37 異変
「主様。東の方がまたしても、不穏なことになっているようです」
「不穏? また野盗の類か?」
オセロットの報告に、ティガールは税収の計算書から顔を上げた。今日は三つの村の収穫量における税率の計算と収支を、一桁まで合わせるようにと厳命されている。ティガールの最も苦手とする仕事であった。
「野盗は先だっての巡察の折に、芋づる式に相当数が退治されたので当分心配はないかと。今朝入った報告では、今度は、なにやら怪しい楽団だか旅芸人だかが、東の村々に現れていると」
「旅芸人だと? どこの?」
「それはまぁ、旅の芸人ですから、出自ははっきりとはしないのですが、どうも一つの村で二、三日興行した後、どうも村の様子がおかしくなると」
「おかしい? とはどんな風にだ?」
「それが、よくわからないのです。なにやら女どもの情緒が不安定になったり、男どもの気が荒くなったりと、なんでもそんなようなことで」
「ふーん……妙だな。しかし、またも東か!」
ティガールは忌々しそうに唸った。
南方領土の東には荒地が広がっていて、南方でも比較的貧しい地域だ。大きな町はなく、点在する小さな村々が岩塩を採掘しながら生計を立てている。
昔から南方とはあまり仲の良くない、東方領土との国境に近いその地域は、いくら取り締まっても流れ者がよく出没するのだ。
「その使者はまだいるか? いるならば直ちに呼び出せ」
「は!」
ヒューマは急いで部屋を出て行った。
「では……お前から聞いた話をまとめると、旅芸人の興行を複数回見聞きした村の者たちが、その直後からどういう訳か様子がおかしくなる……ということになるな」
「はい。しかも普段はこれと言った揉め事のない穏やかな村なのです」
ティガールは自分用の執務室の椅子にもたれて考え込んだ。
「妙だな」
「左様でございます。特に最後まで興行を見て、音曲を長く聴いた者たちにその傾向が顕著でした」
「お前も聴いたのだろう? どうだったのだ。情緒が乱れたか?」
「はい。ちょっと聞いた感じでは普通の笛と鉦の重奏で、少し悲しげな美しい旋律なのです。私が初めて聴いた時には、なんだか不安な気持ちになりました。その時は特に変だとは思わなかったのですが、夜はなかなか寝つけませんでした」
使者はその時のことを思い出したのか、顔を顰めていた。
「それで?」
「どうも変だと思ったので、次の日から芸人の一行の後をつけて行くと、彼らの行く先々で同じようなことになるのです。一つの村で二、三回公演するのですが、三日目の夜が明けると、村はとても荒れます。子供は泣き叫び、喧嘩が絶えず起き、男は女を殴ったり、年寄りが寝付いたり。皆仕事どころではなくなるようです。しかし、その頃にはもう芸人の一団は姿を消しているという寸法で」
「夜の間に移動するんだな」
「そうです。私も音に何か細工があるようだと思ったので、それからは芸は見ずに、村を渡り歩いて観察するようにして確信を持つまでに至りました」
そう言って使者は言葉を結んだ。オセロットが「大義」と言って下がらせる。
「主様、どう思われますか?」
オセロットが難しい顔で尋ねた。
「東だな」
ティガールは短く言った。
「東方領土、ということですか?」
「そうだ。昔から東方の領主の元では呪術が盛んで、妖しい技を持つ一族の噂が絶えなかった。お前たちも知っているだろう。双方、先々代の頃には南と東で小競り合いを繰り返し、あわや大戦になりかけたこともあった。以降、我々の仲は実はあまりよろしくない。王都で会うときは表面上親しく振舞っているがな」
「そういえば、三ヶ月ほど前、東方の領主は代替わりしたと知らせがありましたな。まだ正式な発表ではないので、祝いの使者は送っておりませぬが」
「ああ、次の王都訪問で正式に認める運びとなるのだろう。俺も良く知っている、あいつだ。ファハル・アジール。慇懃だが何を考えているのかわからない嫌な男だ」
ティガールは思いきり鼻にしわを寄せた。
「野盗、無頼の類が増えたのも、ここ数ヶ月のことかと」
「ああ、俺たちも北からの道中に遭遇しただろう? あれも今考えると怪しく思える」
「しかし今回の事件は、更に手の込んだ嫌がらせのようですな。穏やかな村を不安に駆り立てて何をしようというのか」
「混乱極まったところに扇動者でも送り込もうというのだろうさ。姑息な手だ」
「それにしても一体どう言ったからくりで……」
オセロットが難しい顔で考え込む。
「おそらく楽器を使った催眠術のような技ではないかと俺は思う」
「催眠……ですか? あの人を言いなりに操れると言う?」
はっとしたようにオセロットが顔をあげた。その表情には感嘆の色も滲んでいる。
ティガールはその見かけと言葉たらずな性格から、武辺一辺倒の戦士のように思われることが多い。
それはもちろんその通りなのだが、意外にも知将の面も持っている。特に他領の民族性や、文化産業のことはよく調べているようだった。おかげで現王ゼントルムの信頼も厚い。
「単純な笛の音でそんなことが……」
「できるようだな。ただ操るのではなく、特殊な音を旋律に織り込むことによって、人の心の奥にある危うい部分に刺激を与える技ではないかと思う。死んだお爺殿から似たような話を聞いたような覚えがある。それも東の技だった。ファハル・アジール。あの男ならやりかねん」
「……確か、主様と変わらぬお歳だと伺っております」
「五つ六つは上だったかな? 東方領主は代々優れた記憶者だそうだ。だが、あの男は記憶というか……何か別の資質を備えているように俺には見えた。それも仄暗い資質を」
「東方は我が南方に、何か企みを仕掛けようとしているのでしょうか?」
「証はないが可能性なら常にある。今回の件も国境の小さな村々の不安や不満を煽り、やがては付近の村や町に不穏な空気を伝播させ、最終的には暴動でも起こす計画でも俺は驚かん」
「なるほど。野盗を使って村々を襲わせるよりも余程足がつかず、治安を乱れさせる策かもしれませんな」
オセロットが重々しく頷く前で、ティガールはぐいと立ち上がった。
「直ぐに国境に発つ。奴らの首根っこを捕まえる」
「あ、主様、お気持ちはわかりますが少しお待ちください。主様はつい最近巡察に行かれたばかりなのですよ」
「……何が言いたい?」
「無礼を承知で申し上げます。主様にはもう少し……もう少しだけレイフェリア姫と寄り添う時間を持たれた方が……」
「……っ!」
その名を聞いた途端、雄々しい戦士の顔が一瞬、自信なさげな青年の顔になった。
「一日二日遅れても、大事には至りますまい。我らが先見を務めますので」
「……ダメだ。親父殿には見抜かれてしまう。務めを後回しにする姿なぞ見せられない。それに……」
グッと唇が噛み込まれる。
「あいつは俺を必要としてない。自分の生きる道をもう見つけている。俺は……」
「主様……」
「あいつに恥じないように進まねばならん」
「では」
「俺は行く」
ティガールは短く宣言した。
「左様でございますか。では我らも主様に付いて行くのみです。けれどもせめて……発つ前にレイフェリア様にそのことを告げてください。前回の時のように黙って行ってはなりませんぞ」
「うう……わかった。今夜会いに行く」
いつにないオセロットの強い調子に、ティガールはうなだれつつ首肯するのだった。
「……と、言う訳で、俺はまたしばらく留守にする」
ティガールは肌の文様を美しく浮かび上がらせながら、レイフェリアに打ち明けた。城壁の上からは満月に近い月と、城下とそれに続く草原が一望に見渡せる。
「なぜ、そんなことを私に?」
「それは……」
月光と夜風が、レイフェリアの髪を朧に光らせるのにティガールは見惚れていた。
「それはその……前は俺が勝手にへそを曲げて、ここにきたばかりのあなたを放って行ってしまったから」
「別に気にしてませんよ。お忙しいのはわかりますし」
「だから……どうしてあなたは、俺に関心を持たないんだ」
「持ってます」
「え?」
短い応えにティガールの動きが止まった。
「関心は持っているのです。でも、まだよくわからないの……わかりたいのですけれど」
「……」
「あれからいくら考えても、以前にお会いしたことを思い出せませんし」
レイフェリアは物憂げに言った。
「それはもういいんだ。多分あなたの責任ではないし……」
「そうだ!」
「な、なんだよ!」
ティガールは、そろそろとレイフェリアの背中に伸ばそうとしていた手を慌てて引っ込めた。
「今思いつきました!」
「なにをだ」
「私も行けばいいんだわ!」
「は?」
「その旅芸人の怪しい動きを調べて、極悪人ならばやっつけるのでしょう?」
「ああ、まぁそうなるか」
「でもそれって、ご領主後継の一行だって相手方にわかったら拙いのでは?」
「ああ。だから普通の旅人の姿になる」
「目立ちます」
「え?」
「あなたはものすごく目立つんですよ。特に田舎では。わからないようにするためには、あなた様のその派手な風貌をなんとかしていただかないと!」
「風貌? 俺の?」
「そうです。まずその目立ちすぎる髪を染めて、私と夫婦連れの振りをするのです」
「ふ……ふうふだと⁉︎ 夫婦?」
強烈な単語を聞いたティガールは、言葉の意味を理解するまでに時間がかかったようだ。
「もちろん振りだけです。女連れだと却って目立ちにくいと思います。私は最近街歩きをしているから、目立たぬようにするのにもう慣れましたの」
「いや、駄目だ! 髪を染めるのはともかく、東の方はなにかと危険なんだ。あなたを連れて行く訳にはいかない!」
「じゃあ、わからないままでいいのですか?」
「どっ、どう言う意味だ?」
「このお城で私たちが共に過ごせる時間は非常に限られています。それに、私にはカラカ様やナドリネ様への遠慮もあります。もう少し私たちがお互いにわかり合うためには、少し長く共にいることが必要だと思うのですが」
「……」
「でも、ティガール様が必要ないとおっしゃるのであれば、無理にとはもうしません。これは私の勝手な思いつきなので……」
「必要! 必要性を感じる!」
「じゃあ、問題解決ですね」
「……」
「出発はいつですか?」
「……明日」
「ではこれから直ぐに休んで、明日に備えます。おやすみなさい!」
そう言うとレイフェリアは虚しく伸ばされた腕にも気づかず、ひらりと鋸壁から飛び降りた。そして空中でティガールに手を振ると、林の奥へと消えたのである。
月下の城壁には、放心してへたり込んだ男だけが取り残された。




