↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/42

傷に咲くもの

ご覧いただきありがとうございます!

よろしければ、この話の読み終わりにでも【ブックマークへの追加】や【★★★★★評価】をポチッと押していただけると、今後の執筆の大きなモチベーションになります!


それでは、どうぞお楽しみください。

皮膚の下で、白い糸が脈打(みゃくう)った。


右脛(すね)の傷から、指2本分ほど離れた場所だった。細い盛り上がりが内側へ進み、止まる。また進む。


俺は布を指へ巻き、傷口から出ている糸を掴(つか)んだ。


引く。脛(すね)の内側が一緒に引かれた。


糸は皮膚へ張りついているのではない。肉の中へ枝を伸ばしていた。強く引けば途中で切れ、残った方がさらに奥へ潜るかもしれない。


俺は手を止めた。


足元で、黒い水が揺れた。さっき槌(つち)を振り下ろした波は、もう消えている。それなのに、3歩先の菌木(きんぼく)の根元だけで小さな輪が広がった。


何かが、まだいる。


包帯は戻さず、傷口へ乾いた布を当てた。白い糸が見える隙間だけを残す。血の臭いを隠せるかは分からない。


右足を水から上げたまま、左膝を根へついた。背後は太い菌木(きんぼく)。左には腰までの黒い水。右には細い根が、地面の高い場所へ続いている。


逃げるなら右だ。だが、右足では踏み切れない。


水面に、丸いものが浮かんだ。


最初は菌の傘に見えた。青黒い皮膚。両目だけが盛り上がり、水の上へ出ている。頭は人の胸ほどの幅があった。


そいつは動かない。俺の傷へ向いている。


槌(つち)を低く構えた。喉が痒(かゆ)み、咳(せき)が上がってくる。今は音を立てたくない。濡れ布の上から口を押さえ、息を細く吐いた。


丸い目が、一度閉じた。


直後、水面が割れた。そいつの口から、灰色の舌が伸びる。狙いは顔ではなかった。右脛(すね)だ。


俺は傷の前へ槌(つち)の柄を入れた。舌が木へ巻きつく。粘ついた液が飛び、手の甲へ触れた。皮膚が痺(しび)れた。


そいつが舌を引いた。槌(つち)ごと、身体が水へ引かれる。


左肩では支えられない。右手だけでは柄を保てず、鉄頭が水面へ落ちた。俺は槌(つち)を放した。


魔物は舌を縮め、槌(つち)を口元まで引き寄せた。鉄頭が上顎(うわあご)へ当たり、鈍い音がする。


そいつの身体が、水から半分浮いた。


蛙に似ていた。後ろ脚は太く、腹は白い菌膜に覆われている。背中には小さな穴がいくつもあり、呼吸するたび泥色の泡を吐いた。


名前は知らない。知る必要もなかった。


右の根まで、2歩。


鎖を手首へ巻き、左足だけで身体を押した。右足は地面へつけず、根へ倒れ込む。


背後で水が大きく跳ねた。蛙に似た魔物が飛んだ。影が頭上へ重なる。


俺は転がらず、右前腕へ意識を集めた。硬殻(こうかく)が灰色の層を作る。


前腕で頭を覆った直後、湿った腹がぶつかった。重さで背中が根へ押しつけられ、息が漏れた。


魔物の口が開く。顔の近くに傷はない。それでも舌が動いた。


硬化した右腕を、その口へ押し込んだ。灰色の舌が前腕へ巻きつき、粘液が硬い皮膚の上を流れる。痺(しび)れは、すぐには入ってこない。


空いた左手で鎖を引いた。鉄輪を魔物の後ろ脚へ回し、根の突起へかける。


左肩が軋(きし)んだ。力を入れ続けられない。


魔物が後ろへ跳ぼうと、脚を縮めた。その力で鎖が張る。片脚だけが根へ残り、身体が横へ傾いた。


右腕を口から抜く。


硬化を解いた瞬間、前腕の切創(せっそう)へ熱が戻った。粘液に触れた傷ではない。それでも、指先の痺(しび)れが肘へ上がっていた。


魔物が身体を捻(ひね)り、舌をもう一度伸ばした。今度は右脛(すね)の布へ向かう。傷を狙っている。


右足を引いた。避けきれない。舌の先が布へ触れ、巻きつく。


白い糸が、傷の中で動いた。脛(すね)の奥へ冷たいものが流れ込む。


俺は鎖を放し、両手で槌(つち)の柄を掴(つか)んだ。魔物の口元に残った鉄頭を押し込む。


相手が舌を引く。俺も槌(つち)ごと引かれ、距離が縮まる。


狙っていた。


魔物の顔が1歩先へ来た時、左足で根を踏み、柄を下へ押した。鉄頭が下顎(したあご)へ当たり、口が閉じる。


舌の途中を、自分の顎(あご)で噛(か)んだ。濁った鳴き声が響き、舌の力が緩む。


右脛(すね)の布を引き剥(は)がし、そのまま水へ投げた。血のついた布が2歩先へ落ちる。


丸い目が、布を追った。魔物は俺ではなく、水面の血へ向きを変えた。舌が伸び、布を呑(の)み込む。


その隙に、鎖を根から外した。後ろ脚を縛った輪を強く引き、魔物の身体を横へ倒す。


白い腹が見えた。槌(つち)を振り上げれば、届く。


だが左肩は上がらない。右足も踏ん張れない。一撃で倒せなければ、水の中へ引き込まれる。


倒す必要はない。傷から離せばいい。


槌(つち)の鉄頭を、背中ではなく腹の横へ押し当てた。水へ向かって柄を突く。


魔物が横へ転がり、鎖が後ろ脚から抜けた。水へ落ちたそいつは太い脚で底を蹴り、黒い飛沫(しぶき)を上げて、菌木(きんぼく)の根の下へ潜った。


追わなかった。水面の膨らみは、湿地の奥へ遠ざかっていく。


静かになるまで待った。


ならなかった。


左の水面に、丸い目が2組浮かんだ。追い払った1匹とは別だ。傷の血へ集まってきた。


1匹目の舌が、左肩を狙う。俺は根から身体を落とし、舌を頭上へ通した。


2匹目が、着地点へ跳んでくる。


逃げた先には、黄色い液を垂らす紫の茸(きのこ)が群生していた。鎖を茸(きのこ)の根元へ回し、引く。傘が倒れ、黄色い液が黒い水へ散った。


蛙に似た魔物は、構わず踏み込んだ。


次の瞬間、白い腹から煙が上がった。濁った鳴き声が響く。


毒は、外皮にも効く。


倒れた茸(きのこ)を槌(つち)の柄で押し、跳びかかってくる1匹の進路へ転がした。前脚が黄色い液へ触れ、動きが鈍る。そこへ鎖を巻き、毒の水溜(みずた)まりへ引き倒した。


もう1匹の舌が、右脛(すね)の包帯へ届いた。白い糸が、肉の中で暴れる。


俺は硬殻(こうかく)で固めた前腕へ、舌を巻かせた。引かれる力を利用して距離を詰める。


槌(つち)の尖(とが)った側を、盛り上がった眼の間へ突き込んだ。一度では止まらない。柄を両手で押し込み、頭を根へ打ちつけた。


魔物の身体から、力が抜けた。


毒の水溜(みずた)まりでは、もう1匹が痙攣(けいれん)している。俺は近づかず、鎖で首を締め上げた。動きが止まるまで待つ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


《討伐結果》


討伐対象:パラサイトトード 2体


討伐吸収(とうばつきゅうしゅう)を開始します。


力の残滓(ざんし)を蓄積しました。


能力値の変化はありません。


獲得候補:寄生胞子(きせいほうし)Lv.1


魂適合率(たましいてきごうりつ):低


忘却負荷(ぼうきゃくふか):小


魂を喰らいますか。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


皮膚の下で蠢(うごめ)くものと、同じ名だった。


得れば操れるかもしれない。だが、記憶を失う。


「喰らわない」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


技能取得の代償は発生しません。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


文字が消えた。


右手の痺(しび)れは残っている。指を曲げると、遅れて動いた。舌の粘液が触れただけでこれなら、傷へ押し込まれたものは別の毒も運んでいる。


高い根の上へ、身体を引き上げた。


右脛(すね)を前へ伸ばす。傷口の白い糸は、1本ではなくなっていた。皮膚の下で2つに分かれ、上と内側へ伸びている。


時間をかければ、増える。


切る道具を探した。採掘槌(つち)の先は太すぎる。炭筆は折れる。


切れた鎖の端に、割れた鉄輪が1つあった。輪を布で挟んで捻(ひね)ると、錆(さ)びた継ぎ目が開いた。先端は薄く尖(とが)っている。刃ほど鋭くはないが、糸を掻(か)き出すことはできる。


傷を広げれば、出血が増える。広げなければ、白い糸が残る。


水筒を傾けた。底に残る水は、数口分しかない。飲めば喉の痛みを抑えられる。傷へ使えば、少しは泥を流せる。


蓋を外し、水を右脛(すね)へかけた。


冷たさが傷へ入った。黒い泥が薄まり、血と一緒に根の上へ流れる。白い糸だけが、肉の内側に残った。


開いた鉄輪の先を、傷へ入れた。


痛みで右足が跳ねた。左手で膝を押さえる。右手は痺(しび)れ、細かな力が入らない。鉄の先が深く入れば、自分の肉を裂く。


ゆっくり動かした。白い糸の下へ先端を入れ、持ち上げる。


1本が、傷口へ出た。布で掴(つか)み、引く。


糸は指の長さほど抜け、途中で枝分かれしていた。先端に、白い粒がいくつも膨らんでいる。


灰袋を開け、乾いた灰を糸へ落とした。白い枝が縮む。


傷の中に残る糸も、皮膚の下で動きを止めた。完全には出てこない。それでも、奥へ進む速さは落ちた。


灰を傷へ入れるのは危険だった。汚れが残れば腐る。だが、このまま菌糸(きんし)が伸びるよりは遅らせられる。


指先ほどの灰を、傷口の周りへ押し当てた。皮膚の下の白い線が、外へ逃げるように曲がる。そこへ鉄輪の先を差し込んだ。


2本目。3本目。


引き抜くたび、脛(すね)から血が流れた。布が赤く濡れていく。白い糸は細くなったが、すべては取れなかった。


1本は骨に近い場所へ潜り、鉄の先が届かない。無理に追えば、歩けなくなる。


俺は手を止めた。


抜いた菌糸(きんし)を根の上へ並べ、灰で覆った。白い枝はしばらく震え、やがて縮んだまま動かなくなった。


傷へ乾いた布を当て、新しい包帯を強く巻いた。右足の指が痺(しび)れる。少し緩めても、感覚は戻らなかった。舌の粘液による毒か、菌糸(きんし)のせいかは分からない。


立ち上がる。右足を根へ置いた瞬間、膝が抜けた。


槌(つち)で身体を支えた。足首の痛みとは違う。力を入れる命令が、途中で薄くなる。右手の痺(しび)れも肘を越え、肩へ近づいていた。


毒は、1つではないのかもしれない。


甘い空気。光る鱗粉(りんぷん)。蛙に似た魔物の粘液。傷の中へ入った白い糸。どれがどこまで身体へ入っているのか、分からない。


記録帳を開いた。


右脛(すね)へ白い菌糸(きんし)。水中の蛙に似た魔物が傷を狙う。舌の粘液で痺(しび)れ。灰で菌糸(きんし)の動きが鈍る。完全には除去できない。


書く間にも、炭筆を持つ指が動きにくくなった。文字の最後が曲がる。


能力値は変わっていない。技能も増えていない。それでも身体だけが、少しずつ自分のものではなくなっていく。


記録帳をしまい、濡れ布を絞った。絞っても、水はほとんど落ちない。口元へ戻すと、甘い匂いが前より近かった。


ここに留まれば、また幻を見る。水辺へ戻れば、蛙に似た魔物が来る。


俺は根の高い方へ進んだ。


右足を引きずり、槌(つち)を杖にする。1歩進むたび、包帯の内側で脛(すね)が脈打(みゃくう)った。白い糸が動いているのか、血が流れているだけなのかは分からない。


灰を投げる余裕はなかった。槌(つち)先の菌膜を見る。風は右から左へ流れている。胞子の薄い左側を選んだ。


湿地の黒い水は次第に浅くなり、代わりに紫色の菌が増えていった。人の頭ほどの傘が幾重にも重なり、表面から黄色い液を垂らしている。


液が地面へ落ちた。触れた白い菌糸(きんし)が黒く変わり、すぐに溶けた。


毒だ。少なくとも、触れてよいものではない。


距離を取った。


その時、紫の傘が揺れた。風ではない。黒い水溜(みずた)まりの中央が、ゆっくり盛り上がっている。


最初に、2つの眼が出た。次に、人の胴ほどもある頭。


小さな個体の倍では足りない。口だけで、俺の肩幅より広かった。


背中に並んだ胞子袋が、一つずつ膨らむ。低い鳴き声が湿地を震わせた。


右脛(すね)に残った白い糸が、その声へ応えるように蠢(うごめ)いた。


倒した2匹は、餌(えさ)を探していたのではない。こいつの縄張りへ、獲物を追い込んでいたのかもしれない。


俺は採掘槌(つち)を構えた。


巨大な蛙の口が開いた。

お読みいただきありがとうございました!

「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、画面の下(または目次ページなど)にある**【ブックマーク登録】と、【★★★★★評価】**で応援していただけると本当に嬉しいです!


感想や「ここが良かった」といったご意見もお待ちしております。

それでは、次回の更新でお会いしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。