53 王都
第三部の始まりです。この章で完結となります。
大陸宗主国である真国の首都はミッドウェルシュである。
人口が五十万人を超えるこの国随一の大都会だ。大陸中に放射状に伸びる街道の中心にあり、人や物が常に行き交う商都、文化の都としても知られている。また、東に大河、西に山地、南に森、そして北に湖を備える美しい街でもある。
南方領土の城下町ログウッドから王都ミッドウェルシュまで馬車で約七日の位置にある。北にある分ログウッドよりも秋はやや早く、窓の外に見える風景には、収穫期を迎える農村や、色づき始めた森がいくつも通り過ぎていった。
赤夏の宴が終わって半月後、レイフェリアは子どもの頃以来、何年振りかでこの都に足を踏み入れた。
「ログウッドの街も綺麗だったけど、王都はなんていうか……やっぱり規模が違いますねぇ、レイ様」
「本当ねぇ。私は子どもの頃、何度も来ているはずなんだけど、あんまり覚えていないのか、まるで初めて来るところのようだわ」
馬車は広い通りを走っている。四頭立ての馬車が対面ですれ違える広い通りだ。両側には歩行者用の歩道もある。
「来るまでの風景も素敵でしたが、城門をくぐってからはずっと建物ばっかり! ああ、あそこには異国風の服装をした人たちがいっぱいいます。向こうにはすごく高くて立派な塔が見えます。あ! 屋台が出てる! あんな食べ物、見たことがありません!」
広い通りにはたくさんの店が軒を並べていた。ルーシーは王都が初めてなので、何もかもが珍しいようだ。
馬車は広い道からやや狭い通りに入ったが、ここもしっかり舗装されていて不快な揺れがない。しばらくすると、道は地道になり、建物が少なくなって大きな樹木が目立ち始めた。
「急に雰囲気が変わったわね。もしかしたらここはもう南方領主公邸の敷地内なのかしら?」
レイフェリアの予想は当たったようである。馬車が停まったのは、森に囲まれた南方領主の屋敷だった。やはり赤い外壁に囲まれている広大な邸宅である。
「さぁ、着きましたよ」
オセロットが馬車の扉を開けて言った。
降りてみると、ログウッドの城に比べると小振りで平屋だが、近代風で敷地はかなり広いことがうかがえた。広い庭の奥には小規模ながら小川や池まであるらしい。来た時に通った森とつながっているのだろうか?
「レイフェリア様には、一番涼しいお部屋をご用意致しますね」
オセロットはにこにこと言った。彼はここでも執事のような役割のようである。
「ありがとう、とても綺麗なお屋敷ね」
通された円形のホールは天井が高くて天窓があり、大変明るい。床のタイルには太陽の意匠が描かれている。奥に放射状に三本の廊下が続いていた。
「フェリア」
馬を置いたティガールがやってきた。彼はヒューマとともに、道中は騎馬で馬車の護衛をしていたのだ。レイフェリアがいくら馬車を下りて馬に乗りたいと言っても、今回は珍しく許してもらえなかった。
「俺はこれから王宮に行く」
「今から? 到着したという報告なの?」
「ああ。すでに先触れは出しているからな。このあいだの一件や……お前のことをとりあえず、王の耳に入れておきたい」
「わかったわ」
領主は婚約が整ったら、婚姻の許しを請うために国王に報告する義務がある。これまでに認められなかったことはほとんどないということだが、しきたりはしきたりだった。ティガールはその下準備のために、親しい間柄だというゼントルム王に謁見するのだろう。
「それで……落ち着いたらフェリアにも登城してもらうことになる」
「ええ……」
レイフェリアは頬にさっと緊張を走らせて頷いた。
彼女には確固とした目的があるのだ。父の受けた嫌疑のことを調べ直してもらう、あるいは自分で調べることをゼントルム王に認めてもらい、真相を探り当てるという目的が。
だが、そんなことが果たして許可されるのだろうか? もう七年も前のことなのだ。しかも王家も代替わりしている。王の許しがなくば、何もできないお手上げの状態になるのだ。
「心配するな。俺はゼントルム王と……まぁ、近しいといえば近しい関係にある。お前の望みも伝えておく」
心配そうに瞼を伏せるレイフェリアの肩に手を置き、ティガールは大きく頷いた。
「ええ、あなたを頼りにしているわ」
「ま、任せておけ……では行ってくる! フェリアは部屋で休んでいろ。ヒューマ! 着替えるぞ、支度をしろ!」
ティガールは素早く踵を返し、すたすたとホールを横切って行ってしまった。その後をヒューマが追いかけるが、彼はこちらに向かってしたり顔で肩を竦めるのを忘れなかった。
あんまり煽っちゃだめですよ、という意味だろう。ルーシーは笑ったが、レイフェリアには通じなかったようで小首を傾げている。
王都の昼下がりは秋の穏やかな日差しに溢れていた。
「久しぶりだな、この虎男」
ゼントルム王は自分の私室ですっかり寛いだ様子で、長椅子にだらしなく体を伸ばしていた。
ティガールほどではないが彼も大柄で、派手な服装を好む男である。年の頃は三十半ばというところだろうか。栗色の髪は豊かで、王族なのに無精髭を生やした、どこか狼を連想させる風貌である。
「お前、この冬に俺と会った後、その足で北へ向かったんだろう。帰りに寄ってくれるだろう、首尾を聞けるだろうと俺は待ちわびていたぞ、なのによくも素通りしてくれたよなぁ。それを世間では不義理というのだぞ、虎男め」
ゼントルムは陽気に笑った。
「王陛下よ、何度も申し上げているが、俺のことは名で呼んで頂きたい。この春のことは気が急いていて、陛下のことなど考えもしなかった。だが、このほど我が領地でも婚約を父に承認してもらった。故にこうしてまかりこした。順序から見て、決して遅くなったとは思っていない」
「愛しい娘を手に入れた勢いでってことか。まぁそれはわからぬでもない故、許してつかわそう」
「ありがたき幸せに存じます」
ティガールは嫌そうに鼻の頭にしわを寄せた。
「おいおい、そんな顔をすると昼間でも虎になっちまうぞ」
「真昼間からはなり申さん。それよりあなたの承諾も要るのだろう! さっさと認めてくれ! いや、ください!」
「ああ、わかった。許す、許す。でないと虎に泣かれるからな。ほら、これを持っていけ」
ゼントルムは鷹揚な態度で脇の小卓に置かれた厚い書紙を手渡した。
「……感謝の極み」
ティガールは短く礼を言う。それは王の署名のある婚姻の許可証だった。
ざっと読み下すと、大切に包んで上衣の内側に入れる。これで、堂々とレイフェリアを自分の婚約者だと告げることができるのだ。
「それにしてもなぁ。餓鬼の頃の初恋をしつこく思いつめて、とうとう実らせるなんてなぁ……虎ってな執念深いねぇ」
「褒められている気が全くしないのだが、我が王よ」
「褒めているとも! まぁ気持ちはわからぬではない。俺の女房もいい女だからな! けどそれにしたって、十年も思いつめてねぇぞ。やっぱりお前はすごいわ」
「俺達にとって、つがいは特別な存在なのだ。追って、追いかけて、追い詰めてものにする」
「それじゃまるで獲物じゃねぇか」
「……」
「……いい女なんだな」
「この上なく」
「言うわ! 俺も王太子だった頃に、ほんのちびっ娘だったあの娘に会ったことはあるんだけどな! 父親に連れられて王宮に来たんだよ。あん時は大人しいわりに、好奇心できらきらしていた紫の目が印象に残ってるな。あの目はすごいな!」
「俺のものだから」
「……」
うへぇと言うように肩を竦め、ゼントルムは傍の飲み物を一気に飲み干した。
「……それで、何か曰くがあるんだろう? その娘には」
「あなたはもう気が付いているのだろう?」
「まぁな。あの娘の父親は、七年前、俺がまだ王太子だった時に王家への反逆罪の疑いをかけられ自害して果てた」
「……世間ではそのようになっていると言う。だが、フェリアは父親は無実だと信じている」
「ふむ」
「俺はフェリアの望みを叶えてやりたい。だからあなたにお願いする」
ティガールは低く頭を下げた。
口調は王に対するものとしては、かなりぞんざいではあるが、南の領主家は忠実に王家に仕え守ってきた一族である。代々、無骨で不器用で、一徹な男たちが領主を務めるのだ。そして、内に飼う獣の故か、見た目が美しいので、南方領主は四方侯家の中では常に目立つ存在だった。
「恋する男とはこんなものか」
ゼントルムはティガールのつむじに向かって笑った。
「考えておこう」
「ありがたく」
「話が変わるがな。東からまたぞろお前の嫌いな男が出張ってきたぞ」
「わかっている。先に送った報告書は?」
「読んだ。確かに確証はないが、さもありなんという気がしたな。俺の思い過ごしかも知れんが、東の領土は代替わりしてからどうもなんというか、澱みを感じる。それにあの男──ファハル・アジールは少々得体がしれん。表面は物静かで慇懃なのだがな」
「……」
ティガールは眉間を険しくした。
「おい、あんまり顔に出すなよ。お前の悪いところだぞ」
「……気をつける」
「だがまぁ、あの男もお前のことは好いてはおらんだろう。なにやら仔細があるようだな」
「俺を挑発しているのだと思う。それも大事にならぬようギリギリの線を狙ってくるのが、巧妙なところと思う」
「東は昔から南と仲が悪いが、特にお前たちの相性は最悪だよなぁ。歳はわりあい近いのに」
ゼントルムはうんざりしたように言った。
東の領主は代々医薬の術を受け継いでおり、様々な草木や珍しい獣の肝などを薬にする術が伝わっているという。数代前には姻戚から国王の殿医を輩出したほどなのである。
しかし、一方で秘密主義の土地柄でもあり、既知の知識を除いて、薬学や医術などの研究の成果を他領に伝授する意思はほぼない。土地そのものはあまり豊かではなく、交易品は主に薬や陶磁器、それに塩である。その塩の産地が東と南にまたがっていて、その国境線をめぐって昔から南方と小競り合いが絶えないのだ。良質な岩塩の産出地が主に南の領土に広がっているせいもある。
そしてその東の領主ファハルは、数年前に叔父の跡を継いで領主となった男である。年のころは二十代の後半だが、表情があまり変わらないのと、ゆったりした態度のせいで年齢よりも年上の印象を受ける。
彼は黒髪に黒い瞳、そしてやや黄色身がかかった肌の痩身の男であった。
ティガールは本能的に、ファハルが物静かなその物腰の裏に、粘着質で残忍な本性を隠しているように思えてならないのだ。そして彼も荒々しく派手な印象のティガールを軽蔑している。
「俺は……あいつを信用できない」
「おいおい、お前らを束ねる立場の俺のことも考えてくれよ。いいから揉めごとだけは起こすな。報告にあったように、もし奴がなにか邪な方法で南に爪を伸ばしてくるなら、あるいは過去に何かしでかしているのなら、確たる証拠が必要なのだ。わかるな」
「は……」
「よし!」
ゼントルムはやおら体を起こし立ち上がった。
「とにかく、この件は一旦置いといて、まずはお前の手に入れた宝の顔を拝ませてもらうとするか! そうさな。五日後、ここに連れてまいれ。我が私邸にな。目通り許す!」
ゼントルムは王者の威厳をもってティガールにそう告げた。




