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ドラゴンゾンビは動き自体は鈍いが、歩幅が非常に大きい。移動速度は人の早歩きくらいだろうか。
僕達は林を走って突っ切り、ドラゴンゾンビの進行方向に先回りした。
奴が来る前に作戦を確認する。
「陣形は……敵があれだけデカけりゃあってないようなもんか。カミュだけは少し下がり目がいいか。ゾンビだからブレスは吐かないよな?」
ポーリさんがため息混じりに問う。
「ブレス器官が腐ってますから。不可能でしょう」
同じくため息をつきつつ、答えるカミュさん。
「そう暗くなるなって。仮に【まことの竜】だとしてもゾンビだ。案外倒せてしまうかもしれんぞ?」
そんなカインさんの軽口に、また二人はため息をついた。
ヴァーツラフさんがふと、僕達を見る。
「坊主達は離れていろよ?」
「隊列の最後尾には、いるつもりですが」
「戦闘は今まで通り俺達だけでやる。もっと離れていろ」
「しかし……後衛として、できることはあるはずです。回復もできますし」
僕がそう言うと、ヴァーツラフさんが大げさに首を横に振った。
「いらんいらん。お前は『テレポート』と鑑定だけやればいいんだ」
【天駆ける剣】の実力はもちろんわかっている。
だがヴァーツラフさんの言い様に、何だか侮られた気がした。
「僕とルーシーだって援護くらいはできます。ジャックだって、かなり頑丈ですし。役に立てるハズです」
「はずです!」
ルーシーが胸を張り、僕の口真似をする。
ジャックは手をブンブン横に振って拒絶しているが。
するとヴァーツラフさんが僕を真っ直ぐに見て、短い言葉を口にした。
「《己のレベルを知り、敵のグレードを知れ》だ」
カミュさんも同じように僕を見て話す。
「《いけるかもは引き返せのサイン》です」
ポーリさんも続く。
「《死は唐突に、思いがけずやって来る》ってな」
最後にカインさん。
「んー、《安請け合いは全滅の元》?」
彼らが一人ずつ口にしたのは、冒険者の格言だ。
慎重に。調子に乗らない。
そんな意味あいの言い回しが冒険者の間にはたくさんある。僕も駆け出しの頃にギルド職員に口を酸っぱくして言われた記憶がある。
「でも、それは皆さんだって!相手はドラゴンですよ!?」
ヴァーツラフさんが再び首を横に振る。
「それとこれとは話が別だ。俺達の依頼は厄災の正体の調査。当然、威力偵察も依頼に含まれる。だが、お前の受けた依頼は違うだろう?」
「でも……全滅しかねない相手ですよ?」
「そのときはお前だけでも転移で帰って報告しろ。【天駆ける剣】が全滅する相手というのも貴重な情報だ」
「……」
ヴァーツラフさんの言うことはもっともだ。
理屈は理解できた。
いや、理解できていたんだ。
ただ、四日間一緒に旅した【天駆ける剣】とともに強敵と戦えないことが、少し寂しかった。
ポーリさんが僕の様子を見て、諭すように言う。
「司祭君達の能力を過小評価してるわけじゃない。だがな。俺達がお前達の力を必要とする状況になったら、それは既に危機的状況なんだ」
カミュさんも頷く。
「そういうことです。司祭殿、私達【天駆ける剣】を信頼していただけませんか?」
「……もちろん信頼しています」
そんなふうに言われると、もう反論なんてできない。
「ノエル。いざ撤退となれば、お前の『テレポート』が命運を握る。この戦闘において最も重い命はお前の命なんだ。それだけは理解しておけ」
カインさんの言葉に、僕は「はいっ!」と返事をした。
ズシン、ズシンと揺れが大きくなる。
暗闇に浮かぶ城塞のごとき影が正面から近づく。
もう飛ぶには使えないであろう、穴だらけの巨大な翼を時折ばたつかせている。
その度に月明かりを遮り、広範囲に闇が落ちる。
正直、怖ろしい。
物語に出てくる魔王のようだ。
戦闘に参加せず、離れて見ている僕でさえ、こうだ。
最前線で対峙するヴァーツラフさんの感じる重圧はいかばかりだろうか。
作戦は単純だ。
まずヴァーツラフさんが敵の足を止める。
続いてカインさん、ポーリさんが左右から挟撃。
カミュさんはヴァーツラフさんの後方から援護。
その後は状況次第。
撤退の指示が出たら、直ちに『テレポート』の詠唱を始める手筈になっている。
腐臭を纏った竜が、ヴァーツラフさんに近づく。
ヴァーツラフさんに気づいていないのか、あるいは気にもしていないのか。
奴はヴァーツラフさんをチラリとも見ない。
「足ヲ止メルッテ、ドウスルツモリデスカネ」
「うん……何か凄い技でもあるのかな」
ヴァーツラフさんは何かタイミングを計るように左右を見ていた。
やがてドラゴンゾンビと肉薄すると、頭を下げて左前方へ勢いよく駆け出した。その先には奴が踏み出そうとした大きな前足。その空から降ってくる大きな前足に向けて、ヴァーツラフさんは剣を振りかぶった。
「オオオォォ……ッラアアアッ!!」
走ってきた勢いそのままに、ヴァーツラフさんは剣を振り抜いた。激しい衝突音と共に、ドラゴンゾンビの前足が外側に跳ね上がる。
地面を捉え損なったドラゴンゾンビは、地響きを轟かせながら腹から着地した。
「わー、たおれたー!」
ルーシーが手を叩いて喜ぶ。
「……凄イ技トイウカ、力業デシタネ」
「……うん」
次は左右からの挟撃。
動きを止めた強敵に、出し惜しみなしの攻撃が迫る。
まずはポーリさんの攻撃だ。
「幾条もの青き鎖を纏いし雷神に申し上げる!その大槌をもって神鳴る力を我が敵に示されよ!『サンダーボルト』!」
ゴウン……と雲が鳴ったと思うと、眩い光が視界を真っ白に染める。耳をつんざく轟音と共に、落雷がドラゴンゾンビに直撃した。
身をよじり苦しむドラゴンゾンビに、カインさんが追撃する。
「薔薇よ!炎の薔薇よ!燃え盛る悪夢よりその蔓を這わせ我が剣に咲き誇れ!『クリムゾンローズ』!」
魔法の発動と共に、カインさんの剣に紅く光る紋様が浮かび上がる。その紋様は不気味に明滅し、まるで脈打つようだ。
「ふっ、ふっ……ハアッ!」
カインさんはドラゴンゾンビの体を足場にして飛び上がり、落下と共に奴の背に剣を突き刺した。
剣が刺さった場所から、魔法の茨が走る。
魔法の茨はドラゴンゾンビの全身を這い回り、次の瞬間、薔薇が咲くように紅蓮の炎が幾つも弾けた。
「ヴゴォォォ……」
首をもたげ、苦しげに唸るドラゴンゾンビ。
「スゴイ!イケソウデスネ!」
ジャックが両手を握りしめて戦況を見つめる。
「……うん、そうだね」
倒せるかどうかはまだわからない。だが、このまま終わってくれればと願いを込めて頷いた。
「ヴゥゥゥ……」
ドラゴンゾンビはなおも唸りながら、方向転換を始めた。自分に横っ腹を見せるドラゴンゾンビに、ヴァーツラフさんは挑発するように言った。
「おいおい、その図体で逃げる気か!?」
「っ!違うぞ!ヴァーツラフ!」
「あん?」
ポーリさんの言葉の意味がわからないヴァーツラフさん。そこへドラゴンゾンビの大きな尻尾が横薙ぎに襲ってきた。
「むうっ!……ぐっ!?」
ヴァーツラフさんは避けるのを諦め、剣の腹で受けた。
だが受けきれるはずもなく。
ヴァーツラフさんはその衝撃に吹っ飛び、放り投げた棒きれのように宙を舞い、そして落ちた。
「ヴァーツラフさん!」
僕の近くまで吹っ飛んできたヴァーツラフさんに、慌てて駆け寄る。
「無事ですか!?」
無事なわけがない、そう思っていたのだが。
「あつつ……下手打っちまった」
「が、頑丈ですね」
ヴァーツラフさんは、鎧の一部が砕け血の滲んだ肌が露出していた。だが、重傷には至らない傷だ。
「つつ……ああ、数少ない取り柄だ」
ヴァーツラフさんの、ちょっと転んだくらいのテンションに呆れてしまった。
「ナンデ無事ナンデスカネ……」
「何だ、無事じゃ悪いのか」
「悪クハナイノデスガ」
「『ヒール』しますね」
「ああ、すまん」
僕はヴァーツラフさんを治療しながら、戦況を見つめる。
残りの三人は戦闘を継続していた。
カミュさんだけが、チラリとこちらを見てヴァーツラフさんの状態を確認した。
残り二人はこちらに目もくれず戦っている。
足を止めず動き回り隙を見て攻撃、というパターンを繰り返す。
ドラゴンゾンビの攻撃が迫れば奴の巨躯自体を盾として逃れ、その隙にもう一人が魔法を詠唱する。
見事な立ち回りだ。
「三人ハ大丈夫ソウデスネ」
「あの三人は問題ない。俺と違って身軽で器用だからな。しかし……奴は俺よりも頑丈なようだ」
言われてドラゴンゾンビを注視する。
ゾンビであるので判断しづらいが……ダメージを負っている場所が見当たらないような気がする。
再生能力の影響もあるだろうが、それよりも体力や防御力が桁違いなのだと思われた。
そんな状況を打破するためか、カインさんが新たな魔法剣を発動させた。
夜暗の中、彼の持つ剣が紅くテラテラと輝き始める。まるで炎をギュッと凝縮したような紅さだ。
「むっ、カインの奴『レーヴァテイン』を使うか。あれはアイアンゴーレムでも焼き斬る、カインの奥の手だ」
ヴァーツラフさんの興奮混じりに解説する。
挑発するように真っ正面に立つカインさんに向け、ドラゴンゾンビが牙を剥いて首を伸ばす。カインさんは迫り来る顎を横に転がって躱し、すぐさま立ち上がる。
そして目の前にある、奴の首目がけて大振りの一撃を放った。その剣閃は溶けた金属のような輝きをもって、確かにドラゴンゾンビの首を捉えた。
だが……。
「うそだろ!?『レーヴァテイン』で切断できないなんて……ありえん!」
ヴァーツラフさんが驚愕の声を上げた。
攻撃の痕は黒く変色しているのだが、表面的な傷痕に過ぎないように見える。まして首を切断するにはほど遠い。
そしてその傷痕は、みるみるうちに再生してしまう。
それを見たカインさんが口笛を短く三回吹いた。
「……撤退の合図だ」
「では『テレポート』の詠唱を」
「ああ、始めろ」
目的地のレイロアをイメージし、詠唱に入る。
詠唱してるうちに、三人が集まってきた。
ドラゴンゾンビは再生に力を使っているのか、動かない。
「なんだあのタフさ!ありえんだろ!」
そう言いつつ、肩で息をするポーリさん。
「カインの『レーヴァテイン』で削れないなんて……ありえない!」
カミュさんも息が乱れている。
「ああ、ありえん……いや、ありえんからこそ【まことの竜】か……」
カインさんは自問自答するように言った。
僕は真っ直ぐにドラゴンゾンビを見つめつつ詠唱しているのだが……どうも奴の様子がおかしい気がする。
「ドウシマシタ、のえるサン?」
僕の険しい顔に気づいたジャックが問う。
僕は詠唱を続けながら、目で合図を送った。
「ンッ?アッ……」
ジャックも気づく。
続いて【天駆ける剣】も。
「口が光って……!?」
「おいおい、まさか……」
「ゾンビだから不可能だって言ってたじゃねえか、カミュ!」
「論理的に考えて無理なんですよ!腐っているのですから!ありえない!」
「だから、ありえない奴なんだって!」
混乱の中、カインさんだけは無言でドラゴンゾンビを観察していたが、やがて小さく舌打ちした。
「ジャック、ノエルの詠唱はあとどのくらいだ?」
詠唱中の僕の代わりに問われたジャックは、僕の様子をしばし眺めて答えた。
「マダ半分モ終ワッテマセン」
「間に合わんな……」
ほどなくドラゴンゾンビは顎が外れそうなほど、大きく口を開けた。
溶けた銀に墨を落としたようなその光が、奴の口の中で次第に膨れ上がっていく。
「全員、散れっ!!」
カインさんが張り上げた声に、皆が散り散りに走り出す。僕も詠唱を中断し、駆け出した。
「ヒィ、ヒィィ」
「ノエルー、ジャックがおそいよ?」
ルーシーの言葉に振り向くと、ジャックはバタバタと不恰好に走っていた。
「ジャック!荷は捨てろ!」
「ぽーたータル者、荷ヲ捨テルナド……ハイ、捨テマス!」
ジャックが背負子ごと荷物を放り投げた。
「ルーシーは空へ!高く、高ーく飛んで!」
「ん、わかった!」
ルーシーが僕から離れ、夜空へふよふよ飛んでいく。
ジャックとも距離を置き、走る。
後は、奴が誰を狙うかだが……
「僕かあ……」
ドラゴンゾンビの巨大な口は、真っ直ぐ僕に向けられていた。





