動きが進められている。
これらは個別に見れば、国際社会に適応するための現実的な調整なのかもしれない。
しかし時系列で重ねて見ると、「変化」が一度に進みすぎているようにも感じられる。
それが必要な変化なのか、それとも何かを失う変化なのかは、まだわからない。
ただ一つだけ確かなのは、
すべてが「正しいつもり」で進んでいるということだ。
だからこそ、怖い。
もしもこのまま、それぞれの「前進」が重なり続けたら、
その先にあるものは、本当に望んでいた未来なのだろうか。
世界が描こうとしている円は、
どこかいびつに歪み続けている。
それでも、止まることはできないのかもしれない。
だからこそ、せめて自分は、この違和感を忘れないでいたい。
何が正しいのかはわからない。
けれど、「何かがおかしい」と感じている自分の感覚だけは、手放さずにいたいと思う。
あとがき
最近のニュースで語られるイランをめぐる緊張や、ホルムズ海峡の封鎖といった言葉を目にするたびに、 自分はいま、すでに世界大戦の中にいるのではないか、という感覚が消えない。
それが現実なのか、ただの恐怖なのかはわからない。
けれど、ひとつ思うのは、 どの国も破滅を望んでいるわけではなく、 それぞれが「自分たちなりの正しい円」を描こうとしているだけなのかもしれない、ということだ。
どこも間違っていない。だからこそ衝突が止まらない。のかもしれない・・
その円が、互いに重なり、押し合い、歪んでいった先に、 いびつな形としての現実が現れているのだとしたら、 自分はいま、その途中に立っているのかもしれない。




