40 共闘
「今夜も上手くいったな」
小さな黒い天幕の中には、たった一つの小さなカンテラしかない。そんな中で数人の男たちがひそひそと蠢いている。
「ああ、村人たちは大混乱だ。さっきは広場でものすごい悲鳴が聞こえたぜ」
「俺たちの音響誘導は、人の心の奥にある不安を掻き立てる。この村でいくつめだ? ひひ」
昏い笑いが天幕を這った。
「四つだ。もうあといくつかの村を駆り立てて、混乱が最高潮になったところで、ちょっときっかけをくれてやれば大きな暴動が起きるぞ。そうなれば王都に知らせが届いて、南の領主は王の不興を買う」
「素朴な村人さん達を扇動するのがこんなに他愛ないとはな。おい、ウンピョウ! 食い物が足りねぇぞ! 酒も、もっともってこい!」
男の一人が天幕の外に向かって怒鳴った。小さな足音が慌てて駆け去る音がする。
「いや、それにしても俺たちの主人はすごい。誰もあんな小さな笛にそんな力があると思わないだろうよ」
「あの方は一体どう言う人なのだろう? いつも黒い仮面で顔は見せねぇが、かなり身分のある人のような気がする」
「さぁ、俺たちにはわかるわけがねぇよ。ちらっと聞いた話じゃ、なんでも古学の研究者だそうだ」
「へぇ。おりゃあ金さえもらえば、なんだっていい」
「南がどんどん弱みを晒せば王の覚えも悪くなり、国力も衰えるだろう」
「おお。そうすりゃ、俺たちの東方が交易の主となって美味い儲け話が転がり込むぜ。これまで実験した感じじゃ、ちょっと暗示をかけたら有利に取引を進められそうだ。俺らにはそれができる」
「あの方のお知恵をもってすれば、王都の公的事業にも食い込めそうだしな」
「大儲けができるぞ! 俺たちは選ばれた一族だ」
再び低く抑えた笑いが天幕に満ちた。だが、その空気を破って一人の男が声を上げる。
「おい……なんか変じゃないか? ウンピョウが戻って来ねぇ」
「あいつ、まさか逃げたんじゃねぇだろうな。お前見てこいよ」
「おう」
一人の男が立ち上がって天幕を捲る気配。
「あ? ああ、戻ったようだぜ。おい! ウンピョウ! さっさと……うぐぅ」
すぐにその声はくぐもって、苦鳴と共にかき消えた。
「おい! どうし……」
別の男が立ち上がった途端、天幕が倒れ、上からばさりと黒い布が被さってくる。一瞬暗くなったと思えたが、倒れたカンテラから布に火が移り、天幕がぶすぶすと燃え始めた。男たちが騒ぎ出す。
「おい! 危ねぇぞ!」
「うわぁ! 早く出……ぐっ!」
勢いよく燃えだした天幕からなんとか顔を出した男は何かに頭をぶつけたのか、突然昏倒した。
「なにが起きてるんだ! 早く布をどけろ! 燃え広がるぞ!」
「……わわ!」
男たちはなんとか天幕から這い出た時、再び肝を潰した。
「な、なんだあれは?」
積み上げられた大きな木箱の上、月を背に巨大な黒の影があった。四足の獣の影と、その上の小さな人影。下方の金色の目がこちらを見据えている。
「ひい!」
「ば、化け物!」
獣は音もなく飛んで、逃げる男の上に着地する。踏みつけられた男がぎゃっと叫ぶ。獣は炎を物ともしないで暴れまわった。彼が跳ぶごとに、着地の衝撃で骨の折れる鈍い音と、男たちの苦鳴が闇に響いた。
「ティー! わかっているわね、狙っていいのは足だけ!」
涼やかに命じる声に一声吠えた獣は、狙いを定めるように低く跳んだ。
すでに男たちは燃え盛る天幕から脱出し、恐慌状態で四方へ散っている。しかし、煙が月を覆い隠してしまったので、やみくもに走り回るばかりである。闇を見透かす獣にとっては、格好の獲物となった。
「うわぁ!」
狙いは誤ることなく男たちを潰し続け、逃げ惑う影はどんどん少なくなり、次第に辺りはうめき声以外聞こえなくなった。
「あ! 向こう! 一人逃げるわ!」
ほとんど倒したかと思っていたが、積荷の隙間からこそこそと這いでる男がいた。
「逃がさない! ティー!」
レイフェリアは一声叫ぶと、獣の背中から背後の箱の上に飛び移る。こちらも鮮やかな跳躍だ。
獣は這々の体で逃げようとする男の背に飛びかかった。男はあっけなく地に伏せられた。
「ヒューマ! こっちよ」
「はい!」
縄を持って現れたヒューマは、次々に男たちを捕まえていった。とはいえ、ほとんどは足を折られて動けなくなっていたので、逃げられないように木の根元まで担いでいき、二人ずつ木に繋いだのだが、ヒューマの手際の良さのおかげで、瞬く間に作業は終わった。
「足に大怪我をさせてしまったわね。治るかしら?」
「なに、構うことはありませんよ、姫様。こいつら小さな村を妙な音で扇動して、良くないことを企んでいやがったんです。おい! お前たち、全部吐いて貰うからな! 首謀者もだ! 覚悟しろ!」
男たちは最早抵抗する気もないらしく、うめき声をあげている。獣は彼らを威嚇するように喉の奥で唸った。いつの間にか天幕の火事は収まっていた。幸い、空き地だったので周囲に燃え広がるようなことはなかったようだが、辺りにはまだ焦げ臭い匂いが立ち込めているが、煙そのものは大気に薄まりつつあった。
「……ですがレイ様」
一仕事終えたヒューマは、獣を背にしたレイフェリアを畏怖の目で見つめた。
「なに?」
「あなた様は……その、恐ろしくはないのですか?」
ヒューマの目はレイフェリアと、彼女の後ろに座り立ちする獣を往復している。
「ないわ、ティーのことなら知ってるもの」
「知ってる? ティー?」
ヒューマは驚いて聞き返した。
「ええ、知っていたの。彼は昔、王都に滞在していた頃の私のお友達。私はティーと呼んでいた」
細い指先が獣の頭を撫でる。獣は喉の奥でごろごろ──というには少々物騒な音を立てた。
「まぁ……あの頃はこんなに大きくはなかったから……すっかり印象が違ってしまって、すぐには思い出せなかったけど」
「いったいどういうことです?」
「ここではちょっと話しにくいの。それにこの人達もいるし」
「ああ、そうでした!」
ヒューマは改めて自分が縛り上げた男たちを見た。既に半分くらいは気を失っている。
「この人達、これからどうするの?」
「今日はこのまま見張って、明日の朝、近くで待機している警備隊に遣いを出して引きとってもらいましょう。そこからログウッドに移送になると思います。ところで……こいつも仲間かな?」
ヒューマが倒れた天幕から少し離れたところに置いてあった箱の中から、何か細長いものをひょいと取り出した。
「この騒ぎよりも前に俺が捕まえておいたんですよ」
「なぁに? それ……まぁ! 子どもじゃない!」
それはまだ十二、三歳くらいの痩せっぽちの少年だった。
レイフェリアは思わず駆け寄り、地面に降ろされて項垂れている少年の肩に手を乗せたが、邪険に振り払われてしまった。
「こいつ! なんて態度だ。せっかく助けてやったのに」
「いいのよヒューマ。なにか事情があるんでしょう? 本当にこの人達の仲間なの?」
「ええ。そのようです。こいつは軽業師で、今夜も前座でなかなかの腕前を披露してたんですよ。なぁ? 小僧」
少年は答えずに顔を背ける。その肩が細くて痛々しい。
「奴らの仲間には違いないんですが、まだ子どもだし。どうも見た感じ、奴らにこき使われていたようなんで……」
「おい! ウンピョウ! まさかお前が俺たちを売ったんじゃねぇだろうな! そんなことすりゃぁ後でどうなるか……」
まだ比較的元気が残っていた男の一人が少年に向かって凄んだ。
「うるさい! お前らなんか大嫌いだ!」
初めて少年が口をきく。それはまだ変声前の細い声だった。
「俺の母ちゃんと妹を返せ!」
「お前がなんかすりゃ、どっちも命はねぇぜ……ひっ!」
音もなく獣が男の前に着地する。鼻先の触れあう距離だ。
「こ、殺さねぇでくれ……ぐあっ」
前足で横面を張り飛ばされ、縛られたまま棒のように吹っ飛んだ男は動かなくなる。少年の目が恐怖で真ん丸になるが、彼は気丈にも叫んだり泣いたりしなかった。
「お前……ウンピョウって名前なんだな。ほら、もう聞いてるやつはいなくなった。この獣は悪者じゃない。よしウンピョウ、お前は俺達と来るんだ。お前の知ってることをちゃんと話をしてくれたら決して悪いようにはしない」
ヒューマは虚勢を張ろうとする少年を宥めた。内心では同情しているのだろう。
「あいつらの使ってた楽器は全部取り上げた。これについて知っていることがあったら教えてくれ」
「……」
「さっきの話からすると家族を人質にとられているの?」
少年は躊躇いがちに首を縦に振った。レイフェリアは握りしめた拳をそっと自分の手で包んでやる。
「話す気になったらゆっくり話を聞かせてね。ウンピョウ」
ウンピョウは黙ってレイフェリアを見ていたが、やがて先ほどよりは大きく頷いた。
「ありがとう。かなり疲れているようね。しばらく眠るといいわ」
その様子を見ていたヒューマは、しばらく考えをめぐらしていたようだが、心が決まったようにレイフェリアに向かって言った。
「レイ様、俺は馬で警備隊の駐屯地まで走ってきます。この子もついでに連れて行って預けてきますよ。ひとっ走りで戻って来ますんで、しばらくこの場をお任せしていいですか? 多分、ある……じゃなくて、獣がいるんで大丈夫だと思うんですが」
「大丈夫よ。私たちで見張っている。ね、ティー?」
獣は答えるように大きく口をあけた。三日月のように尖った牙が白々と光っている。
「で、その……くれぐれもこのことは……」
レイフェリアはヒューマが言わんとしていることを理解した。彼はこの獣が、南方領主後継の変異した姿だということを、誰にも知られたくはないのだ。彼の懸念を払拭するようにレイフェリアは微笑む。
「大丈夫。信用してちょうだい。それより早く戻ってきてね。もう真夜中に近いわ」
「わかりました! では!」
レイフェリアはヒューマを見送ってから、やれやれと草の上にへたり込んだ。その横に獣が寝そべる。こうしてゆっくり見ると彼は本当に大きく、美しい獣だった。
「素敵な縞模様ね。以前はこんなにくっきりしてなかったように思うんだけど」
話しかけても無論答えは返ってこない。
口の構造が人間とは違うのだ。言葉を理解することはもうわかっていたから、レイフェリアは一人で囁くことにした。十リール離れた男たちには聞こえはしないだろう。彼らも、もう体力も気力も使い果たしたようで、ぐったりとしている。
「……すっかり忘れちゃってごめんね」
獣はふんふんと鼻を鳴らした。
「だってあの頃は私がひょいと抱き上げられるくらい、あなたは小さかったのよ。ふふふ。実を言うと……ふふ」
レイフェリアは思い出し笑いを止められない。
「私はあなたのことをただの猫だと思っていたの。とっても賢くて人懐こい猫だって……それが今やこんなに……」
縞模様の入った太い前足に触れる。太さはレイフェリアの三倍ほどもあるだろうか? 丸まった手の先には鋭い爪が隠れているのだろう。
「こんなに大きくなって……それにとても綺麗。なのに姿を見せてくれるのはいつも夜なのね。だからすぐにわからなかったのかな」
言いながらレイフェリアは両腕で獣の首を抱いた。ざらざらした舌が首筋を舐める。
「くすぐったいわ」
レイフェリアが体を離すと今度はその指先をそっと舐める。
「相変わらず私の指が好きなのね」
ひとしきり好きにさせた後、レイフェリアは寝そべった獣にもたれた。
──なんて不思議な夜。こんな大きな獣と寄り添って話をしているなんて。
頭と背中を獣に預けたまま、足を投げ出すと満天の星空が見えた。北の星々よりも大きくて明るい。
──だけど、どうも変だ。いくらびっくりするほど大きくなったからといって、名前までつけて遊んだティーのことを今まで全く思い出さなかったなんて……私はどうして今まで忘れていたのかしら? そもそも私はどこでティーと出会って、そして別れてしまったのだろう?
いくら考えても、そのあたりの記憶はいまでも曖昧なままだ。
──いいわ。こうして思い出せたのだから、これからゆっくり考えたらいいんだわ。
「ねぇ、ティー」
ふかふかの頬毛に鼻を埋めると獣が尻尾を優しく絡ませる。
いつの間にかレイフェリアはぐっすりと眠っていた。




