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【完結】月下の虎は甘く冷たい指先を食む  作者: 文野さと
南の領地

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38 魔夜

「主様、レイ様。情報に間違いはありませんでした。この先の小さな村に奴らはいます」

 物見に出したヒューマが戻ってくる。

「おい、馴れ馴れしく呼ぶな!」

「あっ! 申し訳ありません」

 少しも申し訳なくなさそうにヒューマが謝る。今回の旅は三人連れだった。

 レイフェリアとティガールが旅の夫婦者、ヒューマがその従者という設定である。(あなが)ち間違いではないと思っているヒューマは、この状態を至極楽しんでいた。

「かまわないわよ、ヒューマ。その方が普通の旅人の名前っぽく聞こえるから」

「……様子はどうだ?」

 ティガールは話の先を促した。

「旅芸人の一座は昨日この先の村に来て、すでに昨夜公演を一度行ったようです。報告にあった通り、村中そわそわしています。特に子供達が過敏になっていて、あちこちで泣き声が聞こえます」

「一座の人数は?」

「天幕は大小二つで、一つは舞台、一つは芸人たちの楽屋になっています。せいぜいが十人というところですね。これも報告通りです。最初に軽業があって、射的やナイフ投げがあり、最後に楽団が出てくる内容のようです。これだけみれば普通の旅芸人なんですが」

「そうか、では夜になる前に宿を取ろう。そして見物客に紛れ込む」

「は。小さな村の常で、村長の家が宿屋を兼ねています。他に旅人は見かけませんでした」

「じゃあ、私たちは薬草の行商人ということで」

 言いながらレイフェリアが荷袋の中から薬草の束を取り出して見せる。

「まだあるのよ。旅の目的がなんにもなけりゃ、怪しまれるかもしれないでしょう?」

「すごいですね! レイ様! いい考えです」

「だから、馴れ馴れしい言い方はやめろ。では俺はしゅ……主人ということで、いいな」

「くれぐれも話し方には気をつけてくださいね。旦那様?」

 レイフェリアは真面目くさって言った。

「わー……わかっている! では行くぞ!」

 ──主様、ちょろ過ぎます……

 従者の嘆きは、おそらく主人に届いてはいないだろう。


「あら、旅の人かね? めんずらしい。こんな辺鄙なとこに」

 古ぼけた扉から顔を出したのは村長夫人と(おぼ)しき老婦人である。

「すみません。納屋でいいので。二、三日泊めてもらえますか?」

「ああ、いいよ。裏に使ってない広めの離れがあるから。ご夫婦はそこを使ってちょうだい。お付きの人は奥の小部屋でいいかい? 夕飯くらいは出すよ」

「ありがとうございます。あなた……よかったわね」

「あ、ああ。そうだな。なんだその……お、お前は休んでいろ。俺は周りをけいか……いや見てくる……商売になりそうかどうか」

 そう言うと、ティガールとヒューマは荷物を置くのもそこそこに出て行った。怪しまれるといけないので、武器は家の外に隠してあるのだ。

「あの……なんでも旅芸人の一座が来ているって聞いたんですけど、面白いんですか?」

 村長宅の居間で夫人が出してくれたお茶を飲みながら、レイフェリアはさりげなく尋ねる。

「ああ、私は足が悪いから見にいけないけんど、主人と孫が昨日見に行ったよ」

「お孫さんがいるのですか?」

「五歳なんだけどねぇ。今日は一日調子が悪くって、ずっとむずがっているんだよ。嫁はいるけど息子は今隣村に用事で行っていて、困ったもんだ」

 耳をすますと、確かに細くて高い子どもの声が聞こえる。

「まぁ、かわいそうに……あの、私は薬草売りなんですけど、(かん)の虫に良く効く煎じ薬を持っています。試しにどうですか? お代はいりません」

「本当かね? それじゃあ、やってもらおうかね」

「はい。台所を使わせてくださいね」

 レイフェリアが煮出して冷ましたお茶を二階に持って上がると、泣き声はますます響いて来た。それを叱りつける母親らしい声まで聞こえる。

「もうっ!いい加減に泣き止みな! これ以上騒いだらぶつよ!」

 扉を開けた途端、目に飛び込んで来たのは、小さな男の子を寝台に押さえつけて腕を上げた若い女の姿だ。子どもは押さえつけられてますます泣き喚いている。

「なんだい! あんた!」

 目を血走らせた母親が、レイフェリアを睨みつけた。

「旅の薬売りです。今、階下でおかみさんから事情を聞いて、子どもに効く煎じ薬のお茶を持って来たんです。坊やにどうですか?」

 レイフェリアがそう言うと、母親はもう何を言う気力もなくしたらしく、どっと傍の椅子にへたり込んだ。子どもは驚いて泣き止んだが、不信感を露わにしてこちらを見ている。

「坊や、名前はなんて言うの?」

「……ロー」

 たっぷりと時間をおいて子どもは名乗った。隙あらば泣いてやろうと思っていたようだが、レイフェリアの持った盆の上に乗った菓子に気づいたようである。

「あら、とても呼びやすい名前ね。私はレイっていうの。お菓子を食べる?」

 そう言ってレイフェリアは盆をおいて、卵と砂糖とバターをたっぷり使った小さな焼き菓子を皿から一つ取り上げた。マヌルに言って用意してもらった贅沢な菓子である。案の定、子どもは飛びつき、もっと欲しいと言うように皿の上を見つめた。

「いいわよ。全部あげる。でも、このお茶を飲んでからね。ちょっとだけ苦いけど、お砂糖を入れたから我慢して飲んで欲しいの」

「……」

 男の子はしばらくお菓子とお茶、そしてレイフェリアを見比べていたが、やがて心が決まったのか、ぬるいお茶を一気に喉に流し込んだ。

「うへぇ、にが〜い! まず〜い!」

「よく頑張ったわね。じゃあ、お菓子食べてね」

 あまり行儀がいいとは言えない食べ方で、男の子はもりもりとお菓子を平らげたが、まずは甘味の効果が出たのか、食べ終わる頃にはすっかり大人しくなっていた。

「このお茶には鎮静効果があるんです。まだあるから、あなたも飲んでください。子どもさんには少し薄めてあげてね」

 レイフェリアはおどおどしている母親にお茶を飲んでもらうと、ひとまず落ち着いたと見て、部屋を出た。

 下にはすでにティガールとヒューマが戻っていた。一通り村を見回ってきたらしい。夫人の案内で裏にある離れの部屋に落ち着く。そこで早めの夕食を頼んで、早速今夜の相談を始めた。

「やっぱり、村人達の様子が変ですね。通りのあちこちで言い争いをしていました。年寄りは泣いているものもいましたし、子どもは子どもで母親の言うことを聞かずに暴れていたり」

「そうだな、確かに村全体が落ち着かない様子だった」

 想定はしていた事態だが、目の当たりにしたティガール達は難しい顔をしている。

「芸人達は小さい方の天幕で休んでいるようす。大きな天幕の中に忍び込んでみましたが、特に怪しいものはなかったし。楽器のようなものもありませんでした。だいたい不用心にも見張りも立てていないのですからね」

「何も疾しい事はないと示しているんだろう。小さな天幕の中はどうだった?」

「さすがにそこには入れませんでしたが。遮光性の黒布がぴっちりと張り巡らされていたので、今は眠っているのでしょう。夜に活動する奴らですから」

「そうか。やはり、その音とやらをこの耳で確かめなくてはならないな。ヒューマ、夜になったら行くぞ。怪しまれないように武器は近くに隠しておく」

「私も、一緒に行きます」

 レイフェリアは勢い込んで言った。

「だめだ、あなたは残るんだ」

「足手まといなどにはなりません。私には……」

「絶対に許さない。残れ!」

 ティガールが声を上げた。初めてのことにレイフェリアも驚いたが、同時に怒りも湧いた。

「いやです!」

「だめだ!」

「いや! せっかく耳栓を作ったのに、私だけ()け者なんて!」

 レイフェリアは(まなじり)を吊り上げた。

 そう、レイフェリアは音に何かの仕掛けがあると聞いて、綿を固く丸めて布を巻きつけた耳栓を作っていたのである。全く聞こえなくなる訳ではないが、かなりの音は軽減される。

「除け者ではない!」

「まぁまぁレイ様、大丈夫ですよ。俺たちでなんとかできます。あなたはもう十分お役に立ってくださいました。この先は男の仕事です」

 ヒューマが今にも言い合いが始まりそうな空気を察し、とりなすように言った。

「そうだ。それにここだって全く安全という訳じゃない。本当は村から離れたっていいくらいなんだが、それはそれで別の危険があるからな。だからあなたはここにいろ」

 ティガールが一歩も引かない構えで言い張った。

「……わかりました。でも、なるべく大騒ぎにならないようにすませてくださいね。村の人たちは単なる被害者なんですから」

「わかっている。とにかく、あなたはここを動くんじゃないぞ」

 念を押すティガールの言葉に、レイフェリアは黙って頷くだけだった。


「なかなかの見世物ですね。特にあの少年なんか、王都の催しでもいけそうですよ」

 二人が見ているのは玉乗りや、綱渡りなどの軽業の見世物である。

 これがこの一座の主たる演目になっているらしく、粗末な客席はぎっしりと埋まり、皆夢中になっている。綱渡りの少年は最後に大きく一つ跳んで、綱をくくってある台の上に着地した。盛大な拍手が鳴り響く。観客はざっと四、五十人と言うところだろうか?

「あ、また出てくるようです。次はナイフ投げか……おお! やるな!」

 ヒューマの言う通り、少年が投げたナイフは、十リール(メートル)ほど離れた的の中心に(あやま)たず刺さった。続けて投げたナイフもどんどん遠くなる的を正確に射抜く。またも拍手喝采だ。

「だが……そろそろだぞ。ヒューマ、油断をするな」

 舞台では軽業やナイフ投げの小道具が、次々と袖に引っ込められていく。いよいよ楽団のお出ましのようだった。

「は」

 二人はこっそりとレイフェリアの作った耳栓を耳にはめた。

 楽団は六人ほどの編成だった。二人が小さな太鼓と(かね)、後の四人は大小の笛である。

 最初の曲は陽気な舞曲で、観客も足で拍子をとったり、子ども達は飛び跳ねたりしている。耳栓のおかげで音がかなり制限されている二人は、注意深く様子を見ていたが特に問題はないようだった。

 しかし、三曲めの鎮魂歌のような物悲しい曲になると、人々は急に静まり返り、不自然なほどの集中力で耳を傾けている。子どもが好きそうな曲でもないのに、幼児までもが黙り込んでいた。

 曲はどちらかと言えば美しいのだが、時折妙にずれた音が入る。その音の元は笛の音色のようだった。どこがどうと言う訳でもないのだが、なんとなく不安になったヒューマはティガールを促して外に出ようとした。

「主様? どうか……?」

 ティガールは顔中から汗を垂れ流していた。まるで苦痛に耐えているかのように、口元が(ゆが)み目が光っている。

「これは!」

 自分には聞こえない音が彼には届いている。一目で察したヒューマは、ふらつくティガールを急き立てて、なんとか天幕の外に出ることに成功した。

 外に出ると音はほとんど聞こえない。その上耳栓もしているので、もう大丈夫かと思われたが、ティガールの様子は尋常ではないほどふらふらしている。

 出し物が長引いたのか、夜もかなり遅い時刻だ。これは想定外だった。

 もしかしたら自分の時間の感覚もおかしくなっているのかもしれない。ヒューマは焦った。

「主様、しっかりなさってください。とりあえず、あの物置の陰に潜みましょう」 

 ヒューマは、天幕から離れた物置の後ろの藪にティガールを引きずって行った。途中で隠しておいた武器を拾い上げる。

 戦いで不利な状況に追い込まれた時でも、主のこんな有様は見たことはない。レイフェリアのことを除いて、どんな時でも冷静な男だった。ヒューマは耳栓でほとんど大丈夫だったが、主にはだいぶんと堪えているようだ。聴力が優れていることが仇になったのだ。

「くそ! これでは奴らを追い詰められない!」

 そうこうしているうちに全ての出し物が終わったのか、村人たちがぞろぞろ天幕から出てくる。

 その顔つきが異常だった。

 誰一人口を聞かず、中空を見ている。中には(よだれ)を垂らしている者もいる。大人も子どもも、男も女も。さっきまであんなに騒いでいた彼らが、まるで亡霊のようになっているのだ。

 そしてその時、甲高い笛の音がひときわ鋭く鳴るのをヒューマは確かに聞いた。

 一人の子どもが転んだ。そして父親だろうと思われる男が、後ろの男に「お前が突き飛ばしただろう!」と怒鳴り始める。それがきっかけだった。

 あちこちで(ののし)り合いが始まった。

「な、なんだ? なんなんだ?」

 明かりが乏しいのでよく見えないが、怒鳴り声や泣き声に混じって、鈍い打撃音、何かが壊れる音もする。幸い自分たちが潜んでいる暗がりには誰も来ないが、村の大通りはかなりの喧騒になっていた。

「もしかしたらレイ様も危ないんじゃ……主様、早く戻りまし……」

 振り向いたヒューマは生まれて初めて戦慄した。暗闇の中に二つの金色が光る。

 獣の目だった。





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