合理性とグレートリセットについての考察
まえがき
本書は、現在語られている「グレートリセット」について、その真偽を論じるものではありません。
また、特定の組織や個人が世界を意図的に支配していると断定するものでもありません。
ここで述べる内容は、「人間は合理性(模倣)によって行動する」という一つの仮説を前提に、もし社会がその原理に従って動いているとしたら、世界規模の制度変化はどのような条件で起こり得るのかを考察した思考実験です。
この考察には、私自身の解釈や推測が多く含まれています。
そのため、事実や結論を示すことを目的としたものではなく、一つの視点として読んでいただければ幸いです。
この考察は、「人間は合理性(模倣)によって行動する」という仮説を前提としている。
合理性とは、現在利益を生み出している仕組みを維持しようとする性質である。
そのため、既存の制度が機能している限り、多くの人は大きな方向転換を選びにくい。
一方で、その仕組みでは対応できない危機が起きると、それまで合理的だった選択は合理的ではなくなり、新しい制度や価値観への移行が始まる。
歴史を振り返れば、世界恐慌、戦争、大規模災害、感染症の流行など、人類の制度が大きく変化した背景には、多くの場合、それまでの仕組みでは維持できなくなるほどの危機が存在していた。
この考え方に立てば、「グレートリセット」が誰かの意思だけで実現できるとは考えにくい。
社会全体が合理性によって動いているなら、人々は利益を生み続ける既存の仕組みを自ら放棄する理由を持たないからである。
仮にAIバブルやドルバブルの崩壊によって世界経済が大きく変化したとしても、それだけで資本主義そのものが終わるとは考えにくい。
歴史上も、大きな金融危機の後には制度の修正は行われても、利益を追求するという基本構造そのものは維持されてきた。
つまり、人間が合理性を行動原理として持ち続ける限り、資本主義を完全に捨て去ることは容易ではない。
ここで一つの疑問が生まれる。
もし誰かが意図的に世界規模の「グレートリセット」を実現できるのだとしたら、それはどのような方法によって可能になるのだろうか。
この仮説では、二つしか考えられない。
一つは、人々が自発的に従わざるを得ないほどの巨大な危機が発生することである。
もう一つは、人々の意思を超えて従わせるほどの強い管理や統制が存在することである。
もし後者によって世界規模のリセットが可能になるのであれば、それは人間が主体として社会を選択している状態ではない。
人間は自由な意思を持つ存在ではなく、管理対象として扱われる存在になる。
私は、そのような社会は「人間の家畜化」と本質的に大きな違いはないように感じる。
もちろん、これは現実にそのような計画が存在すると断定するものではない。
あくまで、「人間は合理性によって行動する」という仮説を前提とした場合、**もし世界規模のグレートリセットを意図的に実現できるとするなら、その社会は自由な選択によって成立する社会ではなく、人間を管理対象として扱う社会にならざるを得ないのではないか**、という一つの思考実験である。
あとがき
この考察を書き進める中で、私が最も疑問に感じたのは、「人間は本当に自ら大きく方向転換できるのか」ということでした。
もし人間が合理性によって現在の仕組みを維持し続ける性質を持つのであれば、大きな制度変更は、それまでの仕組みでは対応できない危機によって初めて現実味を帯びるのかもしれません。
一方で、もし危機を伴わずに世界規模のリセットが意図的に実現できるのだとすれば、それは人々が自ら選択した社会ではなく、人々の意思を超えて社会を動かせる何らかの強い力が存在することを意味します。
私は、そのような社会は、人間を主体として扱う社会ではなく、管理対象として扱う社会になってしまうのではないかと考えています。
もちろん、これは現実にそのような計画が存在すると主張するものではありません。
あくまでも、「合理性」という視点から社会を見つめたときに生まれた、一つの思考実験です。
最後に
もし各国が自国にとって合理的な行動だけを積み重ねるなら、その結果として世界規模の危機が生まれる可能性はある。
しかし、それは必ずしも誰か一人が世界大戦を計画していることを意味しない。
また
「戦争は誰か一人の意思だけで続いているのではなく、それぞれが合理的だと信じる選択を積み重ねた結果、誰も止められなくなっているのかもしれない。」




