九人目
夢を叶える能力とは、人を幸せにする能力らしい。
あの大火災で家を失い、ニゲルで暮らしていた俺の傍には不幸な人間しかいなかった。
俺にそんな力があるのなら、不幸な人の為に使いたい。
そう思い、俺は人の夢を叶え続けた。
空腹に苦しむ子供が夢見た美味しいお菓子を、
ボロ布を纏った女が夢見た綺麗なドレスを、
家を失った男が夢見た温かい家を、
全て現実に具現化し、夢を叶えた。
俺は人々に感謝され、自分を神様と呼ぶ者もいた。
それが嬉しくて、俺はどんな夢でも叶えてあげた。
ある日、誰かの夢を見た。
その夢の主は一人の男によって苦しめられており、その男が消えることを強く願っていた。
俺はそれに同情し、その夢を叶えてやった。
その悪人を、この世から消してやった。
「どうして…どうして私のお父さんを殺したの! 何も悪いことなんてしてないのに、何で!」
悪人の娘がそう言って泣き崩れた。
娘は言う、悪人は自分には優しかったと。
誰かにとっては悪人でも、娘にとっては優しい父親だったのだ。
娘は願った。
「だったらそいつも殺してよ! お父さんをあなたに殺させた奴も同じ目にして!」
俺は、分からなくなっていた。
どれが誰の幸福で、
どれが誰の不幸なのか、
「どうして叶えてくれないの? 叶えられるくせに何もしないなんて…この化物!」
そうだ、俺は…
人間じゃない。
『夢を餌に人間を差別化し、教団を作ったが…大失敗だ。階級制度や人間の管理がこれほど退屈だとは思わなかった』
地上に降り立ち、神と呼ばれた少年は言う。
『だから、こんなことは貴重なんだ…まだ死ぬなよ、珍客。もっと俺を楽しませろ!』
「……ッ」
息を乱す様子もないムースに、フェレスは苦虫を噛み潰したような顔をする。
これだけアニマを乱発しているのだ。
現実だったら、体力や精神が疲弊してもおかしくはないのだが…
ムースにとってこの程度は遊びに過ぎないのだろう。
ここは夢の中。
奴の独壇場なのだから。
「………」
鞭のようにしなる落雷を消し去りながら、深く息を吐く。
これほど長く能力を使い続けたのは、初めてだ。
そもそもあの平和な村では能力を使う機会すら殆どなかった。
どうやら少し鈍ってしまったようだな。
「現実を捨てて、夢の世界で暮らす…」
『あん?』
「君の信奉者の言葉ですよ」
フェレスの言葉に、ムースは手を止めて嫌そうな顔をした。
心底思い出したくないことを目にしたと言わんばかりに、
『現実の連中は、まだそんなことを考えてんのか。下らねえ』
「彼らの神なのに、知らなかったんですか?」
『うるせえ。こんな空間で五年も暮らしていれば、内情にも疎くなるさ』
つまり、ムースは既に五年もアニマを使い続けていると言うこと。
現実のムースは五年もの間、眠り続けているのだ。
ある意味、現実を捨てて夢の世界へ行くと言う教義を体現しているとも言える。
「催眠ガスが充満した密閉空間で、一人眠り続けて来たんですか?」
『ああ、そうだ』
「栄養なんかは?」
『起こした信奉者に注射を打たせている。それがどうした、今聞いてどうする?』
訝しげな顔をして、ムースは言った。
質問の意図が分からないと言いたげだ。
それに気付かないふりをして、フェレスは言葉を続ける。
「最後に一つだけ…僕らが入った部屋が、君の眠る部屋だったんですよね?」
『だから、最初にそうだと言ったろ。あんなガス塗れの部屋を幾つも作れるか』
「それだけ聞ければ、十分です」
薄ら笑みを浮かべて、背中に隠していた手を前に突き出した。
油断し、不用意に近づいてきていたムースの胸にそれを突き立てる。
それは、レプスが新たに作り出した氷柱だった。
深々と胸に突き刺さる氷柱を見て、ムースは静かにフェレスへ目を向けた。
『おいおい、まさか俺がこの程度で死ぬとか、夢見ちゃってんじゃねえだろうな?』
イラついたようにムースは氷柱を引き抜く。
噴水のように血が噴き出すが、それはすぐに収まった。
ここはソムニウム。
具現化した夢の空間。
どんなことでもムースの思い通りになり、
ムースはどんなことをしても死なない。
そんなことは、分かり切ったことだった。
『珍客、こんなことで興醒めさせてんじゃ…あん?』
握っていた氷柱を捨てようとしたムースは異変に気付く。
氷柱を握る右腕が凍結している。
完全に氷柱と手が一体化し、動かすことが出来ない。
『何だ、こりゃ。どうして…解凍出来ない?』
いくら腕が元に戻るイメージを送っても、腕が治ることはない。
それ処か、凍結はどんどん広がり、既に右肩まで凍り付いてしまっている。
『何をした! 一体この俺に、俺の夢に何を!」
「何もしてませんよ、僕はね」
薄ら笑みを浮かべて言うと、フェレスは自分の後方を指出した。
そこには静かに目を閉じて集中するレプスの姿があった。
『その女か!』
そう言い、近付こうとした時、そのままムースは転倒した。
いつの間にか足まで凍り付いてしまっていたようだ。
芯まで凍結し、ムースの能力で元に戻る気配もない。
(何故だ、どうして俺のソムニウムが…)
ムースの能力は夢を叶える能力だ。
他人の夢に侵入し、その中で起きたことを具現化する。
更に夢の内容はある程度、改変することも出来る。
故に夢の中にムースに思い通りにならないことが起きる筈はなく、仮に起こっても具現化しなければ現実に影響は…
『現実。影響…まさか』
「気付きましたか?」
『まさかお前、現実の俺を…!』
「ええ、凍らせたわ」
目を開き、レプスは静かに言った。
フェレスを真似て薄ら笑みを浮かべながら、半身が凍ったムースを見下ろす。
「悪夢を現実にするのなら、その逆も可能よね? 寝ている身体の方が傷付いたら、夢の中で痛みを感じてもおかしくないわ」
「催眠ガスが充満した密閉空間。近くで眠るレプスが寒気を具現化したらどうなるでしょう?」
窓すらない空間に冷気が篭り始める。
催眠ガスのせいで夢から覚めないまま、身体だけ冷やされていく。
「さあ、夢の中で凍死したくなかったら。これを解除しなさい」
『クソったれめ!』
「仮にも神様が、そんな言葉を使う者じゃないですよ」
瞬間、空間に亀裂が走り、ソムニウムは崩壊した。