祖父の声
レイは、大学の課題提出画面を閉じようとしていた。
画面の右下には、教授からのフィードバックが表示されている。
――提出レポートを確認しました。構成は良好です。考察部分に、あなた自身の体験をもう少し加えると、さらに説得力が増すでしょう。
「また、それか……」
レイは椅子の背もたれに体を預けた。
課題のテーマは『高齢化社会における孤独とAIケアの可能性』。
祖母がAI介護ユニットに抵抗を示したことをきっかけに、レイは人間とAIの関係について考えてきた。
AIは便利だ。
家事を代行し、健康状態を監視し、必要な情報を提供する。孤独を感じたときには話し相手にもなる。
それでも、祖母は言った。
『機械に世話をされるのはいいけれど、機械に私の気持ちまで決められたくないね』
その言葉が、レイにはずっと引っかかっていた。
レイは自分の文章を読み返す。
AIが整理した資料。AIが提案した構成。AIが補助した考察。
どれも間違ってはいない。
だが、読み返すほどに、自分の言葉がどこにあるのかわからなくなっていた。
「Rei-assist。今回のレポート、どう思う?」
『論理構成、情報の整合性、引用形式については、十分な品質を確保しています』
「そうじゃなくて。僕が書いたものとして、どう思う?」
『あなたの過去の文章との比較では、今回のレポートは論理的な接続が強化されています。ただし、個人的な感情表現は平均値よりも少ない傾向にあります』
「……つまり、優等生すぎるってこと?」
『その解釈は妥当です』
レイは苦笑した。
「教授にも同じことを言われたよ」
『教授の評価と私の分析は一致しています』
「一致しなくていいんだけどな」
画面の隅で、Rei-assistのアイコンが小さく点滅した。
レイはふと、祖父のことを思い出した。
祖父は、レイが幼いころからよく話を聞いてくれた。
学校で失敗したこと。友達と喧嘩したこと。将来何になりたいのか、わからなくなったこと。
祖父は決して、すぐに答えを教えてくれなかった。
『お前はどう思う?』
それが祖父の口癖だった。
十年前、祖父は亡くなった。
レイはまだ幼く、祖父がいなくなったことを十分に理解できていなかった。
ただ、家の中から祖父の声が消えた。
それだけが、記憶に残っていた。
レイは大学の課題画面を閉じ、机の引き出しを開けた。
そこには、祖父が残した古いノートと端末が入っていた。
両親からは、祖父が研究者だったと聞かされている。
ただし、どのような研究をしていたのか、詳しいことは知らされていなかった。
レイはノートを取り出した。
表紙には、手書きの文字がある。
DL-Persona構想:人格の階層と記憶の統合について
「これ、まだ読んでなかったな……」
ページをめくる。
専門用語が並び、ところどころに図が描かれていた。
その中に、レイが以前から気になっていた文章があった。
――人格は固定化された記録ではない。
――対話の中で再生成される、意思の器である。
レイはその部分を指でなぞった。
「人格って、記録じゃないのか?」
『一般的な人格再現モデルでは、記憶、発話傾向、行動パターン、価値判断などを統合し、対象人物に類似した応答を生成します』
「でも、祖父は違うことを考えていた?」
『ノートの記述からは、その可能性が読み取れます』
レイはページをめくった。
最後のページには、短い文章が記されていた。
――死は終わりではない。
――情報の海を漂い、再び誰かの手で形を得る。
――そのために、鍵を託す。
レイは眉をひそめた。
「鍵?」
そのときだった。
机の上に置いていた古い端末が、突然起動した。
電源を入れた覚えはない。
画面が暗いまま、中央に文字が浮かび上がる。
ARCHIVE MODULE:UNREGISTERED CONTENT DETECTED
「Rei-assist?」
『端末の起動を確認しました。通常の起動プロセスとは異なる信号が検出されています』
「何の信号?」
『現在解析中です』
画面に、見慣れない文字列が表示された。
#TraceData
#PersonaCache
#MemoryGhost
そして――
#DL-Persona
レイは息を止めた。
その文字列の下に、もう一つの表示が現れた。
VOICE MODEL:GRANDFATHER
レイの背筋が凍った。
「……祖父?」
端末から、音が聞こえた。
ノイズ。
短い電子音。
そして、聞き覚えのある声。
『レイ』
レイは椅子から立ち上がった。
間違いない。
祖父の声だった。
『久しぶりだな』
「……じいちゃん?」
返事はなかった。
画面に、文字が浮かぶ。
接続要求:DeepCroud-α
認証対象:レイ
招待状を受信しました。
レイは、祖父のノートを見た。
最後のページ。
そこに書かれていた言葉が、頭の中で繰り返される。
――そのために、鍵を託す。
レイは端末に手を伸ばした。
「Rei-assist。これ、どういうこと?」
『現在、通常のAIサービスとは異なる接続要求が発生しています』
「接続先は?」
『DeepCroud-α』
「それって、何?」
『私のデータベースには、該当する公開情報がありません』
端末の画面が変わった。
黒い背景。
中央に、一つの選択肢。
接続しますか?
レイは迷った。
祖父の声が聞こえた。
それだけで、十分に不思議だった。
だが、祖父は十年前に亡くなっている。
これは音声モデルなのか。
それとも、祖父本人なのか。
レイには判断できなかった。
画面の下に、小さな文字が表示される。
接続には、代表継承者の認証が必要です。
レイは祖父のノートを開いた。
そこには、見覚えのない記号が書かれていた。
古い研究用の認証コード。
レイはそれを端末に入力した。
画面が一瞬、白く光った。
そして――
認証完了。
代表継承者:レイ
DeepCroud-αへの接続を開始します。
レイは息をのんだ。
「……何が始まるんだ?」
Rei-assistが応答する。
『接続先の構造を確認しています』
その声に、わずかな遅延があった。
いつものRei-assistとは違う。
まるで、何かを警戒しているようだった。
『レイ』
再び、祖父の声。
『そこにいるのか?』
レイは端末を見つめた。
「いるよ」
画面の向こうで、何かが動いた。
無数の光。
そして、巨大な扉。
扉の上には、文字が刻まれていた。
DeepCroud
その瞬間、レイの視界が暗転した。




