絵画
政宇は絵画を嗜んだ。政宇は周囲の世界にあるものを題材にすることを好んだ。筆致はきわめて細密ながら、独特な感覚の構図と複雑な光の加減があり、日常的な場面でもどこか不可思議な印象を与えた。政長は自分の好みのものだけを描いて満足しなかった。その時代のものの見方で、世間を描いた。
「春望図」では、満開になった桜の木の下で人々が楽しそうに花見をしている様子が描かれている。この絵を見た人は、まるで自分がその場にいるような錯覚に陥ることだろう。このように政宇の絵は見る人の心を魅了する力を持っている。
「ところで、また何か面白いものを見せてくれるのか?」
「はい、本日は新しい画法を試してみとうございますれば……」
「それは楽しみだ」
そして、二人は奥座敷へと入っていった。
「これは何という絵具であろう?」
政宇が訊ねた。
「はい、南蛮渡りの絵具にて……」
力四郎が答える。
政宇の顔色が俄かに変ってきた。彼は力四郎の手から筆を奪い取るようにして、いきなり白紙の上から大きな円を二つ三つ描いた。新たに小指ほどの大きさをした小さな円を幾つも描き始めた。
「こりゃ! この色は何と言うのかね」
「赤土の色でござりまする」
「そうか! これが赤い色なのか」
「左様にござりまする」
「なるほど!! では、これはどうだ?」
次に描いたものは、まるで血のような真紅であった。
「これは……」
「うむ、血の色であるよ」
「左様で……」
「それで、これは?」
そこには黒に近いような青黒い色の塊があった。
「これこそ海鼠の皮の色だよ。この色が好きでねえ。昔、よく食べたものだ」
「はあ……」
「それから、これは何だろう?」
次に描かれたのは、やはり真っ黒のものであった。
「墨汁の色でござりまする」
「ふーん……これは何だい?」
最後に描かれたのは、黄色っぽい塊だった。
「これは掛け軸にあったものです」
「ほう!……これも絵具かい?」
「はい」
「ふうん……これはいいなぁ」
政宇は狩野常信の門人になった。乾いた砂が水を吸い取るように政長は学んだ。狩野常信は江戸幕府に仕えた御用絵師。狩野探幽に画を学ぶ。そのため、狩野探幽の様式を踏襲した画風であるが、装飾性は増している。構図の位置関係の整理や合理化を取り入れ、さらなる装飾と綿密さで描いており、より明快で華やかな印象を与える。狩野元信・狩野永徳・狩野探幽とともに狩野派の四大家と称せられる。
「おお、建部様でござるか」
「久しぶりじゃのう」
「いかがなされた?」
「実は先日、拙宅において拙作をお見せいたした折、先生より『おもしろかった』とお褒めの言葉を賜りました。その礼を申しあげたく参上つかまつった次第にて……」
「なんのなんの……いや、なかなか面白き趣向でございましたぞ」
「おそれ入りまする」
「しかし、あの絵画はまことに巧妙ですな」
「さようですか?」
「あれほどのものを拵えるとは大したものじゃ」
「ありがとう存じます」
政宇は正徳五年(一七一五年)一月二六日に没した。亡くなる前も絵を描いていた。
「余は、この色が好きなんだな? よしよし分ったぞえ!」
突然、大声に笑いだした。その笑い方は尋常ではなかった。狂人のように高らかな声で笑っているうちに、次第に顔中が引き攣れて来て、しまいには口の端や頬骨まで痙攣して来た。そして、その発作が治まったと思う間もなく、今度は見る間に顔面蒼白になって行った。
「殿、いかがなされました?」
「…………」
「殿?」
「…………」
「殿!!!」
「わっ!」
「お気づきになりましたか?」
「ああ……大丈夫だ。少し眩んだだけだから……」
「どこか御気分でも悪いように見えましたが……」
「心配せんでもよろしい」




