女との対峙
その日、黒髪を靡かせた女が敢えて補強しなかった結界魔法を通り抜けて、屋敷の中へと侵入してきた。
そこから現れるだろうことは誰もが分かっていた。仮に補強し、侵入できないようにしたとして、今度はどのような手を使ってくるか、全く予測できなかった。ゆえに、そのままの状態にして皆で待機していたのだ。
そう、これは全てを終わらせるため。そして、平穏な日常を取り戻すためだった。
「お久しぶりですわ」
女の姿を認識すると、リリアーナは冷静に声を掛ける。
「あら、私が来るのを待ってくださっていたのかしら」
「……」
「それで、お別れする気にはなった?」
「……いいえ、私はここを離れる気はありません。主人がそれを望むのなら話は別ですが」
「ええ、あの方もそう望んでいるわ。だって私には分かるもの」
そう言い切った女の目には歪んだ愛の色が浮かんでおり、一瞬ぞくっと身震いした。
「本当にそうでしょうか? 貴方がそう思いたいだけなのではないですか?」
しかし、リリアーナは真っ直ぐ女の目を見て、はっきりとした口調で問いかける。
「リリーの言う通りだ」
そのとき、暫く隠れて様子を見ていたクライヴが出てきて、静かに告げた。だが、彼の拳は固く握られており、表情も強張っていた。
「あらっクライヴ殿下じゃない。会えて嬉しいわ。私貴方を愛しているの。今まで一度たりとも忘れたことなかったわ。さあっ、こっちに来て一緒に行きましょう」
クライヴの姿に、女は嬉しそうな笑みを浮かべ、声を弾ませている。甘い声で誘おうとする彼女に、身の毛がよだちクライヴは思わず後ずさりした。
「俺はそんなこと望んでいない!!」
クライヴは力を込めて、思いっきり叫んだ。
「遠慮しなくていいのよ」
「な、何を言って……」
彼女の言葉に動揺しているのか、声が微かに震えている。
「分かっているのよ。私を振り向かせたくてわざと遠ざけたのでしょう」
そう言って、彼女は笑みを浮かべている。
確かに、クライヴは過去の誘拐未遂事件で彼らを国外追放処分にしている。しかし、それは当然、振り向かせたいからなどではない。
クライヴはまるで言葉の通じない様子にゾッと鳥肌が立った。
「大丈夫ですよ」
そんなクライヴに、リリアーナは安心させるように優しく声を掛けた。
「貴方、私に言いましたよね。クライヴ殿下の妻だって」
「ええ、その通りよ。私が殿下の……」
「いいえ、そのような事実はないと確認しましたわ」
女の言葉に被せるようにリリアーナははっきりと告げる。
「嫉妬かしら?」
「はい?」
「お可哀そうに。妻という肩書はあっても愛されていないのに。反論しても虚しいだけよ?」
なんなのかしら? この妙に言葉が通じていないような感覚は。
「反論ではありません。事実を言っています。それに、そうやって人の気持ちを無視して決めつけて行動して、傷つけて、それのどこが愛なのですか!!」
珍しく感情的になっているリリアーナを見て、クライヴは驚きに目を見開いた。
「ありがとう、リリー」
彼はふっと頬を緩めた。
「クライヴ殿下からもはっきり言って差し上げたら? その奥様に」
女はクライヴに向かって言う。ああ言われてもなお、自分こそがクライヴに選ばれると信じてやまないのだろう。
「……俺の妻はリリー、ただ一人だ」
「気なんて遣わなくてもいいのよ」
「そういうことではないっ!! お前は俺の妻でも何でもない。勝手なことを言わないでくれ」
「何を言っているの? だって貴方私を見ていたじゃない」
「……それだけか? 自分の侍女と一度も目を合わせない方が無理があると思うが」
クライヴは冷静になって指摘する。
「リリーは俺が心から大切に想う唯一の女性だ。これ以上、邪魔をしないでくれ」
「え?」
思わぬクライヴの本音に、彼の方に視線を移す。
「うん? お、俺は今、一体何をっ」
自身の言葉に狼狽え、赤くなっている。
きっと家族としてよね。深い意味なんてないはずだわ。
「貴方は私が好きなはずよ。そうに決まっているわ」
そう呟く声が聞こえ、二人揃って顔を向けた。
一瞬この人がいること忘れてたわ。
「お引き取りください」
リリアーナは女に向かって、はっきりと言葉を発した。
すると、その女は虚ろな目をして近づいて来た。クライヴがリリアーナを庇うように前に出る。
「うっ!!」
次の瞬間、その女は小さな悲鳴を上げ、地面に突っ伏していた。
い、今何が起こったのかしら?
よく見ると、見覚えのある男性が女を取り押さえていた。
「お前は……」
クライヴは小さく言葉を発した。
確か、シエル殿下の侍従長さんだったかしら?
「怪我はない? 二人とも」
瞳に映った人物の姿に目を瞬いた。
「兄上!? どうしてここに」
「あれ、僕が回収するよ」
シエルは女の方に目を遣って言う。
「え?」
「大切な弟を傷つけようとするのを近くに置いておきたくはないからね」
「それは助かりますが、いいのですか?」
「もちろん」
そう言うとシエルはクライヴの方へと近づき、
「……ごめんね……一人にして」
耳元で囁いた。
最後の言葉は小さすぎて、クライヴには聞き取ることは出来なかった。
「兄上?」
クライヴは困惑した声色で声を掛けるが、何も言うことはなかった。
女はその間も喚いていたが、シエルが振り返った瞬間大人しくなり、怯えたような目を向けていた。シエルの表情はリリアーナたちの方からは確認することは出来なかったが、背中からでも黒いオーラを纏っているのを感じ取れた。
女を強制的に連行し、シエルと侍従長の二人は王宮へと帰っていった。
その姿を最後まで見届けると、二度と侵入を許す事態にはならないよう、早々に結界魔法は修復された。
後日、シエルからクライヴの元へ連絡があった。シエルの手厳しい尋問により、得られた情報がいくつかあった。それは、やはりというべきか屋敷内への侵入を手助けした貴族がいるということだ。そして、その貴族が国内にもこっそり連れ戻したとのことだった。女はその貴族の代理という人物から、『第二王子に会わせてやる』と言われたとのことだ。その貴族の正体については何も分かってはいないが、一先ずは元の穏やかな日常が戻って来た。




