掌握
時間ちょうどに指定された地点に行けば、ドリコが既に待ち構えていた。隣にはフードを頭まで被った小柄な人物もいる。あれが先ほど選んだ奴隷だろう。
「お待ちしておりました。それでは、これが約束の物となっています。ご確認ください」
「うむ」
僕はドリコの横に立つ人物の傍まで行くと、被っていたフードを外した。
すると出てきたのは、先ほどの写真よりも幾分かやつれているが、それでも充分美人といえる少女の顔だった。
「ほう」
僕が少女を覗き込むと、彼女はただ黙って僕を正面から見つめ返した。それを見てドリコが僕に話すときでは想像も出来ないような恫喝する声を上げた。
「おい、今日からお前の主人となる御方だぞ! 失礼のないようにしろ!」
「…………」
ドリコの怒声に、しかし少女は眉一つ動かさなかった。大の大人でもここまで涼しい顔は出来まい。大した女のようだ。
「貴様ぁ……返事をしろ!」
「ああ、そう怒鳴らくていい。自分の手で飼い慣らしていくのも、奴隷を持つ愉しみの一つだからな」
「おお、流石はカイエン様。奴隷の扱いを分かっていらっしゃる!」
奴隷の女と貴族の僕とでこうも声音が違うか。目の前のドリコの身代わりの早さに、僕は呆れ半分ながらも舌を巻く。
「ほら、お前もいつまで黙っている。早く挨拶をしろ」
「……モルディと言います。出身はザギール、歳は十八………………よろしくお願いします」
最後の言葉は言うか言わないか迷ったらしい。無愛想なのもそうだが、新しい自分の主人となる男に対しての恐怖や不安などを微塵も感じさせない。本当に肝が据わっているようだ。そして歳は十八……小柄なためか、見た目はもっと幼く見えるな。まあ違和感を覚えるほどではない。それよりも気になったのは、彼女の出身だ。
「ザギールだと? しかし、今あの国とは」
「はい、目下戦争中であります。今、ザギールは我が皇国との戦争で手いっぱいらしく、国民に多大な重税を課しているのだとか。それに嫌気が差すためか、最近はザギールから流れてくる不法移民が多いのですよ」
つまり、彼女は皇国に亡命してきたということか。確かに、国境沿いは警備が厳重とはいえ、その全てを完全に封鎖しているわけではない。深い森の中や険しい山がそびえる場所など、そもそも人が踏破することが困難な地点は警戒も薄い。ザギールの重税の話が本当ならば、おおよそザギールから逃れてきた者たちを、ドリコが不法移民だなんだと言いくるめて奴隷にしたというところか。
「もしや、カイエン様はザギール人が嫌いでございましたか? それならば、すぐにこれを廃棄して、違う国の者をご用意いたしますが」
黙っている僕に違和感を覚えたのか、ドリコが出した提案だが、モルディはここでも無表情。おいおい、段々僕の方が不安になってきよ。
「いや、安心しろ。そのようなことはない。では、本当にこいつは貰っていっていいのだな?」
「はい、勿論でございます。また何か物入りになりましたら、是非とも私の方へご相談ください」
恭しく一礼したドリコは闇の中へ消えていく。残った僕とモルディは、しばらく無言であったが「では行くぞ」という僕の掛け声と共に、宿へと歩を進める。逃げ出そうとするかと思ったモルディも、大人しく僕の後を付いてくるだけだった。
「ここがお前の部屋だ。とはいえ、あくまでも私の部屋の隅を貸すだけだがな」
宿に帰りカイエンの住む部屋に通すと、モルディを中に招き入れた。
モルディは入った時こそ部屋をぐるっと一瞥したが、それ以降は特に興味もないのか、俯いたままだった。
僕の方も、とりあえず念願の奴隷商人との邂逅を経て満足していた。自分の好きに出来るならモルディで遊ぶという方法も考えられたが、生憎今はエンヴィの体を介してカイエンを操っているだけ。エンヴィを操作するのもそれなりに疲れるし、任務の報告書の続きも書かねばならなかった。
「今日は疲れたので私は休む。お前は好きにしていていいが、ベッドは私が使わせてもらうぞ。毛布を一枚やるからそれで我慢しろ」
「………………え」
僕はベッドに掛けられていた毛布を一枚モルディに投げると、驚いた表情で何事かを喋ろうとする彼女を無視し、エンヴィとの感覚を遮断する。
視界は瞬時に元に戻り、机の上には書きかけの報告書が残っていた。
「自分の奴隷になんでも命令できるなら、むしろこういうことを代わりにやって欲しいんだけどなぁ」
カイエンの部屋にいるモルディのことを考え、溜息を吐くと、僕は再びデスクワークに戻る。
明日には関所警護の任務も交代になり、自由時間も増える。そのほとんどを教会で使うつもりだったが、カイエンことエンヴィの操作も考えると、それも少し見直す必要が出てきそうだ。
結局その日は報告書を書くのが朝までかかり、少しだけ仮眠を取った後、僕は再び関所を向かうのだった。
「貴様、能無しの奴隷の分際で何を休憩している!」
それから僕の毎日は加速度的に濃密な物になっていった。
なにせ、軍人のカナキ、神父のカナキ、そして奴隷を酷使するカイエンとして、三つの顔を使い分けながら生活することを余儀なくされたのだ。軍と教会の仕事はともかく、カイエンの方は僕が他の仕事をしている片手間にも操作しなければならなかったので骨が折れた。理不尽な理由で奴隷の男たちに暴行を加えるのもいい加減うんざりしていたのもある。
「神父さん……最近は物価も高騰してきて、毎日生きていくのがやっとになってきてねえ……神様がいるってんなら、どうしてこうも苦しんでいる私達を助けてくれないんだい?」
そして、教会に神父として勤めている間にも変化があった。
最初は僕の診療目当てで来ていた住民が、やがて少しずつだが、内面の悩みのようなものを話し始めてくれるようになったのだ。
「シルビアさん、エーテル教の教えでは、この世界自体がそもそも苦しいものって考えなんだ。そのかわり苦しいこの世界でシルビアさんがどれだけ頑張れたかっていうのを神様が見ていて、死んだあとによく頑張りましたっていうことで、天国に行けるんだよ」
「そうなのかい? でも、死んだあとに楽になるっていっても、私たちが辛いのは今なんだよ。もうこの通り私もババアだっていうのに、これじゃ頑張って生きながらえる分だけ天国が遠のいてしまうよ」
「我々がこの世界で天寿を全うすることも、天国に行くための大事な要素の一つです。しかし、言うのは簡単でも、それはなかなか難しいこと。だから、信者である皆さんを、この世で少しでも助けるべく、僕達神父がいるんです。シルビアさんのいう悩みも少しは楽になる方法を知っているので、友達の皆さんにもお教えください」
「はぁ……神父さんはすごい力を使えるだけじゃなく頭も良いんだねぇ……!」
戦場からほど遠いこのシスキマの町も、やはり戦争による貧困の余波が届いているらしい。
一度、教会によく来る老婆の悩みに答えてあげたら、次の日からちらほらと、僕に相談を持ち掛ける人が増え始めた。
時にそれは、その人のプライバシーを害す恐れがある悩みもあり、やがて僕は情報保護を理由に教会の一角に「告解室」と称した小さな小部屋を用意し、そこにはカイルやシャロン、そしてロイも含めて立ち入ることを禁止し、それを容認させた。
今となっては、あの教会のほぼ全てを掌握したも同然となっていた。最初は僕の仕事だったはずの雑事も、今では自然とロイの方へ仕事が回っていくようになり、神父見習いだったカイルでさえ、ロイに仕事をお願いすることもあった。
欲を言えば、ロイの妻だというシャロンも懐柔し、酒場で度々出会うモネと同一人物なのかを確かめたいところだったが、流石にこのハードワークの中ではそこまで手が回らなかった。
部隊の方も、未だアルティの圧倒的な人気には負けるが、奴隷兵士たちの中でも僕への信頼感はそれなりに上がっているようで、特に同じ班のアックスとフレシアの年長者二人は、既にアルティと同等に近いレベルの信頼を勝ち取ることに成功していた。これなら有事の際に多少無茶な命令をしても、二人なら従ってくれることだろう。
そうして盤石な足場を作りつつ、手駒を増やしていく生活を続け、シスキマに来てから早二ヶ月が経とうとした頃、遂にこの生活に変化が訪れる。
カイエンが、正確には僕のエンヴィが 何者かに殺されたのだ。
これにて二章終了です。
この章では思っていた以上に話が進まなく、展開に起伏が無かったことを謹んでお詫びします。
次の章からは今度こそ話が進むので、少しだけ期待していただいて大丈夫だと思います。




