王子様は、朝に見ると心臓に悪い。
ここから番外編です。
一気に書いたので、後からこれを書きたかったなとか思ったやつをつらつらと。
ふんわりとした良い匂いが鼻をくすぐる。私を包むのはとても暖かく、居心地がいい。
遠くで、携帯のアラームが鳴る。あと5分でいいから。
「朝だぞ、ミズホ」
「んー、あと5分」
「眠り姫には、目覚めの儀式が必要か?」
頬にやわらかいものが押し当てられる。くすぐったいなぁ。
「これでも起きない? 仕方ないな」
何が仕方ないのだろう。意識が現実に戻ってきたので、私は寝ぼけ眼で目を開ける。そして、次の瞬間カッと目を見開いた。
「なっ、何っ!?」
「おはよう」
仰向けになった私の視界に、王子のドアップ。一瞬心臓が止まるかと思った。起き上がろうとするが、王子に肩を抑えられて動けない。よくよく確認してみると、王子は私のベッドに乗り上げ、私を押し倒すような体勢になっていた。
「な、なななん」
「それとも、私に襲ってほしいって待ってたとか?」
シャツの第2ボタンを開けた隙間から、程よい筋肉をまとった鎖骨と、胸筋がちらりと見える。18歳とわかっていても、見た目が年上に見えるから性質が悪い。反射的に唾をのみこんだ私は、何も悪くないはずだ。
「待ってないし!」
「それとも、着替えさせてほしいとか? お姫様」
そういうと、王子はプチプチと私のパジャマのボタンをはずし始めた。さすが西洋風異世界、ボタンのつけはずしは手慣れたものだね、って違うだろう!
「何脱がしてるの!!」
「着替えさせてほしいんだろ? ああでももうダメだ、これ以上私の理性を試されると困る」
とろん、とした熱を持った目で王子が私を見下ろす。ゾクリとしたのは、きっと本能が回避を示しているからだ。
私は、大人しくその本能に従わせてもらう。
「だったらそこからどいてくれないかなぁ! 着替えたいし」
「あー、早く結婚したい。 そしたら、すべすべした肌にも触れられるのに」
王子の大きな手が、首筋に触れる。私は、思わず王子を押し返した。ごそごそと這うようにベッドから逃げ、適当に下着と服を手に取ると、トイレに駆け込む。
王子は、私の親友である朱美にコテンパンに言い負かされてから、まずは主夫を極めることを始めたらしい。図書館に通い、書店に向かい本を購入して料理を始めた。
王子は、眷族の助力で文字は読める。『はじめての料理』と名前の付く料理本をまじまじと眺め、手際よく進めていくさまはほほえましかった。しかし、それは初めの数日で、気が付けば本の内容を記憶しきってしまい、手慣れた姿でキッチンに立っていたのは驚いた。
やはり男性と言ったらこれだろう。重いはずの中華鍋を片手で軽々と振るい、ささっと作るチャーハンは絶品だった。王子曰く、普段持っている剣より中華鍋は軽いのだそうだ。証拠に中華鍋で素振りを見せられた日には、軽く凹んだ。
そんなこんなで、通勤の服に着替えた私は、キッチンに向かう。そこには、目玉焼きにカリッと焼けたベーコン、サラダに茶色に焼けたパンが私を待っていた。
席に着くと、王子はスープを私の前に置いた。
「いただきます」
手を合わせてスープに手を伸ばす。絶妙の味加減がたまらない。すると、王子は私の背後に回って、髪をブラシで梳き始めた。
「自由に動いていいから」
王子が言うので若干食べにくいがご飯を頂く。大きな手に触れられる髪が、とてもくすぐったい。
普段は数回ブラシで撫でつける程度だったから気が付かなかったが、王子に丁寧に梳かれてから、髪の毛がさらさらストレートになった気がする。
「洗濯物はないか? 今日はいい天気だから洗って干そうかと思うんだが」
「……………すみません」
「あと掃除機かけるから、部屋入るぞ」
「………はい」
自分では、家事は一通りできると思っていたし、好きな人が出来たらすぐ結婚しても構わないと思っていた。けれど…………自分以上に女子力が高い王子を見ていると、とてもいたたまれなく、お嫁に行けない気がしてならない。
お昼の奥様情報番組を見てからか、部屋も私が一人で住んでいた時より数倍もきれいになっている。
「王子ってさ、このままお嫁に行けそうだね」
「白いドレスを着て? ミズホが貰ってくれるなら、いつでもお嫁に行くが?」
笑い声すら様になる。背は高いが引きこもりボッチな王子は少々華奢だったので、ウエディングドレスすら着こなしそうで恐ろしい。顔?そんなの言うまでもなく整っているに決まってるじゃないか。
「食べ終わったか? じゃあ、1分だけじっとしてて」
そう言われて、私はそのままじっとする。すると、後頭部に王子の息がかかった。髪の毛に何かをしているというのはわかるが、姿見がないからわからない。後で洗面台で確認するか。器用に何らか結い終わり、王子が私の肩に手を置く。
「はい、動いていいぞ」
「歯、磨いてくる!」
気になったので急いで洗面台に駆け込むと、見事に編みこみがなされていた。これは絶望するしかない。
涙目になる自分を鼓舞しつつ、歯を磨きメイクをする。
メイクだが、女子力高い王子はもちろんメイク術もマスターしていたが、これだけは無理と逃げられた。何故かと問うと、「目の前でミズホが目を閉じているのに、何もできないのは拷問だ」なのだそうだ。メイクすればいいじゃないかと言うと、ならばやってやるといき込んだ王子に危険シグナルが発動したのは言うまでもない。
少女漫画に出てくるような爽やか男子高校生みたいで、見ているこっちが照れてしまう。まるでいたいけな男子高校生によからぬことをする女教師みたいだ。それはそれで面白いかもしれない。
照れてそっぽをむく王子は、可愛くて苛めたくなるのだ。思うだけで留めているけれど。
「じゃあ行ってくるね」
急いで支度をして玄関で靴を履いていると、王子は女性誌の付録にありそうな小さなバッグを持ってくる。
「はい、これお弁当。 忙しくてもちゃんと食べること。 いいな?」
料理になれた王子は、愛妻弁当ならぬ愛夫弁当を作り始めた。普段ランチやコンビニ弁当だと言ったのが原因だろう。当初は、桃色デンブでハートマークが白飯の上を彩っていたが、さすがに却下させてもらった。
そんな朝を、最近の私は過ごしている。
●
「瑞穂、今日もゴチでした! 王子の主夫スキルますます上がってるね」
夕方、待ち合わせた駅で朱美がバッグを差し出す。
愛夫弁当の事を話すと良いなぁと言っていたと王子に話すと、2人も3人も変わらないから、と朝に会える週2日、王子は朱美にも弁当を作ってくれた。
「それもこれも、朱美がコテンパンに言い負かしたからでしょうが」
「あー、まさかこんなに早くここまで主夫レベル上げてくるとは思わなくって」
朱美は、王子が私を好いているのは、インプリンティングされた小鳥のようだと思い自立を促すために言ってくれたのだが、王子は斜め前に解釈して、すっかり主夫業に目覚めてしまった。王子自体、誰かに何かをするのは初めてだと、尽くし系男子の素質を開花させた。
「もうお嫁にもらってあげたら? きらきら王子様で細マッチョで完璧主夫だなんて、マジうらやまなんだけど」
「他人事だと思って」
「私の所にも、完璧主夫落ちてこないかな~」
「あの文官…じゃなかった神官さんはどうしたの?」
私が指摘すると、朱美は眉を寄せた。異世界転移魔法はかなり体力を消費するにもかかわらず、神官は王子に帰郷を薦めるためたびたびこちらにやってくる。その時、朱美にも会いに行っているはずなのだが。
「主夫なんてしないよ。 勝手に部屋に上がり込んで、お茶飲んで、ご飯待ってる」
その様子が想像できて、私は苦笑を浮かべた。
「その上、じっとしてたらいいのに後ろに立って邪魔してくるから鬱陶しい」
「むしろ、そっちの方が正常でしょうよ」
エプロンをつけた奥さんが、自分のために料理を作っている背後を見るとつい…というのは、判らなくもない。私も、キッチンに立って料理を温めなおしてくれている王子を見ていると、こう、なんだかムラッと来るものがある。実行すると危険な気がしてならないが。
「もう私が稼ぐから、主夫ほしいわ。 奥さんでもいい」
女性誌を読んでいると、時々朱美みたいなことをいう女性が増えていているのだそうだ。
「主夫といえば、麻生くんも主夫っぽいよね。 より栄養バランスを考えた料理作ってくれそう」
「ああ、わかるわかる! 『今日も1日お疲れ様。 マッサージしましょうか? それともご飯にしますか?』とか言いそう! 選択肢に『それとも俺?』とか入れてきたらちょっとお姉さんキュンときそう」
「わかるわかる」
朱美の想像に、私は頷く。王子と言い麻生くんと言い、18歳コンビは末恐ろしい。
「それじゃあ、そろそろ行くわ」
「うん、また明後日ね」
いつもならこのまま私の家で王子お手製夕飯を一緒に食べるのだが、「今日は待ちに待った新刊が出るの!」と麻生くんが勤める書店に向かうのだとか。きっと、夕飯も適当に買って本を読みながら食べるのだろう。
「ミズホ、おかえり」
朱美と別れてすぐ、王子は駅まで迎えに来た。王子のきらきら度は半端なく、男女問わずその姿に目を引かれる。
こんな人が同居人なんだぞ、と少し優越感を覚えながら、私は王子に手を振った。
「ただいま~! これ朱美がごちでしたって」
朱美から預かった空弁当の入った袋を振ると、王子は私の仕事カバンとともに奪う。こういうところも、嫁に行けなくなるなと思う要因である。じわじわと、外堀を埋められていっているのではないだろうか。
王子がさりげなく車道側を歩くのも、女性扱いされているみたいでくすぐったい。
「もう私、お嫁に行けなくなりそうだわ」
「何を言ってるんだ。 ミズホは私の正室だというのに」
優しく笑ってそういわれると、期待してしまう。私はもう大人で、甘い夢を見るほど純粋じゃない。いつかは目の前からいなくなってしまう存在に、期待したりはしない。
けれど、今はまだ、この幸せに浸ってたいと、思ってしまうくらいには、引き返せないと確信していた。
「ねぇ、今日のご飯はなに?」
王子の言葉に返さず、私は問いかける。王子は笑って、中華だと答えた。
ごめんね王子。私は、思ったより弱い人間らしい。無条件の優しさと愛情に、一線を引いてしまうくらいに。
それは、もう引き返せないところまで行っているのに気付かない、ある日の私の情景。
6話と7話の間くらいになります。
まだ瑞穂が気持ちに気づいていなくて、王子が押せ押せだったころの話。
王子は、モデルと通訳として働く前に、主夫業を極めておりました。
たんに浅井の趣味です(笑)