嘘の遺言
謙信の死後に上杉家を二分した内乱である御館の乱がおきた。謙信の二人の養子の景虎と景勝が対立した。謙信の死の翌日から家臣達は景虎派と景勝派に分かれて言い争いを始めた。現代の組織にも通じるワンマン体制の脆さを物語っている。御館の乱が混乱と激烈を極めた。
謙信の掲げる義の精神の下で一つにまとまっていた上杉家であったが、景虎派と景勝派に対立する理由は非常に分かりやすい。景虎派である謙信譜代の家臣にとっては謙信と対立したこともある長尾政景の息子・景勝が家督を継ぐことは面白くない。景勝が家督を継ぐことで景虎譜代の家臣である上田衆の発言権が大きくなることも面白くない。一方、景勝派の上田衆にとっては自分達が仕えてきた景勝に主君にしたい上、敵対した北条氏の出である景虎が家督を継ぐことは受け入れがたい。
「御屋形様の御意志を継ぐ者こそ、上杉の家を継ぐべきですぞ!」
景虎が声高らかに宣言すると、他の諸将達も大きくうなずいた。
「何故、お主らは上杉家の相続問題に口を挟む!?」
景虎派の家臣達は外様である景勝派の上田衆を批判した。
「何だと……」
「そもそも、御屋形様が亡くなられた今となっては、誰が後継ぎになるべきかは自明のことではありませんかな?」
「御屋形様が生きておられる間に決めていれば問題なかったのですがね」
景虎が皮肉っぽく言った。景勝は唇を噛み締めた。景勝も景虎と同じことを考えていたからである。謙信が生きている間は後継者争いを起こさないようにしていた。しかし、謙信が亡くなった途端に後継者争いが起きてしまった。景勝は謙信が生きていた頃に戻りたいと切実に願ったが、それは無理なことであった。
景勝や景勝を支えた直江兼続は義の人と評されるが、跡目争いに義はない。兼続が謙信の死後に最初にしたことは、謙信が「家督は景勝に」と遺言したとの嘘をつき通すことであった。上杉家の混乱を避けるためという理屈を付けているが、だまされる側の立場を無視している。だまされた側もだまされたままでいる方が無用な争いにならず幸せという論理は詐欺師や悪徳業者の発想である。
兼続は自分の行為が正しいとは思っていないだろうし、景勝もそんなことを望んでいない。兼続は自分の行動によって上杉家が分裂する事態を避けたかったが、この行為は結果として上杉家を内部崩壊させた。景勝が上杉家の家督を相続すれば景虎の地位は失われてしまう。だからといって、景虎が相続すると今度は景勝の立場が失われてしまう。
「謙信は景虎に後を継がせることを希望していたのではないか? 景勝は謙信の遺志を無視したのではないか?」
景虎派はそう考えた。景虎派の家臣達にとって上杉家とは、謙信が築き上げた巨大な富の蓄積であった。それを一代で失ってしまうことは避けたい。景虎は謙信の後継者としての地位を失うことを恐れた。景虎は景勝が謙信の後継者であることを認めず、自分の正統性が揺らぐことを絶対に許せなかった。
景虎側だけでなく、ある意味では景勝本人も嘘の遺言の被害者である。景勝は幼少時に謙信に言われた「ともに良き国をつくっていこう」という言葉を思い返して、すっかり家督を継ぐ気になっている。この能天気さは哀れである。




