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雲を払って(2/5)

 出会いは法国の首都の大通り。俺は口やかましい家庭教師や両親に嫌気がさして、屋敷を抜け出して町をふらついていた。

「神に祈りなさい」

「神に感謝を」

「おお神よ」

 法国の通りではいつも太陽に向かって祈りを捧げる人々の姿を見ることができる。生者を見守る太陽と、死者を抱きしめる月を神として信望する法国ではありふれた光景だ。特に信仰心の強い者の多い首都では当たり前に行われていること。

「ばっかみたいだ」

 法国を守る歴史と伝統のある黒の騎士の家系に生まれた俺も、当然そうした宗教教育は受けている。だが俺はどうしても神というものを信じることができなかった。自分の力でできるはずのことを自分でせず、神に頼ろうという性根が理解できない。あの時の俺は本気でそう思っていた。なまじ優秀だったことがその原因だろう。なんでも人並みにやれば人並み以上にできてしまう俺は一族の者から神童ともてはやされ、知らぬうちに調子に乗っていた。できないことなどないと信じていた。

 ともあれ俺は堅苦しい屋敷を抜け出し、神に祈る者こそ多いが活気にあふれているこの町を放浪することを好んだ。通りの喧騒、裏路地にいる怪しい売人、スラム街の荒廃した光景。それら全てが俺にとっては新鮮で色鮮やかに見えた。今日はどこに行こうか、そう思っていた時、俺の目は一人の少女をとらえた。

 純白の衣服を身に包んだ美しい少女。明らかに上流階級にいるであろう彼女はメモを片手に不安げに周囲を見渡す。いくら治安のいい首都とはいえ、あんな風にしていると質の悪い悪党に捕まりそうだ。

「おい!どうしたんだ!」

 ならば俺が先にこの少女を助けてやろう。その程度の考えで俺は少女に声をかける。

「え?あ、えっと。その⋯⋯」

 少女はしどろもどろになって俺を上目遣いで見る。警戒されている、わけではないようだ。単に見知らぬ男に声をかけられて緊張しているだけらしい。口をパクパクさせる彼女にしびれを切らし、俺は少女の持っていたメモを取り上げた。

「あっ⋯⋯」

「えぇと何々?これは⋯⋯地図か。何?お前大聖堂に行きたいの?」

「は、はい」

「なら連れていってやるよ」

 俺は少女の手を引く。なびいた彼女の白い髪から花の香りがして、少女の金色の瞳が目一杯開かれる。俺はそんな少女を横目に悪戯小僧の笑みを浮かべて走り出した。


「あ、ありがとう」

 大聖堂に着いて俺は少女の手を離した。それからもじもじとしてその場に突っ立っている。

「なんだよ。ここに用事があったんだろ?」

「はい。そうなんですけど⋯⋯」

「もしかして中までついてきて欲しいのか?」

「はうっ」

 申し訳なさそうに頭を小さく何度も下げる少女に俺はため息をつく。だが内心悪い気はしていなかった。なにせ相手は美少女だ。困っている美少女を助けるという状況を夢想しない男は少なくないだろう。ありきたりな冒険劇や英雄譚の始まりにはぴったりのシチュエーション。抜け出した屋敷での一幕にほのかな興奮を感じていたのは事実だ。

 ともかく俺は「こっちだよ」と再び少女の手を引いて、大聖堂の中に入る。大聖堂は法国での最大規模の神殿で、誰でも中に入ることができ、祈りを捧げることができる。聖堂に入った少女はようやく俺の手を離れて、奥へ祈りを捧げに行った。太陽の光が入るように天井がステンドグラスになっている聖堂の中で、一心に祈りを捧げる彼女は絵画の一枚絵のようだった。

「何を祈ったんだ?」

「え、あの⋯⋯」

 祈りを捧げて帰ってきた少女に問いかける。少女は眉を八の字にしながらそれでもはっきりとした口調で答えた。

「平和、です」

「平和?」

 平和。つまり戦争が終わること。言うだけなら簡単だが実現するのは難しい。この大陸は小さな国に分裂し、日々新たな国が生まれては滅んでを繰り返している。法国はその中でも長い歴史を誇る国で、国力もあるから国内にいるだけなら平和だ。しかし一歩国を出れば危険にあふれている。実際周囲の国と法国は敵対関係にあり、いつ戦争が始まってもおかしくない状況が長年の間続いていた。

「はい。この大陸の戦争が全て終わればいいなと、神に祈りました」

「ばかばかしいな」

「はうっ。ど、どうして⋯⋯」

 真摯な願いを否定され、少女は涙目だ。

「神に祈る前に自分の力でどうにかしようとしろよ。神は見守るだけで何もしてはくれねぇよ。違うか?」

 こう強く言ってしまえば涙目の少女は何も言えなくなってしまうだろうな。ちょっとした悪戯心をこめた言葉。だが俺の予想は裏切られる。

「その通り、だと思います」

「は?」

「神は何もしない。ただ見守るだけ。けれど熱心に祈りを捧げる人になら、背中を押してくれる⋯⋯かもしれません。私はまだ子ども、ですからできることは少ないです。だけど大人になったら平和になるように頑張る、んです。そんな私を応援してくれるように、今から祈りを捧げている⋯⋯んですよ」

 少女は相変わらずおどおどとした様子の中に強い芯があることが強く感じられた。浮世離れした少女の実現できなさそうな望み。だがその望みが叶えばいいとこの時の俺は思ったのだ。

「な、名前⋯⋯」

 少年だった俺は思わずそう口走る。この出会いをここで終わらせてなるものかと。

「え⋯⋯?」

「だから⋯⋯その、名前だよ。俺はヌーベス。お前は?」

「ヌー、べス?」

 少女はヌーベスという名前を聞いて目を泳がせた。しかしすぐにそれを取り繕って少女も答えた。

「私はモルア、といいます」

「そっか」

 これが俺とモルアとの出会い。俺もモルアの12歳の時の話。俺は舞い上がっていて、この時俺の名前にモルアが目を泳がせた理由をもっと深く考えることはなかった。

 もしこの時気づいていれば、他の方法もあった。隠し事なしの関係を築くことができた。或いはこの場で別れてもう二度と会わない選択だってできたはずだ。出会ってはいけない関係もある。まだ淡い感情の時に離れた方が幸せなこともある。しかし時は戻らない。愚かな俺は少女との出会いに心躍らせ、少女もまたヌーベスという少年に心を動かしてしまった。


 それからも度々俺とモルアは首都で会うようになった。偶然会うこともあったし、示し合わせて来ることもあった。約束して俺が屋敷を抜け出せずに行けないこともあったし、モルアも事情は似たようなものだったからその逆もあった。時には二人とも抜け出すことができずに、後日互いに謝りあって笑うこともあった。

「ヌーベスは戦争をどう思う?」

「どうって⋯⋯正直どうでもいい」

「ひどいです!」

 ある日の会話。何度も繰り返した会話だ。俺たちは何度も逢瀬をかわすうちに仲良くなって、言葉遣いも随分親し気になっていた。モルアは相変わらず世界平和を本気で望んでいて、俺はそんなモルアのことは応援していたが、俺自身は戦争をしようがしまいがどちらでもいいと思っていた。戦争をすればいくらかの命はなくなるが、勝てば領地や金が手に入る。勝てば儲かり、負ければ損をし、時には滅ぶ。それだけの話であり、戦争はいわば手っ取り早い外交手段の一つでしかない。

 だがこの「戦争」という言葉が長い間縁遠かった法国の首都においても、最近盛んに取り沙汰されるようになった。法国の周囲の国との関係が悪化し、こちらから攻めるか、それとも戦争回避に尽力するかで国の意見はきっぱりと二つに分かれた。

 厭戦派のトップは黒の騎士の家系。つまり俺の家だ。黒の騎士の家系は守りを主とする。攻められれば攻め返すが、あえてこちらから攻める必要はないという考えだ。対する主戦派の急先鋒は白の騎士の家系。法国の力を見せつけることで、周囲の国を黙らせるべきという考えだ。法国においてこの黒の騎士の家系と白の騎士の家系は特別だ。法国開闢以来、法王のすぐ近くで護衛を任されてきたという実績は、伝統を重んじる法国において何よりも重い。だがそれ以外にもこの二つの家系が重視される理由があった。

 『黒き衣』と『白き剣』。家宝のように両家に伝わる異能だ。初代黒の騎士と白の騎士が身につけていたというこの異能は父から子へ、子から孫へと伝わってきた。継承者によって性質はやや異なるが、事象を遮り守りを担う『黒き衣』と事象を断つことに優れた『白き剣』は、次世代で最も優秀な者にしかるべき時に引き継がれる。血順にとらわれず、格式のある異能によって優れた長を輩出し続ける両家は、揺るぎない権力を確保し続けてきた。そしてその事実は俺自身にものしかかっている。

 つい先日俺に祖父から『黒き衣』の譲渡がなされた。父を通りこしてそのまま俺へ。これは異例であり、また誇るべきことでもあった。『黒き衣』がまだ15の俺もことを酸いも甘いも噛み分けた父より優秀であると証明した。黒の騎士の家長はしばらく父が務めることになるだろうが、いずれ俺が家長になることだろう。その時の情勢によるが下手をすれば俺の選択が戦争をするか否かに直結しかねない。それを考えればモルアの問いにどうでもいいと答えることは間違っている。

 しかし、しかしだ。戦争したいならすればいいとも俺は思うのだ。むしろ勝てる見込みがあるなら戦争するべきだ。下手にくすぶらせて長引かせるよりもきっぱり戦い白黒つけたようがいい。

「戦争は⋯⋯駄目ですよ。はい。駄目なんです。戦って何が得られるっていうんですか。そんなの⋯⋯嫌です」

「⋯⋯」

 モルアの言葉は俺には向けられていない。こういうことが最近増えた。戦争を嫌うモルアは特に神経質になっている。何かに追い詰められたかのように戦争は駄目だ、争うことは正しくないとつぶやき続ける。

「どうしてそこまで」

「はい?」

「どうしてそこまで戦争を嫌うんだ?」

 モルアは戦争を厭うが故に苦しんでいる。なら目を背ければいいのに。自分には関係のないことだって背中を向けてしまえば楽になる。苦しむモルアを俺は見たくなかった。

「だって⋯⋯人が死んでしまうんですよ。死ななくて良かったはずの人の命が失われる。そんなの、嫌です」

 モルアは顔をくしゃくしゃにゆがめて涙をこぼす。彼女の白い髪が揺れる。モルアと出会って3年。モルアはますますきれいになった。性根の優しさはそのままに、強かさも身につけた。けれどこうして時折モルアは俺に弱さを見せる。そのことが俺はたまらなく嬉しく、しかしそのことに罪悪感も覚えていた。

「そっか。なら頑張らなきゃな」

「ヌーベス?」

「モルア。俺、頑張るから。だから⋯⋯」

 戦争で国に利が出るなら戦争をすればいいと思う。けれどモルアが戦争を嫌だというのなら、俺は戦争をしないですむようにできることをやろう。世界を動かすのは神ではなく人なのだから。

「ヌーベス⋯⋯」

 モルアの潤んだ瞳が俺を捉える。その目に俺は胸を掻きむしるような衝動に襲われる。モルアを抱きしめて、口づけをかわしたい。モルアを独占したいという醜くあさましい俺の感情。モルアは俺のことを嫌ってはいない。嫌っていればこうして何年も逢瀬が続くことはなかっただろう。だからモルアは受け入れてくれるかもしれない。

 しかし、俺とモルアが結ばれることはない。モルアも俺も上流階級の出だ。本人の意思と婚姻の相手は別。お互いそれを分かった上での付き合いだ。

「本当に、頑張るから」

「あ⋯⋯」

 感情を押し殺して頑張るからと何度もつぶやく。ふと、モルアの白い髪を見て主戦派の急先鋒である白の騎士の家系の噂を思い出した。俺が『黒き衣』を引き継いだように、白の騎士の証明である『白き剣』も継承があったらしい。だが誰が引き継いだのかが全く分からないのだ。白の騎士の家長は主戦派で苛烈かつ厳格な老人だが、その彼と性格がよく似た優秀な息子に引き継がれたわけでもないらしい。それで白の騎士の家は今大慌てで『白き剣』を引き継いだ者を探しているとかなんとか。

 あくまで噂。自分が黒の騎士と言っても関わりのないものだと思っていた。しかし、俺はこの噂とモルアの変調に気をかけておくべきだったのだ。この時点で気づけるのは俺だけだったはずだから。まだかろうじて間にあったはずなのだから。

 俺はいつも大事なサインを見逃してしまう。 


 ともあれその日から俺はモルアと会うことを止め、自身の研鑽に励んだ。黒の騎士として戦争を回避するために。そのための実力と実績が必要だ。それを切り出した時のモルアの寂しそうな、けれど少し安心したような表情の意味を当時の俺は考えたことがなかった。

ともかく俺はその日から剣の腕を磨き、魔法の勉強をし、異能を使いこなせるように訓練を重ねた。神童たる俺が成果を表すのは速かった。今まで真剣にやってこなかった分を取り返すようにメキメキと上達した。剣の腕では誰にも負けなくなり、魔法の知識も魔導士顔負け。俺の持つ異能は二つ。一つは身に纏う強固な鎧になる『黒き衣』。そしてもう一つは『水晶の生成』だ。攻撃にも防御にも使える水晶を生成するこの異能は、しかしその本量は魔法の触媒としての機能にあった。水に強い水晶は水に関する魔法の万能の触媒となり、熱に強い水晶は火に関する魔法の万能の触媒となる。この異能と身につけた魔法の知識と合わせれば、それだけで超一流の魔法使いになれたし、『黒き衣』の鎧を身につけて剣を振るえば、それでもう誰にも負けない剣豪だった。

だが世界はどこまでも残酷だった。歴代最強の黒の騎士とまで言われた俺に、法王崩御の連絡が来たのはモルアと最後に会ってから一年後のことだった。


 法王の戴冠式もつつがなく終わり、舞踏会へ。だが俺の心は晴れなかった。

『我々法国は信仰を守るために戦うことも辞さない』

 中立の立場だった先王とは異なり、その息子である今の法王は主戦派だ。モルアの願いは叶わず、法国は開戦に向けて舵を切ることになるだろう。

 戴冠を祝う舞踏会は法国の名家の者がほとんど集まる。無論、黒の騎士と白の騎士の家系の者は全員出席する決まりだ。その舞踏会、俺は父から一つの密命を預かっていた。

『白の騎士が誰か見極めて来い』

 結局一年経っても『白き剣』を誰が受け継いだか分からなかったらしい。しかし『白き剣』と対になる『黒き衣』を持つ俺なら『白き剣』の継承者が誰かが分かる。共鳴というか、気配を感じるのだ。黒の騎士の家が白の騎士の家に先んじて継承者が誰かを知れば、それは黒の騎士の利につながる。

特に『白き剣』の持ち主を見つけられない白の騎士の家系は揺れている。法王が主戦派であるとしても黒の騎士の家系が上手く立ち回ることができれば、まだ意見の総数は均衡。そして均衡状態は厭戦派にとって有利に働く。

 継承者が異能の継承に気づいていないはずがない。だというのにそれを隠しているということは何か事情があるはずだ。例えば戦争が厭戦派であるとか。父の言いつけ通りに俺は『白き剣』の持ち主を探す。『黒き衣』を完璧に御しきれていなかった昔ならいざ知らず、今は俺も『黒き衣』を完全に扱いきれている。実際舞踏会の会場は広かったが、『白き剣』の存在を感じることができた。

 継承者を探して会場をさまよう。気配の強い方へ強い方へと進んでいく。しかし『白き剣』の持ち主は気配をよほど巧妙に隠しているのか、希薄な気配を捉えることが難しい。そんな時だ。俺は見つけてしまったのだ。『白き剣』の持ち主を。

「嘘だ⋯⋯」

「ヌーベス⋯⋯?」

 心の揺れが『白き剣』の気配をもらす。その出所は間違いない。白い長い髪に金色の瞳。浮世離れした美を醸し出す少女から女へと変貌を遂げている最中のその人は。

「モルア⋯⋯」

 俺が愛し、戦争を誰よりも嫌ったモルアだった。

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