太陽と笑って 幕間(1/2)
幕間なのに1/2という
「傷はもう大丈夫なの?ソウラ」
「ええ。もうすっかり。カームこそどうなの?異能で治さなかったんでしょ?」
「まぁうん。この傷はちゃんと時間をかけて治すべきだと思ったから」
「そうなの」
ソウラは甘い笑みを浮かべる。カームもそれに困った顔をして、しかし彼もまた笑みを浮かべる。あんな表情をするカームを見るのは3年ぶりだ。そのことが嬉しくもあり、また歯がゆくもあった。
戦争の祝勝会をしていると、駐屯地の片隅からおぞましい殺気を感じた。急いで駆けつけて見ればカームとソウラが戦っている。それが模擬戦なんて生優しいものではないことはすぐに分かった。互いが互いに殺意を込めて剣を振っている。何度も止まるように呼びかけても、二人とも耳を貸してはくれない。後から聞けば、実際に聞こえてなかったらしい。力づくで止めようにも二人の技量は俺たちとかけ離れ過ぎていて、近寄るだけで殺されそうな有様だった。
だがそれ以上に俺たちは目を奪われていたのだと思う。カームとソウラの織りなす戦いに。刃が踊り、剣がぶつかる。剣に込められた心と心がぶつかる様はあまりに美しく、つい見とれてしまった。
結局ソウラがカームに刀を突き刺して決着がついた。そしてカームは変わった。いや、カームは帰ってきたと言うべきか。⋯⋯それも違うのかもしれない。カームは壊れてなんていなかった。ただ俺たちから距離をとっていただけ。カームは自らの意志でまた俺に近づいてくれた。
そうだ。カームは自ら歩み寄ってくれた。俺は何もしていない。
『ごめんトオラ。今まで迷惑をかけた』
気を失ったソウラをテントに運び、治療を施した後の言葉だ。ソウラは命に関わるはず傷をいくつも負っていたにも関わらず、命に別状はなかった。カームの腹に空いた傷も重症のはずだったが、手早く自分で手当てを施して後はずっとソウラの付き添いをしていた。翌朝ソウラの目が覚めると、自身の怪我を気にする様子もなくあの女はしつこくカームにつきまとい、カームもまんざらでもない様子だった。その様子を見ていられなくて、後処理を他の傭兵に任せて俺は一人馬に乗ってアウィスのもとへ向かった。色んな感情がない交ぜになって、今普段の陽気さを偽れる自信がなかった。早馬で駆けること5日。アウィスの元にたどりついた俺は何も言わずに戦争に加わった。アウィスはそんな俺に何も聞かなかった。その時の俺は一体どんな顔をしていたのだろう。無心で戦い続けること10日。カームたちが合流した。
柔らかな表情を浮かべるカームを見て、アウィスはただ涙をこぼして彼に詫びていた。後悔。あの日から3年間、アウィスの胸の中心にある最も大きな感情はそれだったのだろう。カームを利用して傭兵団を立て直した後悔。壊れかけたカームを救うことのできなかった自分への後悔。地面に頭をつけて謝り続けるアウィスにカームは一言「もう大丈夫だから」と言った。その隣にはソウラが立っていて、そのことが俺の心にさざ波を立てた。古参の傭兵たちもカームに詫び、カームもまた彼らに詫びた。新参の傭兵たちはカームの急な変化に戸惑ったようだったが、直に慣れた。カームは彼らにも詫びを入れ、彼らもまたカームのことを快く受け入れた。参加していた戦争は手負いながらも隔絶した実力を誇るカームとソウラの介入により、あっという間に終結した。その時に傭兵の一人がソウラのことを『美貌の双剣士』などという二つ名で呼び、ソウラに殴られた。ソウラもカームも晴天傭兵団に馴染んできて、傭兵団に本当の笑顔が帰ってきた。
けれど俺の心はささくれだったままだ。この気持ちに名前を付けるとするならば、どんな気持ちになるのだろうか。
これはカームの真っ白な髪に薄い蒼が戻り始めた頃の話だ。
「君の今抱いている、名前の付けられない感情は『嫉妬』だよ」
それは俺が高級な酒場で一人酒を飲んでいた時のこと。いつかのアウィスのようだと自嘲しながら酒を飲んでいると、背後から声をかけられた。振り向けばそこにいたのは黒いドレスを着た長い銀髪の妖艶な美女。おそらく娼婦だろう。こういうことはよくある。俺が晴天傭兵団の副団長だからか。あるいは顔の造形が整っているからか、俺に声をかける女は多い。ただしその下に薄汚い二心を持って。
この女もその類だろう。かけられた言葉が気になったが、女を言う通りにしてしまうような、しかし突き放した調子で答えた。
「ははっ。すまないねお嬢さん。俺は一人で飲みたい⋯⋯」
「下手な嘘をつく必要はないよ。自分を偽る君はとても辛そうだ」
「気分⋯⋯」
女の銀の瞳が俺を見透かす。ばれている。はったりではなく、この女は俺が陽気な男を演じていることに気づいている。
「初めまして。僕はアルカントゥーム。変な名前でしょ?アルでいい。君の察している通り娼婦をやっている。けれど娼婦という言葉は好きじゃないんだ。夢を売る女。『夢売女』と、呼んでほしいところな。少しお話をしないかい?お兄さん」
奇妙な名前をした奇妙な女はそう言って無垢な少年のように笑った。
俺の分とアルの分を注文して、向かい合って机に座った。
「それで?話とはなんだ」
ばれているのであれば隠す必要はない。とげとげしい敵意を見せながらアルに相対する。
「うん。そっちの方がいいね。君らしい」
「茶化しているのか?」
「いや?僕の素直な感想さ」
「不愉快だな」
「ひどいな。こんな美女と話ができるんだよ?ちょっとは喜びなよ」
「そうかよ。喜んでる。喜んでるさ」
「分かりやすい嘘。そもそも君は女に対して情欲というものを抱いたことがないんじゃないの?」
アルは両手で頬杖をついて蠱惑的な視線を向けてくる。だがそれに全く感じることがないのは事実だ。
「⋯⋯なぜわかる」
「そういう異能があるのさ」
アルはクスリと笑う。異能、その言葉で警戒を強くする。微笑みを浮かべたまま、酒場の店員が持ってきた酒を軽く一口。「うん美味しい」とつぶやく。
「異能者か」
「君もだろ?」
ウインクして平然と答えるアルに底知れない恐怖を感じた。無意識のうちに腰に剣があることを確認してしまう。その事実に愕然とする。
「怯えなくてもいいよ。驚かなくてもいい。言っただろ?僕は夢を売る女だ。この酒場での夜は一夜の夢。なら思うことを話してしまえばいい」
「⋯⋯夢を売るというのなら、対価にお前は何を求める」
「お代ならもうもらってるよ?」
「なんだと?」
「僕の異能は心の本質を見ること。そしてそれに引っ付いている感情を読み取る能力だ。君は本当に面白いよ。それこそお代代わりにしてもいいくらいには。ここまで本質と本音と上辺がかみ合ってない人は初めてだ」
「⋯⋯帰る」
もう堪えきれなかった。トオラという人間が見透かされて、上っ面をはがされる。耐えがたい恐怖だ。俺の言葉にアルは驚くでもなく、むしろ当然とでも言うような顔だった。
「そうかい。じゃあまたねお兄さん」
「また」の機会はない。そう言おうと思ったが、結局何も言わずにその場を立ち去った。
「へ?銀髪に黒いドレスを着た娼婦ですかい?」
「そうなんだ!いやぁ昨日一人で飲んでたら声をかけられてね。ついドギマギしちゃって逃げちゃったんだ。それで、さ」
翌日、昨夜会った女のことが忘れられなくて、夜遊びが好きな傭兵に話を聞いてみた。この町に来てこう三日。この男なら馴染みの娼婦を一人くらい作っていてもおかしくない。案の定、男から答えは帰ってきた。
「副団長にもそういうことってあるんすねぇ⋯⋯。いつもはちょちょいと女の子を引っ捕まえちまうのに。ああ、副団長の言ってるやつは有名っすよ。アルって名乗ってます」
「へぇ。有名なのか!まぁあれだけの別嬪さんだ!有名でもおかしくはないか!」
いつものように陽気でおどけた晴天傭兵団の副団長。けれどそのふりをするもの今日はいつも以上に空虚に思えた。本当の俺は陽気でもなければ、おどけることも好きではないのだから。
「いえいえ、美人なのは事実っすけど有名なのは別の理由っすよ」
「別の?」
「へい。そのアルって娼婦は娼婦を名乗るくせに体を売らないんすよ。もったいねぇ。客も選ぶし、取っても抱かれるでもなく話をするだけ。変わり者だし目障りだって他のお姉ちゃんたちは言ってったすね」
「⋯⋯そうか」
「副団長?」
「あ、ああ!ありがとう助かったよ」
仕事があるからと男に小銭を握らせ、足早やに立ち去る。仕事なんてない。仕事を探しに周囲の国を回るアウィスが帰ってくるまでは暇だ。せいぜい書類を整理したり、団員の編成を考えるくらいだ。
部屋に戻ったが、その仕事をする気力すらわかず、俺はベッドに横たわった。
「俺は何をしているんだろうな」
うたた寝していたら夜になった。目が冴えて今日はもう眠れそうにない。俺は宿屋を出る。足は自然と昨日来た酒場に向かっていた。会いたくない気持ちと会ってみたい気持ちが混同する。馬鹿なことだ。アルが今日もここにいる確証なんてないのに。
「やぁ。また。会ったね」
扉を開けるとアルが昨日と同じ姿でそこにいた。そのことに安堵する自分がいた。
「偶然だ」
「嘘つき」
俺の言葉に笑みを含めて即座に返す。自信に満ちた表情。もうそのことにいら立ちもしない。
「人から聞いた。随分と変わり者で通っているらしいな」
「僕も聞いたよ。有名な傭兵団の副団長だったんだって?知らなかったよ」
なにせ僕はお仲間の娼婦たちから嫌われているから、とアルは事もなさげに言う。
「そんな嫌われ者がどこから情報を得ているのやら」
「おやおや、僕の知り合いに娼婦しかいないと思ったら大間違いだよ。傭兵にも傭兵以外の知り合いがいるのと同じさ」
「そうとも限らないと思うがな」
現に俺は傭兵以外の知り合いは少ない。仕事で軍の人間と会うこともあるが、流れの傭兵だ。身内以外の知り合いなんてそうそういない。
「君くらいだと思うよ。ほら、君らがこの町に来てから娼婦に傭兵の知り合いが増えた。そうでなくともどこかで人の縁は生まれていくものさ」
反論は、できない。俺が身内以外と深く関わってこなかったのは事実だ。俺にとって一番大切なのは晴天傭兵団であり、それ以外の価値は俺の中で驚くほどに低い。
「『楽しいことがあったらとにかく笑え!』、いい掟だと思うよ。だけどそのために君が自分を偽ってまでそれをする理由はなんだろう」
「ちょっと待て。どうしてそれを知っている」
傭兵団の掟は隠しているわけではないが、特別言いふらしているわけでもない。アルの言ったことは晴天傭兵団の内部にいる者しか知りえない情報だ。
「知りたいならこっちに来なよ」
ちょいちょいとアルが手招きする。そこでようやく俺は入り口に立ったまま、アルと話をしていたことに気づいた。ため息を一つついて俺はアルの向かいの席に座った。
「それで?どうしてお前は⋯⋯」
「知り合いに聞いたんだよ。言ったでしょ。人の縁は思いもよらぬところで広がるからね」
つまり晴天傭兵団の誰かとアルは誼を結んでいるということか。どうしてだか胸がチクリと痛んだ。
「本当に君は面白いなぁ」
そのことに気づいたのか、アルは目を細めて笑う。
「俺は面白くない」
「そうだろうね。人は見透かされることを好まない。一部の例外を除いてね」
一々含みのある言い方をする女だ。
「さて、あれだけ嫌がっていた君がここに来た理由は何だろう。その上で僕と寝台ではなく、机をはさんで酒を共にする意味は何だろうね」
「ここに来たのは眠れなかったから。寝台を共にしないのは女に興味がないから。机をはさんで酒を共にするのはお前が含みのあることを言うからだ」
「正解。君は理詰めでならすぐに答えが出せるんだね」
アルは「なら」の部分に力を込めて言った。本当にこの女は含みを持たせることが好きだ。
「でも机を共にした理由はもう分かってしまったね。僕に君の傭兵団の仲間の知り合いがいるから。その人から聞いたんだ。なら要件が済んだ君は椅子を立つかい?」
悪戯っぽい顔。それを見ていると毒気を抜かれる。俺は店主に酒を注文した。
「そうかい」
席をまだ立つつもりがないという意思表示。アルは微笑みを湛えてそれを見る。
「一つ聞きたいことがある」
「何だろう」
「お前は昨日俺の本質と本音と上辺が噛み合っていないと言ったな」
「言ったね」
「どういうことだ?」
机に二つのグラスが運ばれる。それに手を付けることなく、アルはふむと顎に白い手を当てる。
「僕の異能について説明しても?」
「ああ」
「僕の異能は昨日も言ったように、その人の本質と感情を見るものだ。ならそれはどんな形で見えるか」
本質は事物、感情は色で見えるとアルは言う。
「本質というのは剣だったり、酒だったり、人それぞれだよ。いつもはうっすら見えるものだけど、異能を発現している人はそれがはっきり見える。そしてその本質の周りに感情の色のついた靄が見えるんだ」
「へぇ。独特な異能だな」
「僕もそう思うよ。でも大抵人の本質というものはろくなものじゃない。薄汚くて、見ていて気持ちが悪くなりそうなものばかり。だから君を見た時は驚いたんだ」
「驚いた?」
「そう。君の本質は僕には火に見える。その周りを暗い感情が覆っていたわけだけど、君は薄っぺらな作り物の笑みを浮かべていた。それだけバラバラな君は一体何者だろうと思ったのがきっかけさ」