奴隷の死に方 F
夜も遅い頃合い。そろそろ不寝番が立つ時刻にテスラは悠々と竈の場所にやってきた。
シファーにある程度ばれているらしいし、今更こそこそするのも馬鹿らしい。それに、どうやらこちらの恋心まではばれていない。それならむしろ堂々と会ってやるわ。
「邪魔するわよ」
竈から少し離れたところで座っているカズシに声をかけた。彼は無表情ともとれる顔で振り返った。
「・・・・・・・・・仕事は終わったんだけど」
「サンドラがここにいるのはよくて、わたくしはいてはいけないの?」
「・・・俺、疲れてるんでもう寝たいんですよ」
言葉遣いは丁寧だが皮肉たっぷりだった。
「寝ていいですわ。わたくしはあなたの寝顔を見ながら素振りでもしています」
カズシはあからさまに嫌そうな顔をした。
彼は昨日から表情を見せるようになっていた。
以前までは常に怯えているか、無表情を取り繕っていた分今の方が好感が持てる。やはり、生きているなら表情を動かさないともったいない。
「・・・殺されそうだから、寝るのはやめとく」
「あらそう。ところで、サンドラは何をしていますの?」
「ああ・・・」
サンドラは竈の前で鍋を相手ににらめっこしていた。
「料理を教えて・・・後は火を通すだけなんだが、どうしてもサンドラがあの場を離れなくて」
「マワリ!まだか!もうそろそろあげでもいいだろ!すげぇ泡吹いてるぞ」
「まだまだ。赤子泣いても蓋取るな、だ」
「むぅ・・・・」
また鍋とにらめっこをはじめるサンドラ。二人の距離が今日一日でまた縮まったように見える。
ふと、胸がチクリと痛んだ。
「ん・・・・・・」
とんとん、と自分の心臓を叩く。
落ち着きなさいわたくし。例えそうだとしても、わたくしには意味の無いことです。
シファーに様々なことが知られた以上この男はなるべく早く殺さなくてはならないのです。そう・・・いつか、この男をわたくしの屋敷で監禁して食事を作らせ、病をまき散らさないように身体を治させ、そして、死ぬところを確実に看取るというわたくしの完璧な計画は修正が必要なのです。
だとするなら、彼といられる時間はもう残りわずか。くだらない嫉妬やつまらない意地で時間を無駄にすることこそ愚の骨頂ですわ。
「サンドラと随分仲がよろしいのですね」
口から出てきた嫌味。
自分ながら呆れる。
でも、そんな簡単に気持ちを理屈で抑えられるならとっくにこの男を殺していますわ。
できないから困っているのです。
「ごほっ・・・ごほっ・・・それは違う、仲良くしてもらってるだけだ。俺は指示に従っただけ」
「・・・そうですの?だったら私も指示を出しますわ」
「なんなりと」
そう言ったカズシの声は疲れ果てていた。本当に疲れているのだろうか。
でも、昨日に比べて顔色は少し良くなっている。咳もあまりしていないように見えるし。
「・・・油断は禁物ですわ」
「え?」
「サンドラ!」
「はっ、はい!なんでしょうテスラ様!」
「料理が出来るタイミングは教えていただいたのですか?」
「はい!で、ですが・・・」
サンドラの目は今もなお吹きこぼれている鍋に向けられている。確かにあれは蓋を取って火からどかしたくなる。
「教えてもらったのならその通りになさい!カズシはもう休ませます」
「え・・・」
素っ頓狂な声をあげたのはカズシの方だった。
「わかりました!」
「というわけです。横になって休みなさい。サンドラの料理ができあがりましたら起こしますわ」
そう言うとカズシは小さく笑った「デレすぎだろ・・・」なんて言葉が聞こえてきたが『でれる』の意味がよくわからなかった。
言葉から「照れる」に近い意味だろうか。いや、音のニュアンスは「照らす」の方に近そうだ。いや、でもアクセントは植物の「デーレ」のような感じだし。
そんなことを悩んでいたら、ふと彼がこちらを見上げているのに気が付いた。
「なにかしら?文句でもありますの?」
「・・・・・・ありがとな・・・」
優しい笑顔でそう言われた。
手に汗が滲む。
「かまいませんわ。昨日もいいましたが、あなたはわたくしの屋敷で奴隷として飼ってあげるんですから。その前に体調を整えなさい。生憎、次の戦闘が終わったら一度里に帰還するようですし」
「・・・・・そっか・・・」
やはり内心を悟らせないようにするという技術は役に立つ。長年に渡って身に着けたおかげで咄嗟の時でも問題ない。
血が沸騰しそうな程熱いのはさすがにどうにもなりませんけど。
「本当に・・・今死にたいな」
その血が急激に冷めていった。
「まだ言うのですか」
「・・・言うさ・・・何度でもな。今が幸福の絶頂のような気がするからさ」
カズシはそう言って横になった。わたくしの言葉など聞きたくないとでも言うように目を閉じる。
彼はすぐに寝苦しそうな寝息をたてだした。
「・・・本当に疲れていましたのね」
まぁ、無理もない。この隊の雑用と食事を一手に引き受けているのだ。しかも、体も心も脆弱な人間が疲れないわけがない。それに同情する気持ちが芽生えているのもまた事実。
少し前まで使い潰す気でいたはずなのに、恋とはここまで他者を見る目を代えてしまうのですね。
恋の詩がどれも拙いくらい情熱的な理由がわかりますわ。
彼の隣にしゃがみこみ、その顔を見つめる。不思議といつまでも眺めていられそうだった。
「テスラ様」
「なんですの?」
「・・・次の戦闘のことは聞きました。シファー様に気付かれた可能性があることも・・・」
「そう・・・」
「隊の先輩達・・・みんな、マワリを殺したがってます。それがテスラ様の為になるって」
「・・・・・」
「次の行軍。山ですよね。木の生えないあの山脈。事故が起きるかもしれないって・・・」
「・・・・・」
「テスラ様・・・」
「・・・・・わかっていますわ。このままでは、カズシを里に連れ帰ることなど絶対にできないって。でも、わたくしの手で殺すこともできないですわ。あなたもそうでしょう?」
コクリ、とサンドラが小さく頷いた。
その仕草がまるで小動物のようで可愛らしい。シファーとは大違いだ。
「わたくしに一つ考えがありますの」
「え?」
「次の作戦。最終的には人間の奴隷を大量に手に入れる作戦になりそうですわ」
「奴隷を・・・」
サンドラもまた奴隷という言葉を噛みしめるように呟いた。
「そこで、カズシを殺したことにしてその奴隷達の中に放り込みますわ」
「えっ!」
「人間に興味があるエルフは少ないですわ。上手く溶け込めると思いますわよ。適当に混ぜ合わせて、また新しい奴隷として彼を引っ張ってくるというのはどう?」
「で、でもシファー様とかにバレたりしませんか?」
テスラはシファーのあのどこまでも執拗に獲物を狙う狩人のような目を思い出した。
確かに彼女なら気づきかねない。
「ですから念のためカズシの顔を焼いて判別不可能にしますわ」
「なるほど、それなら・・・」
同意しかけてサンドラは口を噤んだ。
「・・・誰が焼くんです?」
「わたくしが焼きますわ」
「そ、そうですか?」
心配だった。マワリはああ見えて、というか見た目通り相当後ろ向きな思考だ。顔を焼かれて裏切られたって思いでもしたら。
また絶望して自殺したりしそうだ。
「もちろん、説明した上ですわ!意味もなく勝手に傷つけたりはしません」
「あ、ああ!そうですよね!」
「・・・サンドラ、火から降ろせ」
ふと、マワリの声がした。
「お、おう!」
ほぼ反射的に鍋を火からおろした。
「・・・あ・・・カ、カズシ。起きていましたの?」
「いや・・・今起きたとこだ」
「そ、そうですの・・・」
彼は怖い程の無表情のまま起き上がった。
そして、こう言った。
「拷問しても、俺は何も話せないぞ」
「ち、違いますわ!!」
サンドラの後ろでテスラが身振り手振りまで交えてマワリになんとか納得させようとしていた。
サンドラが鍋の蓋を開けると、純白の色をした穀物の実がもうもうと蒸気をあげていた。深呼吸すると、強い香りが鼻に流れ込む。
これは美味い食事になる。
サンドラは匙を手に取って、味見のつもりで鍋に差し込んだ。
「違う・・・こいつはな・・・」
いつの間にか、マワリが後ろにいた。
「カズシ、納得していただけましたの!」
「・・・こいつはな・・・握り飯にして食べるんだよ」
塩水をつけて鍋に手を突っ込むマワリ。
「あっ!熱いだろ気を・・・つけ・・・」
彼は難なく一塊を手に取り、形を綺麗に整えていく。
「ほれ、『おにぎり』っていうんだ夜食にはもってこいでね」
「カズシ、聞いてますの!!」
「テスラのぶんも握ってやるから、座ってくれよ」
「・・・わ、わかりましたわ。とにかく私は・・・」
差し出された『おにぎり』。真珠かと思うほどに真っ白な三角形の塊。サンドラはその頂点に小さくかぶりついた。
「うむっ!!」
「熱いから気をつけろよ」
「そういうことは先に言え!!」
マワリは笑っていた。昨日までならサンドラがこんな強い物言いをしたら怯えていただろう。
でも、今日は笑っていた。
「・・・ほら、テスラも」
「いただきますわ・・・」
手づかみでも上品に食べるテスラ。
「・・・美味いだろ」
「・・・驚きですわ」
サンドラもまた一口。味付けは塩だけ。だが、穀物そのもの旨味が強調されている料理。自然を愛するエルフからすればこれほど美味いものはない。
「・・・テスラ様!やっぱりマワリは私の家の奴隷として扱いましょう!こいつの身なりはテスラ様の邸宅には合いません!」
「なっ!ダメですわ!彼はわたくしの奴隷にいたしますの!中隊長としての権限も載せますわよ!」
「ず、ずるいですよ!横暴だ!権力乱用だ!」
「エルフの里では日常ですわ!!」
エルフの里も大変らしいな。
なんて、廻 一士はそんなことを思った。
そして、この時間が永遠に続けばいいとも思った。
最後に、これは続かないのだと彼は確信した。
だって、こんなに幸せだから。
熱い米を握って次の『おにぎり』を結びながら、彼は血の混じった唾を飲み込んだ。




