①
①改稿しました。
トビアス二十歳、初秋
「クロード、おめでとうございます」
「ありがとうトビアス。久しぶりじゃないか、もっと実家に顔をだせよ」
トビアスの長兄で次期バートン伯爵夫妻は嫡男を半年前に授かった。
今日はそのお披露目パーティが開かれている。
トビアスはバートン伯爵家の三男で二十歳だ。
去年、王立学園を卒業し今は士官学校に通っていて宿舎生活をしている。
「ああ。さっき義姉上に挨拶してベビーの顔見たよ。顔立ちがはっきりして来たら、父上にそっくりだね」
「僕に似てると言えよ。父上似の僕に似たんだよ」
「ははっ、そうだね。でもこれで義姉上も万全だな」
クロードは二十七歳で今年で結婚六年目になる。
結婚翌年には長女を授かっていた。
だが我が国には男子継承しか認めない悪法が未だにある。
だから嫡子になる男児誕生はひとつの安心材料なのだ。
「ああ、そうだな。ペネロープ様が結婚翌年にあっさり男児を儲けられてベルは、僕には何も言わないが…」
クロードは愛妻の方を眺める。
「少し気にしている様子だったから」
ペネロープ様とは長兄クロードの以前の婚約者である。
だが今は次兄オーランドの夫人となっている。
ペネロープと婚約後にすったもんだがあった。
そんな末にクロードは今の夫人であるベルと結婚したのだ。
トビアスは詳しく知らないが、いろんな事情が絡んだのだろう。
次兄のオーランドがペネロープのブレア公爵家へ婿入りする事になった。
そんな事情があった。
婚約を社交界に広める前だったので内輪の間抜け話しで済んだ。
でなければバートン伯爵家は世間に面白い話題を提供する事になるところだった。
「あんな事言ってたけどあいつも…オーランドも何だな。婿入りして直ぐに跡継ぎを作ったんだから」
クロードは何かを思い出したようで頷きながら言った。
「オーランドが?」
「婿入りを引き受けさせる形になっただろ。申し訳無くて謝った。ペネロープ様は好みではないだろ?と。そしたら……僕の好みは筋肉質で長身な男性なんだ。って」
言いながら笑う。
「僕をからかったんだ。今思えば、実にあいつらしい慰め方だけど」
「……そう」
トビアスは笑って頷いた。
長兄クロードは本当に良い人である、素直で正直で優しい。
若い頃は頼りなさもあったが近頃では時期伯爵としての経験も積み苦労もしたのだろう。
一本筋の通った頼もしさを垣間見せるようになって来た。
嫡男の誕生もあり父の現伯爵から爵位を譲られる日も近いのかも知れない。
トビアスはこの人が大好きである。
だからオーランドの事情なんか、無理に知らなくていいのだ。
「ああ、噂をすればだ。オーランドがやっと現れた」
クロードの視線を追えばちょうど会場に夫人のペネロープを伴った次兄が入って来た所だった。
出迎えた義姉ベルが嫡男を抱いて紹介している。
暫く待っていると赤児の話題で盛り上がる夫人達を置いてオーランドがこちらにやって来た。
「やあ、おめでとうクロード。父上にそっくりな子だな」
「オーランド、お前まで。父上じゃなくてさ、僕に似てるんだよ」
クロードの言葉を軽く流してからトビアスを振り返った。
「これでお前も自由だな。大切なものは覚悟を持ってちゃんと守れよ」
トビアスには長兄に何かあった時の為のスペアの役割があった。
本来なら次兄が担う役だが婿入りをしてしまった。
だからお鉢が廻って来たのだ。
しかし長兄が嫡男に恵まれて、やっとお役御免と云う意味だ。
「もう決心は出来てる。少し騒がすかも知れないけど、今度はオーランドに迷惑はかけない」
トビアスの言葉にオーランドは微笑んで軽く頷いた。
トビアス十四歳、盛夏 (六年前)
「ベアトリスに婚約が決まったの」
シャーロットは俯き加減で言った。
トビアスは母の妹の嫁ぎ先であるマーシャル辺境伯領に来ている。
幼い頃から毎年、夏休みになるとバートン家の三兄弟はここを訪れていた。
だが三年ほど前から、トビアスだけ一人で来るようになっていた。
その頃、長兄クロードの結婚が決まり、それに伴って次兄オーランドの婚約も決まったからだ。
クロードは次期伯爵となるべく父に鍛えられ、オーランドも公爵家へ婿入りするための修行に励んでいた。
二人とも、もうトビアスと一緒に遊んでいられるような年齢ではなくなっていたのだ。
トビアスは三兄弟だが、こちらは三姉妹だった。
長女ベアトリスと次女シャーロットは二つ年上、三女デイジーは同い年。
幼い頃の遊び相手には、どうやら性別より年齢の方が重要らしい。
トビアスはいつも上機嫌で三姉妹と遊んでいた。
中でも、シャーロットとは一番気が合った。
夏の間は、ほとんど一時も離れずに転げ回って遊んだ。
木に登ったり、川で釣りをしたり、厩舎の干草の陰に潜り込んだり。
他の二人とも仲が悪いわけではない。
けれど、幼い頃の記憶を思い返すと、そこにはいつもシャーロットがいた。
だからだろうか。
兄たちが来なくなっても、トビアスは一人でマーシャル領へ通い続けた。
シャーロットに会いたいから。
毎年、夏が来るのが待ち遠しかった。
今年も屋敷に着くと、真っ先にシャーロットを探した。
「トビアス!」
笑顔で駆け寄って来るシャーロットを見た瞬間、胸の奥がぱっと明るくなる。
「今年もマーシャル領にようこそ!トビアス」
「うん。シャーロット」
それだけで嬉しい。
シャーロットが笑っているだけで自分も嬉しい。
なんでだか分かんないんだけど。
でも、嬉しいからそれでいい。
「あそこ……まだバレてない?」
トビアスが耳元で囁くと、シャーロットが小さく頷いた。
「うん」
「じゃ、後で」
声には出さず、唇だけを動かす。
二人の秘密だった。
広大な敷地を有するマーシャル家の屋敷から、一番離れた隅に厩舎がある。
農耕馬を多く飼っているため、かなり大きな建物だ。
入口からすぐのところに梯子のような階段があり、その二階には干した牧草などの飼葉が積まれている。
梁と梁の間。
少し窪んだその場所に座り込めば、牧草が目隠しになって誰からも見つからない。
幼い頃、二人で見つけた秘密基地だった。
十歳を過ぎた頃から、周囲の目が厳しくなった。
男女の子供が人目につかない場所で二人きりになることを、大人たちが好まなくなったからだ。
貴族の子弟なら当然のことなのだろう。
口煩く注意されるのも面倒で、二人は人前ではあまり話さなくなった。
けれど、夏しか会えない。
話したいことは、いくらでもある。
だからトビアスがマーシャル領を訪れると、二人は今でもこっそり合図を送り合った。
そして誰にも見つからないように潜り込む。
干し草の盾に守られたそこだけは、幼い頃と何も変わらなかった。
「ベアトリスは他に好きな人がいるのに婚約したのよ……」
シャーロットは不満そうに唇を尖らせた。
「でも貴族家の長女で、男兄弟がいないなら、誰とでも好きに結婚できるわけじゃないだろ」
「まあ、生意気言うのね。子供のくせに」
「僕、大人だよ。もうすぐ十五だ」
頬を膨らませると、シャーロットがくすりと笑った。
「じゃあ私はもうすぐ十七。もっと大人ね」
「……」
少し悔しい。
トビアスは考えて、それから口を開いた。
「じゃあ、大人なんだったら、シャーロットがベアトリスの代わりに婚約してやればいいじゃないか
言った瞬間、シャーロットの表情が消えた。
「私に資格がないこと、知ってるでしょう…」
俯いた彼女を見て、トビアスは慌てた。
「ごめん。そんなつもりじゃ…」
言い訳をしようとして、やめる。
「……いや。ごめん」
しばらく沈黙が落ちた。
やがてシャーロットが小さく息を吐く。
「ううん、大丈夫よ。揶揄った私も悪かったわ」
そして、少し笑った。
「私は婿を取って家に関わることは許されないけど、好きになった人と結婚することはできると思うわ」
「好きな人と、結婚できる?」
思わず聞き返した。
「ええ。たぶんね」
シャーロットは笑った。
「案外、ベアトリスより幸せかもしれないわ」
トビアスは黙って彼女を見た。
「ふーん…そうか」
好きになった人と、結婚する。
その言葉はなぜかトビアスの心に長く残った。
シャーロットはベアトリスと同じ年だ。
双子では無い。ベアトリスより3か月だけ遅く生まれた。
次女とされているが実際は庶子であり、三姉妹の中で一人だけ母親が違う。
なのでトビアスにとって従姉妹とは言え彼女とだけ血の繋がりが無いのだった。
マーシャル辺境伯夫妻、すなわちトビアスの叔母アリスとその夫の辺境伯トーマスは彼女を実子と分け隔て無く育てた。
だが辺境と言う狭い人間関係の中で事実は隠しようも無かったし実際シャーロットは家族の誰とも似ていなかった。
姉ベアトリスも妹のデイジーも父親似の長身で楚々とした容姿に母譲りの金髪に薄緑色の瞳をしている。
比べてシャーロットは黒髪に黒い瞳で顔立ちもかなり華やかな異国風で目立った。
幼い頃から一緒だったトビアスは容姿など意識した事も無かったがその事は厳然たる事実なのであった。
だから、教えられる事は無くとも幼い頃から徐々に耳に入る事実を悟っていた。
トビアス二十歳、初秋
少し早めにバートン家のパーティーを抜け出した。
貴族街と下町の中間地点にある中産階級の人々の住む地域。
とある小綺麗なフラットに入った。
このフラットにはトビアスの恋人が住んでいる。
彼女は平民でシャロン・エヴァンスと名乗っていた。
以前の名はシャーロット。
年齢は22歳で事務方として貴族街を出た辺りにある商店に職を得ていた。
トビアスがフラットに着いた時は夕方でシャロンはまだ帰っていなかった。
バートン邸のパーティーは赤ん坊のお披露目だったので昼頃からだったのである。
今日は週末の休日だが商店は忙しいのだろう。
合鍵を持つトビアスは帰りを待つ事にして中に入った。
「来るなら言っておいてくれればいいのに」
閉店後、商会長に仕事を教わっていたらしい。
「知ってたら早く帰れたわ」
帰って来て文句を言うシャロンの腰を引き寄せて言った。
「その商会長に言い寄られたりしてない?君っていつだって凄くモテるから気が気じゃない」
笑顔になってシャロンはトビアスの首に抱きついた。
「息子の嫁にならないかって。勿論断ったわよ」
片目を瞑った。
「夫が居ますからって。ふふっ、まだ正式じゃないけれどね…」
「君それ、僕を責めてる?もう半年くらいの辛抱だって言ったよね」
シャロンにくちづけた。
「卒業したら直ぐに正式な夫婦になろう」
「分かってるわ、信じてる。だから今、懸命に学んでるのよ」
健気なシャロンが愛しくてきつく抱き締めた。
シャーロット十七歳、晩春 (五年前)
ベアトリスの婚約が決まって一年くらいの頃、不穏なゴシップが流れて来た。
マーシャル辺境伯領の隣に位置する、バレン伯爵領の伯爵夫人が男と駆け落ちをしたと言うものだ。
辺境伯夫妻は直ぐに屋敷内でこの噂話をする事を使用人達に固く禁じた。
だがその時にはもう誰もが耳にしてしまっていたのだ。
だからその頃からベアトリスは目に見えて塞ぎ込むようになってしまった。
隣領なのもあってバレン伯爵家の人達とは昔から親しく交流があった。
前バレン伯の未亡人オーレリアは優しい人柄で三姉妹は幼い頃からずいぶん可愛がって貰った。
妻に駆け落ちされたのは現在のバレン伯爵、オーレリアの一人息子のデイビッドである。
母のオーレリアに似て顔立ちがおっとりして何処か幼く、見掛けはとても若々しいのだが彼の年齢は三十代後半である。
シャーロット達が物心ついた頃にはもう結婚もしていた。
しかしその頃からバレン伯爵夫婦は何年経っても子宝に恵まれ無い事に悩んでいた。
ベアトリスとシャーロットが十歳の頃だった。
「継承に苦労するのはバレン家の宿命なのかしら…」
オーレリアが溜息をついた時の事をシャーロットは覚えていた。
オーレリア自身もその子のデイビッドも代々、子宝に悩んだ末にやっと出来た独り子なのだという。
何がしか、それ関係の話題の一環だったのだろう。
オーレリアに悪気など無いのだ。
だがその言葉はデイビッドの妻にとって場を針の筵に変えるに十分だっただろう。
それに追い打ちをかけたのは幼いベアトリスの一言。
「オーレリア小母様、では私が継承のお子を産んで差し上げます」だっただろう。
皆がぎょっとしたのは一瞬だった。
「まあ、お優しいのね。どうもありがとう」
笑顔でオーレリアがベアトリスの頭を撫でた。
そうか、悲しそうなオーレリア小母様にお菓子でも差し上げる感覚で慰めようとしたのだな。
皆はそう解釈し笑顔に戻った。
だがデイビッドの妻には、この時の記憶がしこりとなって長く残った事だろう。
そしてベアトリスは本気だった筈だ。
その本気にシャーロットだけが気付いた。
ベアトリスが幼いながら熱を込めた憧れの眼差しでデイビッドをいつも見詰めていた事を知っていたから。
そんなベアトリスもいつまでも幼女ではいられない。
年を重ねれば現実が見えて来る。
父親とさして年の変わらない妻帯者をいつまでも想い続ける訳には行かないのだ。
自分は婿取りをして家を継承させなければならない。
そう自分に言い聞かせ、長年の想いを封じ込めて婚約した挙句にこの事態だったのだ。
デイビッドに添える可能性を見いだして恋の炎が再燃する。
見かねたシャーロットはつい言ってしまった。
「諦め切れないなら告白すれば…?悩んでる間に、直ぐ別の人が嫁いで来るわよ。バレン伯にはまだ跡継ぎが無いんだから」
ベアトリスは目を見開いた。
「…なぜ?」
「小さい頃から見てるもの。知ってたわ」
甘やかすような笑顔のシャーロットだった。
「無理よ。受け容れて貰える自信が無いわ」
「当たって砕けろ、だわ。でも大丈夫。あなたはいい女よ。」
ベアトリスは涙目になって笑ったが、やがて首を振った。
「そうだとしても、やはり無理。後妻に行きたいなんて言えないし。婚約者もいるし…領の事もある」
「後妻でもいいじゃない。領の事は…デイジーだっているんだし。私も出来るだけ力になるわ。まかせてよ」
励ますつもりで胸を張って拳を握った。
「……ありがとう」
ベアトリスは手で顔を覆って泣き出した。
トビアス二十歳、初秋
──朝。
トビアスが目覚めたら腕の中で眠っていた筈のシャロンが居なかった。
パーテーションで仕切られただけのキッチンから物音がする。
「朝ご飯一緒に食べる?ゆっくり寝ててもいいけど」
ベッドに近付いてくるシャロンの腕を引いた。
「…食事よりおまえがいい」
「もう駄目よ。私はこれから仕事なんだから」
トビアスは裸の胸を手で押さえられた。
「朝食、私と一緒に食べるの?後でひとりで食べるの?」
「…一緒に」
諦めて呟くと頷いてシャロンはにっこり笑った。
トビアスはシャロンを送ってフラットを出た。
仕事場の商店に着くと中からこちらを見ている男に気づき、見せ付けるようにしてシャロンにキスをした。
「…もう。子供みたいなんだから」
文句を言われたが、虫除けは必要だと思う。
士官学校は今日迄休みで夕方に宿舎に帰ればいい。
トビアスはふと思い付いてオーランドの別邸に向かった。
貴族街の外れにあるからここからは近い。
オーランドはブレア公爵邸に居る事は滅多に無く、ほぼこの別邸で暮らしている。
アポは取っていないがまさか追い帰されたりはしない筈だ。
玄関のノッカーを叩いてから、かなり待った。
暫らくして扉が開きレオ・エヴァンスが迎え入れてくれた。
エヴァンスはこの家では執事のような役割りだ。
オーランドの身の回りの世話とこの家の使用人の差配。
オーランドが個人で行っている投資等の金銭管理もこの男の仕事らしいし護衛役もこなせるオールラウンダー。
優しい面差しで理想的な体躯の美男だ。
「オーランド今日は休みだよね。まだ寝てるの?」
「…もう直ぐいらっしゃると思いますが」
トビアスに紅茶をサーブしながら聞き返えす。
「休日の午前中から…何かございましたか?」
「ああ、ごめんね。シャロンが仕事に行って僕、暇になっちゃって…近くまで来たし」
頭を掻くトビアスに優しく笑う。
「あぁ、そうでしたか。シャロンさんはお元気ですか?」
「うん。ありがとう、お陰で…」
レオ・エヴァンスはシャロンの兄、とのふれ込みで仕事先の保証人になってくれている。
だからシャロンはシャロン・エヴァンスなのだ。
「何また朝から邪魔してくれてんの?この不祥の弟は…」
昨日のパーティーでの上質なタキシードとはうって変わった裸に薄手のガウン一枚というしどけない姿のオーランドが居間に現れた。
ああ…。エヴァンスが玄関に出るのに時間がかかった筈だ。
つい先程までエヴァンスも似たような姿でいたのだと察した。
途端にトビアスは後悔する。
思い付きで行動するものでは無い、とんだお邪魔虫だ。
シャロンに話したら説教ものだな…と。
「ごめんなさい。そんな気なくて…」
謝るトビアスにエヴァンスが居心地悪そうに俯く。
「来たものはしょうがないだろ。まあゆっくりして行けよ」
オーランドは笑って言った。
トビアス十五歳、盛夏 (五年前)
今年は夏休みに入ってもマーシャル領には行かなかった。
マーシャル家の三女デイジーが王立学園の高等部に入学が決まったせいだ。
九月の入学に備える目的で叔母のアリスが三姉妹を伴って王都にある辺境伯のタウンハウスに入った。
叔父の辺境伯はおいそれと留守に出来ない領地に残っているがそこにトビアスひとりが訪ねるのも気が引ける。
と、いうより気が進まず王都で過ごす事にした。
ベアトリスの婚約者も王都住いの貴族家令息なので家族の顔合わせも兼ねての王都滞在らしい。
茶会やパーティー、母親同士姉妹で訪ねあったり。
シャーロットには何処かで会えるだろうと甘く考えていた。
しかしトビアスの期待は裏切られ、会えたのは八月に入ってからだった。
王宮での大規模なパーティ。
ここで会えるかも知れない期待はあった。
だから人並みの中懸命に彼女を探した。
最初は、幾人もの人々に取り囲まれた美しい女性がいる、そう思っただけだった。
そして一瞬の後…その女性と目があった。
──シャーロット…!?
美しく着飾った上品な淑女。その姿はトビアスが知る彼女とは違っていた。
呆気に取られた─と言っていいかも知れない。
──目が釘付けになった。
いつの間にそんなに美しくなったんだ?
僕の知らないうちに?
複雑な気持ちになった。
僕だけの大切な宝石を誰かに勝手にショーウィンドウに飾られたような。
何だ、この不快な独占欲。
彼女を取り囲む人の中の男が話し掛けた。
僕と見交わしていた目を外し男に微笑みかける彼女。
胸の奥が軋む嫌な音がした。
そのうち、手を差し伸べられてダンスを始める彼女。
僕の知らない男と踊ってる…?
我知らず、強烈な不快感が湧き上がる。
何だこれ?
何の感情なんだ。
そこに居た殆どの男は彼女に惹きつけられていそうだ。
彼女が遠くに行ってしまいそうな恐怖を覚える。
嫌だ。
嫌だよ。行かないで…
彼女を誰にも渡したく無い!
唐突に僕は気づいた。
シャーロットはただの気の合う幼馴染なんかじゃない。
だっていつも会いたいと思い、会えればいつも目で追って。
もう、とっくに特別な存在だったじゃないか。
今だってこんなに苦しい。
彼女が知らない男の手を取る事が。
トビアスは今直ぐ彼女を連れ去りたい衝動に駆られた。
だが王都の貴族社会で他の男を押し退け注目の令嬢に近づく社交技術はまだ若いトビアスには備わって居なかった。
結局その夜のパーティーは言葉すら交わせず終わってしまった。
トビアスがやっと気づいた恋心を置き去りにして。
八月末になってやっとアリス叔母は娘達を連れて実家であるバートン伯爵邸を訪れた。
王都を去る挨拶とタウンハウスに残す末娘を見守って貰えるよう頼む為だ。
今回もシャーロットと二人きりで話す機会はなかなか訪れずトビアスはあの厩舎の干し草の陰のありがたさを思った。
もう殆ど諦めて少し不貞腐れながら二階のテラスに立つ。
「トビアス……」
皆で中庭の散歩に出た筈のシャーロットの声だった。
カーテンの向こうから聞こえていた。
嬉しさがこみ上げて近付く。
「疲れたふりでちょっと先に帰って来たの、少しだけでも話したくて」
「うん。うん、シャーロット。僕も…」
会いたかった。
話したかった。
けれど何から話せばいいのか分からない…。
「トビアス随分大人っぽくなった。もう素敵な紳士だわ」
確かにこの一年で声変りも終わり背が伸びて筋肉もついてきた。
言葉は交わせなくてもシャーロットはちゃんと自分を見てくれていた。
喜びと共に焦りが込み上げる、
テラスからは庭から戻って来る皆が見える。
もうすぐ、彼女はここを離れていかなければならない。
けれど焦りはそれだけではなかった。
離れたら、また一年会えない。
その間にシャーロットに別の男が近付くかもしれない。
そう思った瞬間、胸が締めつけられた。
嫌だ。
気づいた恋心と独占欲が暴走しかけてさらに焦る。
「シャーロット」
「うん。トビアス」
皆がポーチに着いた…もう時間がない。
トビアスは息を吸った。
「僕と結婚して。僕以外は見ちゃ駄目」
自分でも驚くほど、言葉が素直に溢れた。
子供っぽい言葉だ。けれど、今はそれが精一杯だった。
カーテン越し背中合わせだった背に、ふいに温かな気配が触れた。
振り返る。
目の前にシャーロットがいた。
驚いて目を見開くトビアスの唇に、柔らかなものが一瞬、触れて直ぐ離れた。
そして彼女は、また素早くカーテンの陰へ戻ってしまった。
「……私、トビアスのお嫁さんになる」
小さな声が聞こえた。
「来年の夏に来た時、ちゃんと申し込んでくれる?」
「……うん」
なぜか胸の奥が疼いて涙ぐみそうになって慌てて続けた。
「約束する」
そう答えた時、皆が扉を開けて入って来た。
シャーロットがテラス際を静かに離れて行くのを背中で感じた。




