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「いえ、お断りします。本当に無理です」
「大丈夫、サフィーラ嬢ならできるよ」
何故かヴェリコ殿下に夜会でのパートナー役を頼まれ、必死に断っていた。ちなみに先に手紙が届いて断り、父経由でも断り、兄経由でも断ったのに直接、屋敷まで来ましたよ、この人。
私なら一回断られただけで心が折れている。
「他をあたってください」
「そう言わずに。ね?」
「今までだってパートナーなしで参加されていたのですよね?」
「誘いたい女性がいなかったからね。それに次の夜会は私の18歳の誕生祝いだ。そこに一人で参加しするなんて寂しいだろう?」
「親族でどなたか……」
「ねぇ、サフィーラ嬢」
微笑みながら諭すように言われる。
「そんなに私のことが嫌いかい?」
いえ、嫌いというより怖いんです、なんとなく。
ヴェリコ殿下は得体が知れないというか、掴みどころがないというか。
「私の顔は嫌い?見たくないほど?」
「そ、そんなことはございません」
「クリスから聞いたけど、身長を気にしているのだろう?でも私なら君がヒールを履いても問題ない。踊る時に君を支えられる程度には鍛えてもいる」
確かに殿下の背は高い。それはもうすらりとしていて、かっこいい。しかし問題はそこではない。
「あの…、ですね。整い過ぎているのも問題というか…」
「大丈夫だよ、何度も会えば慣れるから」
何度も?
「結婚したら毎日、会うんだからその頃にはきっと慣れているさ」
結婚………?
いえ、無理ですってば、ヴェリコ殿下と結婚したら、未来の王妃じゃないですか、そんなの無理に決まっている。
思考が限界を迎えて、すくっと立ちあがった。
もうイヤだ、ほんと、無理。
誰か助けを呼ぼう!
「あのっ、失礼いたし……」
逃げようとしたが手を握られて固まってしまった。
「可愛らしいね。そんなに怯えなくても怖いことは何もしないよ?」
その微笑みが怖いんですってばっ。
恐ろしいことに家族一同、ヴェリコ殿下ならいいか…という空気になっていて、逃げ道をふさがれている気がした。
味方になってくれる思ったお兄様も『殿下には浮いた噂ひとつなく、間違いなく親密な相手もいなかった』と断言され…。
「正式に付き合いたいと相談されたら断れないよ。だってヴェリコ殿下は本当に真面目にコツコツ頑張ってきた方だからね。サフィーラは武道の天才だけど、殿下は凡人だ。その凡人がサフィーラの域に達するためにはどれほどの努力が必要だったと思う?」
わからない。だって…、私にはできてしまったから。
リボンを取られた時に『まさか』と思った。そんな簡単に接近されるとは思っていなかった。
「殿下の事が嫌いでなければ、まずは友達からで良いんじゃないかな?パートナーは私に頼まれたことにすれば良い」
誰か適当な人をと頼まれて、兄が妹を紹介した。よくある話だ。
それなら…、何かあればお兄様が助けてくれるというので承諾した。
初夏、社交シーズンの始まりにヴェリコ殿下の誕生日を祝う夜会が開かれた。
パートナーとして出席するため、ドレスも宝石も新しいものを用意した。いや、一式、贈られてきた。
殿下が白いタキシードというか軍服っぽいスーツとのことで、私のドレスもほぼ真っ白だった。宝石は真珠で髪飾りは百合の花を模っている。
白を着てもいいのだろうか?よく見ればクリーム色や淡い黄色も使われているけど、汚れが目立ちそう。食事どころか飲み物も気をつけないと。
着るだけで疲れそうだが、贈られてきたものを着ないわけにもいかない。これは殿下の服とお揃いなのだ。
前日どころか一週間前から準備に取り掛かり、スタイルの維持とお肌のコンディションを整えた。当日も朝から準備して、どこもかしこもピカピカに磨き上げる。
メイド達が総出で頑張ってくれた結果、過去最高の出来栄えとなった。
約束の時間になるとヴェリコ殿下が迎えに来てくれて、私を見るなり眩しそうに目を細める。
「普段の清楚な雰囲気も可愛らしいが、今日は輝くように美しいね」
いえ、私なんかより殿下のほうがとても美しいです、この人の横に並ぶのかと思うと胃が痛くなるほどに。そうは言えないので、ぎこちなく笑ってお礼を言う。
「あ、ありがとうございます」
迎えの馬車に乗り、なんとか緊張をほぐそうと深呼吸を繰り返していると。
「緊張しすぎだよ」
笑われて、そんなことを言われても…と。
「無理です。もともと社交の場は苦手ですし…」
「そのうち慣れてしまうのかな。でも、ずっと慣れないままで私の側にいてくれるほうが嬉しいかな」
「………早く独り立ちできるように努力します」
「無理せず、私のそばにいればいいよ?」
「いえ、ご迷惑をかけないよう気合と根性で頑張ります!」
「そう?」
ますます楽しそうに笑って。
「頼もしい王妃になりそうだな」
って、どんだけポジティブ思考ですか?
正式には婚約していないはずだが、私は婚約者として紹介された。
違います。と強く否定して殿下に恥をかかせるわけにもいかないし、そもそも断れる立場ではない。
殿下のことは怖いけど、嫌いではない。
自分に王妃が務まるかわからない。
わからないけど。
「ごめんね、勝手に婚約の話を進めてしまって」
小さな声で謝られて、首を横に振る。
「なんだか実感がありませんし…、自信はまったくありませんが……」
ヴェリコ殿下ができると言うのだ。きっとなんとかなるのだろう。
「殿下もそろそろ婚約者を決めないといけないお年頃ですものね」
「そうだね。少し前から周囲がうるさくてね。でも君を選んだ理由は政略的なものではないよ?」
好きだから。
「メイドをかばった優しさも、暴漢を倒した強さも、周囲を笑って許す寛容さも…。私が君の立場なら、デルベントに鉄拳制裁していた」
うん、それは私もちょっとやりたかったけど。
「私が本気で殴ったらデルベント殿下のお顔の形が変わってしまいます」
「ははは…、夫婦喧嘩しても、私の顔は殴らないでほしいな。公務に支障をきたすから」
「結婚もしていないのに、夫婦喧嘩って……」
「君となら幸せな家庭を築けそうな気がする」
耳元でささやかれて、走って逃げ出したくなった。
慣れないし、好きかどうかもわからない。流されているだけという気もする。
殿下の側にいたら、今まで以上にあれこれ巻き込まれそうで平凡な結婚なんて絶対に無理だろう。
逃げてしまいたいけど。
「気が早いと思います…、あと、本当に嫌だと思ったら遠慮なく逃げますから」
「逃がさないよ」
「本気で逃げたら殿下でも追いつけません」
「………本当に?」
すこし心配そうな顔をされ、頷く。
「私は走れる令嬢ですから。捕まえておきたいのなら、今以上に鍛錬なさってくださいね」
殿下は笑って。
「なら、別の方法で君をとどめておこう。動けなくすればいいんだよね?」
と、楽しそうに私の腰を引き寄せた。