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「んむー、この竜さんきらーい!」
「ちょっ、ルーシー」
ルーシーが僕の頭をポカポカ叩く。
奴とはまだ距離はあるはずだが、まるで目の前を歩いているかのような大きさ、威圧感。
大きな地響きと鼻が曲がるような腐臭に、騒いでいた集落の中はしん、と静まり返っていた。
それは僕達やジルベルも同じで、通り過ぎていくドラゴンゾンビを、ただただ見守っていた。
ドラゴンゾンビは僕達の視線を知ってか知らずか、悠然と歩を進める。
林の向こうの要塞のごときシルエットは、西から東へ地響きを立てながら通り過ぎていった。
……そう、通り過ぎていった。
「あれえ?」
カインさんが間抜けな声を出す。
「チョットかいんサン、脅カサナイデクダサイヨー。気ヅカレテナイジャナイデスカァ」
安心したのか、ヒヒヒッと笑うジャック。
「いや、脅かしたつもりは……あれえ?」
「何はともあれ、よかった。これで避難の時間ができたな……いや、もう避難しなくていいのか。とにかくよかった」
ジゼルさんもホッとしたようだ。
「俺はこういう勘はあまり外さないんだが……ううむ」
なおも首を捻るカインさんに、僕は励ますつもりで言った。
「あのドラゴンゾンビが特殊なんじゃないでしょうか。カミュさんの計算よりかなり早く来ましたし、僕達では推し量れない存在なのかも。なんたって、【まことの竜】のゾンビですしね」
「ちょっと待て。なんだって?」
「えっ?【まことの竜】のゾンビだと」
「その前だ」
「ええと、カミュさんの計算よりかなり早く――」
「それだ!どういうことだ!?」
カインさんの剣幕に、僕は目を白黒させながら答えた。
「出発前に、カミュさんに計算してもらったんです。いつ頃この集落にドラゴンゾンビが到達するかを。カミュさんによると、明日の夜明け前ではないかとのことでした」
「半日近く違うじゃないか!」
「ええ。ですからかなり早く来た、と……」
するとカインさんは首を横に振った。
「あいつは……カミュはな、頭が切れる」
「エエ、ソウデスヨネ」
「その上、超がつくほど細かい奴だ」
「はあ」
それがどうしたのかと、僕とジャックが顔を見合わせる。そんな僕達にカインさんが続けた。
「つまりだな、カミュが計算を大きく外すなんてあり得ないんだよ。その到達時間だって、そうとう細かい計算をしてるはずだ。障害物や荒れ地の起伏……ひょっとすると気温や月の満ち欠けまで、な」
「月ノ満チ欠ケ?」
首を傾げたジャックに説明する。
「……たしか、アンデッドは月の状態に影響を受けるって説がある。そのことだと思う」
「ヘエ~。私、あんでっどナノニ知リマセンデシタ……るーしー知ッテマシタ?」
「んーん、しらない!」
何を問われたのかもわかってないであろうルーシーが、ぶんぶん首を横に振る。
まあ、この二人が知っていたら逆に驚きだ。
僕は気を取り直し、カインさんに向き直る。
「でも、現に外したわけで」
「そう、外した。それはカミュでさえ思いもよらない要素が到達時間に影響を与えたということだ」
「思いもよらない要素……」
そのとき、ジゼルさんが空を指差した。
「一騎下りてくるぞ。あの大きさはテオドールのヒッポグリフだな」
ジゼルさんの言葉に、僕達は一斉に空を見上げる。
どうやら上空から監視していた二騎のうちの片方が下りてくるようだ。ヒッポグリフはゆっくりゆっくり高度を下げてきた。
騎手は短髪の大鷲騎士。
確か、大聖堂でアルベルトを叱った人だ。
「ジゼル様、ご無事で!」
「ああ。問題ないよ、テオドール」
テオドールと呼ばれた短髪の騎士は、ふうっと息を吐いた。ずいぶんと心配していたようだ。
「皆さんも無事ですね?逃げないものだから、ヒヤヒヤしたんですから」
テオドールさんのパートナー、エレノアさんが降りてきた。
「奴がこっちへ方向転換したら逃げるつもりだったさ」
そう言うカインさんを、エレノアさんはじとっ、と見つめた。
「……本当ですか?ギルドマスターは、カインはやるつもりだ、って」
「へえ、そうかい」
「ギルドマスターまでやる気になって大変だったんですからね?ヒッポグリフから飛び降りようとさえしていたんですから!」
「ははっ!それでこそギルマス!冒険者のボスだ!」
僕は、愉快そうに笑うカインさんの顔を覗きこんだ。
「戦うつもりだったんですか?」
「まさか!勝てんだろう?」
「……ですよね」
「ああ、戦うわけないさ」
元気に否定するカインさんを見て、いざとなれば戦うつもりだったのだと僕は確信した。
ジャックも同じように感じたようだ。
「ツクヅク冒険者ッテ、変ナ人バカリデスネエ」
「ジャックも相当変だけどね」
「馬鹿ナ!コンナ常識人……常識すけるとんガ他ニイマスカ!」
「じょーしきすけるとん?ぷぷっ、へんなのー!」
胸骨を張るジャックを見て、くるくる回りながら笑うルーシー。
どうやら僕の周りは変人ばかりのようだ。
「そうだ、サブマス。上から見ててドラゴンゾンビの動きはどうだった?こちらを気にする様子はこれっぽっちもなかったのか?」
カインさんが豆でもつまむような仕草をすると、エレノアさんはコクリと頷いた。
「ええ。気づいていないのか、無視しているのか……とにかく、進路を変える様子はありませんでした」
「奴にとっては目と鼻の先だ……気づかないハズが……しかし気づいていたなら、これだけの数の好物を無視したことに……ううむ」
カインさんはやはり納得いかないようで、唸りながら考えを巡らせる。
「ちょっと考えすぎではないか?エレノア殿の言った人や亜人を好むという特性も、古い文献にあっただけだろう?その個体特有の性質かもしれんぞ」
ジゼルさんの言うことはもっともだ。
むしろそう考えた方が、僕達と【天駆ける剣】が無視されたこととも辻褄が合う。
しかし、カインさんはなおも食い下がる。
「じゃあ何故、奴はレイロアを目指す?」
「それは……」
「人を食う気がないのなら、目的もなくただ東に移動しているのか?目的がないならその場でぐるぐる歩き回っている方が愚鈍なゾンビらしくないか?」
「……ううむ」
ジゼルさんは下を向いて考えこんだ。
「あっ、そう言えば……」
カインさんの言葉に何か思い出したのか、エレノアさんが口を開いた。
「なんだサブマス」
「上空監視中に、ギルドマスターがおっしゃってました。妙に賢いゾンビだな、って」
「賢いゾンビ!?」
「賢イぞんび!?」
驚いた僕とジャックの声が重なる。
カインさんが言ったように、ゾンビとは総じて愚鈍なモンスターだ。
それは生前の賢さに関わらず、だ。例えエルフのゾンビであっても賢いなんてことはない。
駆け出しの冒険者でも知ってることだ。
「どうしたら、そんな馬鹿げた感想が出てくる?」
カインさんの疑念に、エレノアさんが説明を続ける。
「ギルドマスターがおっしゃるには、真っ直ぐ進んでいるように見えて、実はロスの少ない道を選んでいる、と」
「ふうん……」
「私は生前の行動パターンをなぞっているだけでは、と申し上げたのですが。それは違うだろうとおっしゃいました」
「ノエル、どう思う?」
急にカインさんに振られて、慌てて考えをまとめる。
「賢いゾンビってのはちょっと信じられないです。ただ、本当にロスの少ない道を選んでいるならば、それがカミュさんの計算が外れた原因かもしれません」
「だな。カミュもゾンビが賢い前提で計算しちゃいないだろう……ジゼルは?」
「うむ……申し訳ないが、エレノア殿の意見は違うと思う。先程ノエル君達が話していたが、ゾンビは視力がほとんどないからな」
「あっ……!」
エレノアさんが口に手を当てた。
カインさんが小さく頷く。
「生前の行動パターンをなぞるにしても、自分の目で道を選ぶのは不可能、か」
「うむ。騎手でもいないと難しいだろうな」
そう言ってジゼルさんは手綱を手に、ヒッポグリフを見上げた。
エレノアさんが首を捻る。
「騎手、ですか?……人間にあのドラゴンゾンビを御せますか?」
「例えば、だよ」
そう言ってジゼルさんが苦笑いを浮かべた。
「だが、考え方は悪くない」
カインさんの瞳に光が宿る。
「第三者が奴を操っているのであれば、道を選ぶことは可能だ。そいつがレイロアに用があると考えることもできる」
「操るのだって不可能ではないか?」
ジゼルさんに否定され、
「かもな」
と、カインさんは短く答えた。
ふと、ジゼルさんが薄暗くなってきた空を見上げる。
「カイン殿、じきに日も暮れる。ここは一旦、中継地点へ戻るべきでは?奴の行動に納得いかないのはわかったが、いささか推測に推測を重ね過ぎているように思う」
「そう、日が暮れるんだよ」
カインさんはジゼルさんを真っ直ぐに見た。
「好物のはずの人間や亜人に目もくれず、カミュの計算を上回る速さでレイロアを目指すドラゴンゾンビ……絶対に何かある。その何かを探せ、と俺の勘が言ってる。だが日が暮れたら、探すのも困難になっちまう」
「先程はその勘を外したようだが……?」
冷たい目で見るジゼルさんに、カインさんはあっけらかんと言い放った。
「あれはたまに外す類いの勘だ。そして、これは絶対に外れない勘だ」
「何なんだ、それは……」
ジゼルさんは眉間に指を当て、首を横に振る。
「悪いな。だが考えてくれ。お前達なら、どうやって奴を操る?」
それからは皆、黙りこんだ。
第三者の関与。
事実ならば捨て置けないが、あのドラゴンゾンビを操るなんて可能なのか?
皆が考える中、ジャックが沈黙を破った。
「ねくろまんさーハドウデスカ?あんでっどヲ操レルノデショウ?」
「それは皆、考えてるよジャック君。だが、あのドラゴンゾンビを操るなどレベルが幾つあっても足りない」
ジゼルさんの意見にエレノアさんが同調する。
「ネクロマンサーは従属の魔法を用いてアンデッドを操るのですが、それは自分より格下のアンデッドに限られます。ネクロマンサーはレベルが上がりやすいことで知られますが、それでもあのドラゴンゾンビを従属させるほどのレベルは厳しいかと思います」
「ホホウ……のえるサン、ねくろまんさーッテれべる上ガリヤスイソウデスヨ?」
「知ってるよ。ほら、操るアンデッドって使い魔扱いだから」
「アア、ナルホド!」
それからは、また沈黙。
それを破るようにポンと手を打ったのは、またもやジャックだ。
「えさデ釣ッテイルノデハ?ホラ、馬ノ目のノ前ニろきゃっとヲ吊ルスミタイニ!」
「そんな絵本みたいなこと、ある?」
僕の感想に、苦笑いするジゼルさんとエレノアさん。
だがカインさんだけは、その瞳を輝かせた。
「……それだ」





