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骨をまとう群れ

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それでは、どうぞお楽しみください。

潰れた水筒を振ると、中で空気だけが鳴った。竜の幻に押し潰されかけたとき、残っていた水は底の亀裂から流れ出て、黒い石に吸われた。水は、もうない。


脇腹の布は湿っていた。指を離して確かめたが、滴(したた)るほどではない。左肩は熱を持ち、右足首は体重をかけるたびに鈍く疼(うず)いた。喉の奥が張りついて、唾(つば)を飲み込むのにも力が要った。


立ち止まって治る傷ではない。水のない場所で止まれば、立てなくなる時が先に来る。


円形の部屋に残っているのは、竜の眼の紋章と、その下の割れ目の奥へ続く下り階段だけだった。俺は床の小石を3つ拾って水筒へ入れ、腰へ結び直した。軽いものでも、音くらいには使える。鎖を右手に巻き、割れ目へ足を入れた。


目の奥で暗視(あんし)を開くと、闇の濃淡が灰色の輪郭を持った。階段は人ひとりがやっと通れる幅しかない。壁は湿っていたが、指でなぞるとつくのは黒い泥だけで、舐(な)める気にはなれなかった。


途中から石段が崩れ始めた。角が欠け、中央が沈み、踏むたびに細かな灰が下へ落ちていく。俺は鎖の端を壁の突起にかけ、右足を庇(かば)いながら一段ずつ下りた。


階段の先は、底の見えない縦穴(たてあな)を横切る石の通路だった。


幅は肩2つ分で、手すりはない。床石は何枚も抜け、残った石にも白い亀裂が走っている。右の壁からは折れた梁(はり)が何本も突き出し、左には半ば崩れた脇道が口を開けていた。向こう岸までは20歩ほど。その先の壁に、3本の線が刻まれている。探索隊の印だ。


「道は、合ってる」


声にした直後、脇道の奥で何かが鳴った。からん、と。


石の音ではなかった。乾いたもの同士がぶつかる、軽くて硬い音だ。から、からから。音が増え、脇道の闇から5つの低い影が出てきた。


犬に似ていた。だが、肩の高さは俺の腰を越えている。剥(む)き出しの皮膚は灰色で、体は肋骨(ろっこつ)が浮くほど細い。頭と背には白い骨が幾重にも重なり、鎧のように肉へ食い込んでいた。頭蓋骨(ずがいこつ)の欠片、長い獣骨、人の腕に見えるものまである。歩くたび、それらが擦(す)れて鳴った。


探索隊の帳面にあった、骨をまとう獣だ。


先頭の1頭が鼻先を上げ、5頭すべての顔が俺の脇腹へ向いた。血の匂いだ。先頭が2歩進むと、左右の2頭が壁際へ散る。まっすぐには来ない。俺がどちらへ逃げるかを見ている。


背後は上り階段、前は壊れた通路、左は奴らの脇道。右足では走れず、左腕では満足に鎖を振れない。なら、一度に来られる数を減らすしかない。


俺は階段口まで下がった。幅は1頭分しかない。鎖を床へ這(は)わせ、端を壁の突起に一巻きだけかけた。


先頭が低く唸(うな)り、地を蹴った。


俺は鎖を引いた。張った鉄が前脚を払い、獣は肩から壁へぶつかった。骨の砕ける音がした。だが砕けたのは外にまとった骨だけで、獣はすぐに身を起こし、重なった骨の隙間から濁った目で俺を睨(にら)んだ。


あの骨は鎧だ。叩いても、中の肉までは届かない。


2頭目が、先頭の背を踏み台にして跳んだ。俺は鎖を手放し、階段を2段上がった。牙が目の前の空を噛(か)む。着地した2頭目は狭い階段口で前脚を滑らせ、起き上がりかけた先頭とぶつかった。


ここで押し合えば、先に崩れるのは俺の脚だ。


俺は腰の水筒から小石を振り出し、脇道へ投げた。石は壁に当たり、乾いた音を立てて奥へ転がっていく。後ろにいた3頭の首が、同時にそちらを向いた。階段口の2頭も、耳だけをそちらへ向けた。


一瞬だけでいい。俺は床の鎖を拾い、右の壁に肩を擦(こす)りつけるようにして階段口を出た。そのまま石の通路へ踏み出す。


最初の一歩で、右足首に痛みが走った。速度は落とさなかった。4歩、5歩。背後で骨が鳴る。振り返らなくても分かる。来ている。


7歩目の床石は、中央に太い亀裂が入っていた。俺はそこを避け、壁際へ足を置いた。


獣は避けなかった。石が沈み、先頭の前脚が隙間にはまって体がつんのめる。後ろの1頭が、その背へぶつかった。


俺は鎖を振り、壁から突き出た折れた梁(はり)へ巻きつけた。一巻きでは浅い。もう一度回して体重をかけると、梁(はり)の根元から砂が落ちた。


狙ったのは獣ではない。獣たちが乗っている、亀裂の入った床石だ。あの石の端は、この梁(はり)の根元の壁に噛(か)んでいる。


「落ちろ!」


右足で壁を蹴り、鎖を引いた。脇腹が裂けるように痛み、左肩の奥で何かが軋(きし)む。それでも手は離さなかった。


梁(はり)が抜けた。支えを失った床石が傾き、亀裂が一気に広がる。獣たちは後ろへ跳んだ。先頭だけが遅れ、斜めになった石を爪で掻(か)きながら滑ったが、縁で踏みとどまり、仲間の側へ這(は)い戻った。


俺は鎖を外して前へ進んだ。10歩、11歩。背後で轟音(ごうおん)が響き、通路の中央が崩れて、灰色の粉塵(ふんじん)が縦穴(たてあな)から噴き上がった。


だが、1頭が崩れる前に跳んでいた。


粉塵(ふんじん)の中から、白い骨をまとった頭が飛び出してくる。避けきれず、肩からぶつかられて床へ倒れた。左肩を打たないよう身を捻(ひね)ったせいで、脇腹が石に擦(す)れ、息が消えた。


獣の前脚が胸に乗る。骨で覆われた顎(あご)が開き、腐った肉と古い墓のような臭いが顔にかかった。俺は鎖を両手で持ち上げ、牙の間へ鉄を噛(か)ませた。獣が頭を振るたび、鎖が右の掌(てのひら)の皮を削る。左腕に力が入らず、少しずつ押し込まれていく。


頭の骨を殴っても通らない。なら、骨のない場所だ。


俺は膝を曲げ、獣の腹を蹴り上げた。足裏に柔らかい感触が返り、獣の体が浮く。骨の鎧は、腹までは覆っていない。その隙に横へ転がり、鎖を顎(あご)から引き抜いた。


獣はすぐに向き直り、身を沈めた。俺は立てなかった。右足首が痺(しび)れ、脇腹から温かいものが流れ出している。


獣の足元で、小さく石が欠ける音がした。そこにも亀裂がある。


俺は鎖の端を輪にし、床から突き出た短い梁(はり)へ投げた。輪は一投でかかった。獣が跳ぶ。俺は鎖を引きながら右へ転がった。牙が頬をかすめ、熱い線が走る。


跳んだ獣の後脚が、傾いていた床石を蹴っていた。石が外れ、獣の体が沈む。前脚だけが縁にかかり、爪が石を削って、骨の鎧ががらがらと鳴った。


俺はその横を這(は)って向こう岸の縁を掴(つか)み、右膝を乗せて身体を引き上げた。振り向くと、獣はまだ落ちていない。後脚を宙に振りながら、前脚だけでしがみついている。


頭と背中は骨に覆われている。だが、床へ立てた爪の付け根には何もない。


俺は鎖を短く握り、鉄の端を前脚へ叩きつけた。1度目は骨に弾かれた。2度目は爪のすぐ上へ入り、骨ではないものが潰れる感触が、鎖越しに掌(てのひら)へ返ってきた。


前脚の片方が外れた。残った脚へ鎖を巻き、俺は後ろへ体重をかけた。脇腹の傷が開く。爪が石に白い筋を残し、獣は縦穴(たてあな)へ落ちていった。


崩れた通路の向こうで、4頭が縁へ並んだ。前の2頭が身を低くする。跳べない距離ではない。


俺は手近な、抜けかけた梁(はり)へ鎖を巻いた。


1頭が跳んだ。俺は横へ避けながら梁(はり)を引き抜いた。着地した床石が抜け、続いて跳んだもう1頭が、落ちかけた1頭の背へぶつかる。2頭の重さで縁が崩れ、白い骨が絡み合ったまま灰の中へ消えた。


残った2頭は、跳ばなかった。縁の向こうでしばらく俺を見ていたが、やがて向きを変え、脇道の闇へ戻っていった。骨の鳴る音は、遠ざかりながらも途切れなかった。


冷たい文字が視界へ浮かんだ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━

《討伐結果》

討伐対象:ボーンハウンド 3体

討伐吸収(とうばつきゅうしゅう)が完了しました。

微量の力の残滓(ざんし)を蓄積しました。

統合閾値(いきち)には達していません。

能力値の変化はありません。

獲得可能な技能はありません。

忘却値に変化はありません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━


ボーンハウンド。それが、あの骨をまとった獣の名らしかった。


倒しただけで、すぐに強くなるわけではない。それでも、何も得ていないわけではなかった。力の残滓(ざんし)は身体の奥へ沈み、次の獲物を待っている。


代償がないのは吸収だけだ。右の掌(てのひら)は鎖で裂け、頬には牙の跡があり、脇腹の布には新しい染みが広がっていた。俺は探索隊の野営跡で拾った布を1本、右の掌(てのひら)に巻いて歯で結んだ。


振り返ると、渡ってきた通路は中央からなくなっていた。階段へ戻る道も、竜の紋章の部屋へ戻る道も、もうない。残った2頭は、そちら側にいる。


骨の鎧は、腹と爪の付け根までは覆っていなかった。叩いて通らないなら、足場ごと落とせばいい。力のない俺が3頭を殺せたのは、この壊れた通路のおかげだった。


向こう岸の壁の3本線の下には、小さな矢印が刻まれていた。その先は、低い石の廊下へ続いている。


俺は鎖を杖代わりにして廊下へ入った。天井は低く、床には薄く灰が積もっている。右足を引きずる俺の跡が、一歩ずつ残った。


十数歩進んだところで、足を止めた。俺のものではない跡があった。


床の灰が、内側から押し分けられている。太い筋が1本、壁際を這(は)うように続き、盛り上がった灰の両側には、硬い何かが擦(す)れた跡が残っていた。


灰の大空間で見た跡と同じだった。石材が倒れても殻に傷ひとつつかず、床の震えだけで俺を追ってきたもの。


しゃがんで筋の縁へ顔を近づけた。崩れた粉が、まだ表面になじんでいない。筋は古くない。俺がここへ来る少し前に、通ったのだ。


遠くで、骨の鳴る音がした。後ろには、別の道を探しているかもしれない群れ。前には、灰の下を這(は)うもの。


革袋の上から、最後の鏃(やじり)に触れた。頭を上げた一瞬だけ殻の重ならない場所に、先が浅く沈んだ石だ。あのときは、それ以上押し込む前に逃げるしかなかった。


今度は、あれがどこを通るのか、跡が教えている。


俺は灰の筋を追って、さらに暗い廊下へ足を踏み出した。

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