20
乙女たちはヴェールをつけて人波へと入っていく。今日は、多分お祭りなんだろう。交信器の周りには四人の騎士が立って守っている。水面の民も水底の民も、酔っぱらいも店の人も、子供も大人も老人も、男女関係なく騒ぎとおしだった。
そのうちにシャイロックとレーデシェスカが帰ってくる。ラウディの姿もあった。それを他人事のように見つめながら、さてこれからどうしようかと左手の甲を撫でる。
「フランフィール!」
シャイロックのよく通る声がフランフィールを呼ぶ。立ち上がり、彼のもとへと歩み寄る。今まで見たことのないくらい緊張しているようだった。つられて体が固くなる。
「ずっと言いたかったことがある。拾ってくれたあんたを騙してごめん。俺の代わりに主様のところへ行くって言われて喜んでしまってごめん。あんたとの約束が遅くなってごめん」
「シャイロック。言ったでしょう、あなたの罪を許します」
「ありがとう。それと、もう一度ちゃんと言わせて」
じっとシャイロックの言葉を待つ。いつの間にか水面の民も水底の民も近づいてきていて、たくさんの目にじっと見つめられて居心地が悪い。ラウディは興味深々に、レーデシェスカは優しい目をして見守っている。
「フランフィール。俺と結婚してください」
また大歓声が飛び交う。若い女の子の声が多いせいか、耳が痛い。いつの間にか取られた手はもう離さないと言わんばかりに優しく捕らえられている。シャイロックの揺れる紫色の瞳を見て、フランフィールは自然と口を開いた。
「乙女でなくなったのならいい」
がっくりとシャイロックが肩を落とす。精一杯の肯定のつもりだったのに、どうしてそんな反応をするのだろう。
フランフィールはどうしていいか分からずおろおろとするばかりだ。
もしかしてすぐにでも結婚したかったのだろうか。
それはダメだ。だって睡蓮の乙女は30人しかいない。一人抜けたら仕事の量が増えてしまう。
「シャイロック。この子まだあのことを知らないわ」
楽しそうにレーデシェスカが口をひらく。落胆の声に満ち溢れていた周囲もその言葉を聞いてまたざわざわと騒ぎだす。いったいなんなんだろう。
「フランフィール。あなたね、湖の乙女という称号を賜ったわ。水底の国の民もこの国の民もみな一致で認めた。生涯ずっと乙女なのよ」
「お婆ちゃんになっても乙女?」
「そう。一般人だけど、睡蓮宮への立ち入りは自由になるわ。一生主様に仕えられる」
「……嬉しいけど、ちょっとついていけない」
つまるところ、フランフィールはいま睡蓮の乙女の役と湖の乙女の称号の両方を持っている状態らしい。叙勲式は改めて行うものの、すっかり湖の民に浸透しているそうだ。
レーデシェスカはフランフィールが考える時間をお喋りで稼いでくれる。
なんでも王城の中では今日という日をなんという祝日にするかでもめているらしい。主様の声を聴いた日では長すぎる。主様の日はいつだって主様の日のようなものだ。だったら湖の乙女の日はどうか、と。
どうやらさっきの言い方では生涯結婚しないという意味になるらしい。それは本意ではないので、改めてシャイロックを見る。つかまれた大きな手に自分の手をのせてそっと握り返す。
シャイロックはぱあっと顔を輝かせ、こほんと咳をした。
「仕切り直し。フランフィール、結婚して」
「睡蓮の乙女のお勤めが終わるまで返事を待って」
「……いいの?」
「待てるのなら、答えは決めてある」
今度こそ割れるような祝福が降ってくる。見知らぬ誰かがいいだしたおめでとうは遠くまで伝染して拍手が降り注ぐ。フランフィールはいまヴェールがないことを思い出して思わず俯く。
シャイロックはうれしそうに、本当にうれしそうに手を握る。レーデシェスカが視界のはずれで手を叩いているのが見える。これは、恥ずかしい。
「珍しいな、シャイロックがそういう気の長い重い約束するとこ」
いつの間にか近寄ってきたラウディが口をひらく。シャイロックはラウディがなにかしゃべる前にどこかへ行かせようと必死だったが、なにせ両手はフランフィールで埋まっている。
水底の民はお互いに顔を見合わせて、そういえば、たしかに、と疑問の声を上げていた。
「面白そうな話ね、ラウディ。続きは?」
「やあ、レーデシェスカ。シャイロックって小さい頃に主様と契約しただろう?それ以来冗談ばっかでさ」
「確かに軽いわ。フランフィールを預けていいか心配なくらい」
「そっちの乙女さんはしっかりしているから大丈夫じゃない?」
しっかりしていると褒められてうれしくなる。ついありがとうと言えば、ラウディがひらりと手を振ってこたえた。
「短い軽い約束はするんだよ。でもしっかりとした約束なんてもってのほか」
「そうなの?」
「今日夕方遊ぼうって約束すらしてくれなかったんだぜ」
フランフィールはシャイロックを見上げる。彼は顔を真っ赤にしていた。なにか言い返そうと口をあけるものの、言葉が見つからないらしい。ラウディをにらんでいた。
「シャイロック。いまのは本当?」
「……本当、です」
軽い約束しかしなかったシャイロックが、真っ先にフランフィールに言ったことを思い出しておかしくなってくる。あの時の彼はまだ水面の民のことをよく知らなかったはずだ。
見晴らしの塔に向かった日のことを思い出す。朝に告げて、彼はなんと言っていただろう。楽しそうに約束していた。
シャイロックとはたくさんの小さな大きな約束を結んだり断ったりしていた。
もしフランフィールの期待通りだとしたら。思わず確かめる。
「シャイロック。質問。どうしてわたしに求婚する?」
「いまそれを聞くんだ」
「大事な話。誤魔化さない」
「えっと、面倒見がいいところとか、踏み込んでこない優しさとか、他にもそのいろいろと」
「分かりやすく」
「フランフィール。俺が、あなたを愛してしまったからです!」
半ばやけになったのだろう。シャイロックが大声で叫ぶ。また歓声が上がる。今日は賑やかな日だ。お祭りの日なのだ。ちょっとくらい羽目を外してもかまわない。
フランフィールは声を上げて笑う。シャイロックへの返事は睡蓮の乙女の勤めを終えてからだと自分から言ったにもかかわらず、いますぐにでもと答えを変えたくなる。
笑うフランフィールにシャイロックは驚いた顔をする。レーデシェスカをはじめとする乙女たちも導き手も導師もだ。なんだか小気味よくてますます笑い声が大きくなる。
シャイロックが頭をフランフィールの肩に寄せる。銀色の髪が近い。耳まで真っ赤で珍しいことだ。でも、悪くない。
「どうしたの?」
「笑ったら可愛いだろうなって思っていたけど予想以上だった」
「簡単に」
「惚れ直したってこと」
今度はフランフィールが赤くなる番だった。
宴は夜通し続いて、特に晩に主様の声を聴いてからはまたお祭り状態になった。翌日はなんとか静かになったかと思えば、主様の朝の挨拶に大通りがまた騒ぎ出す。湖の民が大人しくなるまでずいぶんと時間がかかった。
叙勲式は滞りなく行われ、フランフィールは水面の王と水底の王、両方の王からありがたい言葉をいろいろと頂戴した。
「フランフィール。大儀であった」
「フランフィール。水面の娘。我らが至らず済まなかった」
水面の王は満足げに言葉をかけ、水底の王は申し訳なさを示している。フランフィールが言うことは一つ。ずっと水底で考えていたことだけだ。
「水面の民の昔話では、二つの部族は湖の民としてともに生きて彼の方を祭ろうと決めたと言います。また、つまらない嫉妬で湖からの客と疎遠になったとも。こうして二つの国の民がともに主様を祭るきっかけになったのならばフランフィールは誠に光栄に思います」
二人の王は顔を会わせて互いを見る。そうして同時に口にした、さすが湖の乙女である、と。
フランフィールは睡蓮の乙女のお勤めに戻った。
お祭りの日だけはフランフィールのよく知る乙女が並んでいたが、沈んでいる間に年上の乙女は役をまっとうし新しい乙女が入ってきていたらしい。
6年目を迎えてもフランフィールのお勤めはほとんど変わらない。
朝シャイロックと主様に挨拶し、一番に睡蓮宮に向かう。
お勤めが終われば湖の精霊の力を借りて一番に岸辺へと帰った。
岸辺にはいつだってシャイロックが手を振って待っている。お帰り、と彼の温かな声に答えるためフランフィールは藍色の髪をなびかせて櫂を漕いでゆく。
まるで優しい夢の中にいるようだった。




