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【完結】月下の虎は甘く冷たい指先を食む  作者: 文野さと
南の領地

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36 夕陽

 次の日、レイフェリアは今まで開けていなかった荷物の中から小さな袋を取り出した。

「あ、それ何か重いなぁって思ってたんですけど、何が入っているんですか?」

 ルーシーとマヌルが珍しそうに覗き込む。二人の見ている前でレイフェリアは袋の紐をゆるめる。

「石よ」

「石⁉︎」

 取り出した石を小屋の小さな窓に翳すと、石は陽を吸い込んで薄暗い壁中に光の粒をまき散らした。

「まぁ、綺麗!」

「ええ、私が住んでた森の川や崖の下には、こんな風に透き通って色のついた石が採れる場所があってね。それを輝石というの。宝石とまではいかないんだけど、それなりに綺麗でね。色も種類も豊富なの。そこで使えそうな石を拾って来ては自分でも飾り物を作って売っていたの。ほらこの石、色が二つに分かれていて綺麗でしょう?」

「ここらじゃ見かけない透き通った青ですね! こちらは二色に別れた不思議な色合い!」

 マヌルが六角形に結晶した青水晶や電気石(トルマリン)を陽に(かざ)して見入っている。

「でしょう? これに穴を開けて首飾りにしたり、小さな石を繋いで腕輪にしたり」

「そんなことをレイ様が?」

 ルーシーも様々な色合いの緑柱石を並べて楽しんでいた。

「そうよ。だって叔父上からはなんの援助もなかったし、野菜やお魚は自分でなんとかしたけど、現金収入が全くないというのも困るから、自分で飾り物を作っていたの。綺麗な結晶はそのままでも売れたし。あと薬草を採って来たり、育てたりもしたわ」

「へぇえ〜」

「でも、あの店のおじさんの話では、石を持っていけば買ってくれるかもしれないわ。これとか」

 そう言いながらレイフェリアは、親指くらいの大きさの深い青い石を眺めた。海王石という珍しい石だ。たくさんは持ってこられなかったが、小さくとも質の良い石ばかり選んでティガールに運んでもらったのだ。青や緑の石が珍しいのなら、これを売ればいくばくかの現金が手に入る可能性がある。

「素敵! きっと高値で売れますよ」

「だったらいいけど。これで綺麗な布地が買えたらなあって。そしたら自分で縫って仲夏(ちゅうか)の宴の時に着る服にできるわ」

「もう、レイ様には、そこまでしなくても……って言うのはやめましたけどね」

 マヌルは盛大にため息をついた。

「せめてお手伝いさせてくださいね」

「ありがとう。薬草栽培の方は少し時間がかかるけど、裏山に涼しげな場所があるそうだから、種子をまいて栽培してみようと思ってるの。標本を薬屋さんで見てもらったら、こちらではなかなか手に入りにくいものもあるって言ってたから、これもうまくいけば売れるわね。持ってきた束もあるし」

「……」

 気がつけばルーシーが口をあんぐりと開いている。

「どうしたの? ルーシー、お腹空いたの?」

「レイ様って……レイフェリア様って……」

「ええ」

「なんだか、本当にすごいですね!」

「……はい?」

「こんなに美人で、ぱっと見、生活感なんて全然感じないのに、なんていうか……すごい。たくましい」

「美人は知らないけど、十三歳で家を追い出されて、十五歳で一人ぼっちになって、それからずっとこんなことして生きて来たんだもの。たくましくもなるわよ」

「ご尊敬申し上げます。どうぞお心のままに。レイフェリア様」

 マヌルが恭しく頭を下げた。


 それから数日後。

 初夏の長い陽もさすがに落ちはじめようとする時刻のことだった。

 父に押し付けられた大量の仕事の山をなんとか搔い潜ったティガールは、レイフェリアの小屋の戸口に立った。

 ──なんと言って入ったらよいのだろう……こんな小屋に放ったらかしにしておいて……ヒューマの報告では城下に下りて何やら活動しているらしいが、そんなことをさせているのが、そもそも自分なのだから。

 大きな背中を丸めて逡巡(しゅんじゅん)していると、内側から扉が開いた。

「あっ……! レイ様!」

「なぁに? ルーシー……あ」

「久しぶり……でもないのだが、やっと体が空いたので様子を見に……来た」

 すっかりまいった様子のティガールにレイフェリアは笑いを噛み殺した。

「……なんとかやっておりますわ」

「知っている。ヒューマから聞いていた。街で薬草などを売っているそうだな」

「ええ」

「……すまん」

「いいえ。自分で自分を養えるのは私の誇りです。今も、干した薬草を見に行こうとしていたところなんです」

「……」

「レイ様、薬草は私が見て来ますから。少しお散歩などされてはいかがですか?」

 ルーシーは勢い込んでレイフェリアの背中を押した。

「え? でも……」

「いいから、行ってきてくださいませ! 早く!」


 それから二人は黙って城壁に沿って歩き、正面の城門を潜って城の正面に立った。

 ここは城下のみならず、遠くの山脈まで見渡せる高い場所である。門衛も軽く姿勢を正しただけですんなり通してくれた。

「ここからの眺めは素晴らしいですわね」

 レイフェリアは静かに言った。陽は更に濃く大きくなって山脈の上に落ちようとしている。

「気にしたことがない」

「そうなのですか? 故郷では山や木に遮られて、あまり遠くまで見渡せる場所がなかったものですから、いつも私はここで足を止めるのです」

「街に下りるのは楽しいか?」

「ええ、とても。お店の人たちにお友だ……知り合いも何人かできましたし」

「……俺はあまり出て欲しくはない」

「でも、お城にいてもすることもないし、お金がなくては宴の支度もできませんので」

「親父殿にわからないように俺が」

「それはよろしくないです。私だってリューコ様のお言葉を是としたのですから。ティガール様もわかっていらっしゃる筈です」

「……あなたは強いな」

「そうでしょうか?」

 重く告げられた言葉にレイフェリアは緩やかに首を振る。

「街では若い男どもが色めき立っているという」

「色めき? それはなんでまた」

「わからないのか? 紫の瞳の謎の美女が、薬屋や飾り物屋に出入りしていると噂が立っているんだぞ。俺が密かに護衛を増やさなんだら今頃……」

「え? それは本当?」

「あなたは無防備すぎだ! 城下の秩序は保たれているが、一歩街の外に出ると野盗も無頼も徘徊しているのだぞ。先だっての巡回でも、東の方面の治安が悪化していることを確認済みだ」

「東というと東方領土との国境地帯ですか?」

「ああ。そこは我らの版図(はんと)ではない。領地の間にある帯状の一帯だ。だが無許可でその地帯を越えて我が国境をこえて盗賊を働く奴らには容赦はしない。ここに来る途中であなたも見ただろう」

「……」

「だから、俺も親父殿も警戒して日に何度も伝令から報告を受けている。だからあなたにも気をつけて欲しいんだ」

「ええ……そのようにいたします。でも、おかげで少しは稼げましたのよ。ご存知? こちらではあまり知られていない薬草がお城の裏にたくさん生えておりましたの。現在の氷室のある洞窟の中です。それは北方のものと近い種類で、解熱作用があるのでそれを干して売ったのです。それにティガール様のご好意で持ってきた故郷の石も、良い値で取り引きしてもらえましたし」

 レイフェリアはよほど嬉しかったのか、いつもより饒舌になっている。自分の手にかけた品々が喜ばれるのが嬉しいのだろう。ティガールは複雑な気持ちでその様子を見つめていた。

「そうか……」

 斜面を少し下るとしたから吹き上げる風が強くなった。

 淡い色の髪が舞い上がり、レイフェリアは自分の腕に巻きつけて押さえる。

「少しは隙を作れ」

「……可愛げのない女だとおっしゃりたいの?」

 夕陽を背にレイフェリアは振り返った。強い光に照らされて靡いたおくれ毛が真っ白に光る。

「いや、気の強い女は好きだ」

「……」

「一人で身を立てられる(したた)かさも」

 そう言うとティガールは、レイフェリアが無意識に開けた()を一瞬で詰め。胸の中に抱きすくめた。

「だが俺だって、このまま済ますつもりはない」

「……」

「いつか思い出させてやる」

 金色の瞳に夕陽が映り込んで燃えるようだ、とレイフェリアが思ったのは刹那のこと。

 あとは貪られるままだった。抵抗はできなかった、しなかった。気がつけば太い首に自分の腕が回っていた。

「……怒っているか?」

「怒らせるようなことをしたのですか?」

 ティガールの気が済んだと見るや、レイフェリアはさっと体を離した。

 太陽を背にするのは表情を読ませにくくするためだ。いつの間にか草原に落ちかかる真っ赤なそれは、今までよりもずっと大きくなっていた。

「いくつかは思い当たっている」

「あら?」

「そのうちのいくつかは俺の責任だ。必ず親父殿の気を変えて見せる」

「あなたのお気の済むように……」

 努力して平坦な声を絞り出したレイフェリアは、更にティガールから距離をとり、自分より高いところに立つ彼を見上げた。

 ──こうして見上げているのが私には一番いいのかもしれない。だって、ほら……。

 彼の肩越しに斜面を駆け下りてくる小さな姿がある。

「ティグ兄様ぁ!」

 カラカであった。

 レイフェリアの目の前でティガールの眉間にしわが刻まれていく。

「ここにいらしたのね! あっ! レイ姉様も」

「カラカ様、お久しぶりでございます」

 レイフェリアは一歩後ろに下がって南方風の辞宜をした。ここにきてから身についた習慣である。

「そうよぅ、レイ姉様ったらお部屋を変えてから、すっかり見かけなくなってしまって、私寂しかったのよ。兄様はいつもお忙しそうだし。ね? 兄様、今日は私と一緒に夕食を食べてくださるのでしょう?」

「俺は親父殿と食う。話があるからな」

「うふふふ! 私はお館様からご許可をいただいたのですわ! 今夜は私と夕食をとるように、ですって!」

 カラカはするりとティガールの腕を取りながら微笑んだ。その仕草は少女ではなく女のものだったが、少なくとも微笑みは無邪気なものだとレイフェリアは思った。

「あのクソ親父……」

「でも、お二人は何をしていらっしゃったの?」

 ほんの少し探るような目をしてカラカはレイフェリアに尋ねた。

「ここは風がよく通って気持ちがいいから散歩をしていたら、偶然ここでお会いしました。それで北方の品々が南方で価値があるのかどうか、お伺いしていたのです」

「そうなの? 難しいお話みたいね。私にはわからないわ、兄様」

「お前にわかる必要はない」

「そう? そう言えば兄様は北方へレイ姉様をお迎えに行ってたんだわね。でも、お二人一緒のところを見たの初めてだったから……少しだけ驚いちゃった。ねぇ兄様」

 カラカは今度はティガールに向かって言った。

「なんだ」

「私、この頃、お館様に呼ばれる時があるの。びっくりするでしょう? でもこれって……あの、そう言うことなのかしら?」

 カラカが言外にたっぷり意味を含ませてティガールを見上げる。

「俺は知らん。知りたくもない。お前もあの親父殿の言うことを真に受けるな。カラカはただカラカでいるがいい」

「……そうね、わかったわ。兄様のいう通りにする。ところで、レイ姉様は最近どこにいらっしゃるの?」

 ティガールが(かも)す微妙な気配を察したのか、カラカはガラリと話題を変えた。

「いただいたお部屋があまり暑いので、お城の北にある離れに替えていただいたのです」

「まぁ、そんなところがあったのね。レイ姉様は北からいらしたのだからきっとこちらの気候が苦手なのね」

「ええ、今は快適に過ごしております」

「またお顔を見に行ってもいい? 私退屈なの」

「ナドリネ様のお許しが出れば」

 そんなものは出ないだろうと思いながら、レイフェリアもこの南国の美少女に優しく頷き返す。彼女は、ただただティガールが一途に好きなだけなのだ。

「ティグ兄様、そろそろお城に戻りましょう? お母様も久しぶりにお話がしたいと言ってらしたわ。ねぇ、参りましょう?」

 カラカはひらひらとティガールに纏わりついて言った。その姿は夕陽に照らされて白く舞う蝶のように見える。

「俺はまだ……」

「そうですね。私はまだここにいますから、お二人でお戻りなさいませ」

 躊躇うティガールにレイフェリアは断固として言った。

「フェリア、レイフェリア……」

「ごきげんよう。ティガール様、カラカ様」

 そう言ってレイフェリアは、ゆっくりと斜面を夕陽の方へと歩き出した。腕に巻きつけていた髪が解けてさらさらと靡いていく。陽に染められた髪は、白金でできた絹糸のように、ティガールの腕に軽く触れた。

「うまく逃げたな……今は引いてやる」

 夕陽に向かって遠ざかっていく細い背中にティガールは低く呟いた。レイフェリアの体と髪が白く輝いていて、その輪郭は光の中にあるようにぼやけて見えた。

「あ!」

 ──き、消えてしまう……!

 ティガールは思わず声を上げて駆け寄ろうと体をひねった。声に驚いたのかレイフェリアが足を止めてこちらを見ている。表情は見えないが、足を止めてくれたことにティガールは詰めていた息を吐いた。

「ねぇ兄様ぁ、早く行きましょうよ。ではまたね、レイお姉様。お休みなさい」

「……ええ」

 レイフェリアの見守る中で、こちらを見ているティガールと、ぶら下がるように腕にしがみついたカラカが斜面を登って行く。

「お休みなさい……」

 赤く染まった後ろ姿にそっと呟く。大きな背中と小さな背中。二人とも豪華な髪色をしていた。この男女はとても似合いだと思う。

 ──眩しいわ。眩しすぎる。私はこうして見上げているのがちょうどいいのかも知れない……。

 そうして再び歩き出す。

 誰かの腕に縋らずとも、自分は一人で歩けるのだ。






 

レイちゃんが最初に取り出した石は,バイカラーのトルマリンかと思われます。

夕陽の場面は私がこの物語で最も描きたかった場面の一つです。どうでしたでしょうか?

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