第一話 まだ冷たい三月
有島絆は雲間から差す太陽の光に思わず顔をしかめた。
すでに桜の木には蕾が顔を出していたが、花を咲かせるには三月はまだ空気が冷たい。
足早に男子寮から延びるアスファルト道を進む。
始業時間が近いので、絆と同じく学ランの制服を着た塾生達がぞろぞろと、鉄筋コンクリートの校舎に入って行く。
三年生の靴箱の前で、スニーカーから学校指定の上履きに履き替えていると、同級生から声を掛けられた。
「おはようございます有島君。まだまだ寒いですね。セーターが手放せません」
十八歳という年齢の割に大人びた話し方をする彼女は、蓮井ゆかりといった。
他の女子の塾生と同様、セーラー服の上にセーターを羽織っている。
三年間、毎日のように顔を合わせてきたが、三つ編みのポニーテールに黒縁の眼鏡という古風なスタイルは、入学当初から何一つ変わることはなかった。
「ああ……おはよう、ゆかり。俺も学ランの下に着てるよ」
絆もいつものように応じる。
だが、学校での日々も、もうすぐ終わろうとしていた。
「いよいよ、今日は卒業試験ですね」
ゆかりは上履きを靴箱から取り出しながら言った。
「そうだな。せっかく就職先も決まったのに、これで卒業できなかったら笑えるけど……」
彼女が上履きに履き替えると、絆はそそくさと廊下を歩き始める。
「別に卒業は問題ないでしょう?自信ないんですか?」
「どうだろうな」
「確かに一年生の頃は、授業についていくのに必死でしたけどね有島君は」
ゆかりの言う通り、入学当初、絆は落ちこぼれだった。
進級できるか不安だったが、彼女の指導もあって、成績は向上していった。
そういう訳で、絆は彼女に頭が上がらない。
「……ゆかりには感謝してるよ」
階段を上がりつつ、絆はぼそっと呟く。
「あら?珍しいこともあるものですね」
三階にある三年生の教室に二人は並んで入る。
試験の日は席が決まっているので、黒板に貼られた座席表を確認する必要がある。
絆は名字が『あ』から始まるため、筆記試験の際はいつも一番前の席だった。
同級生の蓮井ゆかりとは座席が離れている。
短く言葉を交わすと、絆は彼女と別れて、自分の席に座った。
「おはよう。みんな、席につけ」
しばらくして、教室に入って来たのは担任教師だった。
「は~い辻先生」と塾生の誰かが返事をする。
騒がしかった教室が徐々に静かになっていった。
辻先生は脚が悪いため、いつも杖を突きながら、脚を引きずったような歩き方をする。
黒板の前まで来ると、杖を立てかけて、紙袋を教壇の上に置いた。
紙袋の中には、試験用の問題用紙や解答用紙が入れられている。
「それじゃあ、一時限目は〈妖怪学〉だ。筆記用具以外は鞄にしまってくれ。今から順に試験用紙を配布する。伏せたまま後ろの塾生に渡すように」
〈妖怪学〉は日本に生息する妖怪について学ぶ学問だ。
絆が暮らすこの義賀の里にも、多数の妖怪が暮らしている。
辻先生の担当科目であり、絆はこの科目が得意だった。
辻先生は教室内にいる全ての塾生に用紙が行き渡ったのを確認すると、腰を下ろした。
「チャイムが鳴ったら試験開始だ。氏名と出席番号を書くのを忘れずにな」
しばらくすると、チャイムが校舎に鳴り響き、教室内で塾生達が一斉に裏返った答案用紙を表に向けた。
絆は必要事項を書き終えると、早速問題に取り掛かった。
試験の一問目は〈妖怪学〉の基本的な設問であった。
一年生の一学期に習うような基礎中の基礎である。
『ヴァンパイアの危険性について簡潔に述べよ』
ヴァンパイアは外来種の妖怪で、吸血鬼ともいう。義賀の里が最も危険視する妖怪でもあった。
設問に絆が答えるなら、次のように書く。
『ヴァンパイアは人間になりすまし、さまざまな悪事を働いている。ヴァンパイアは人間を襲い、その血を飲む。最悪の場合、人間を死なせてしまうこともある』




