第9話 聖女は生まれ変わる
「う、うぅ……」
ルーフィは目を覚ました。部屋は薄暗く、テーブルの上には蝋燭が置かれていて炎がゆらゆらと揺らめいている。ぼんやりする頭で自分の置かれた状態を確かめてみると、ルーフィは自分の両手の自由がきかないことに気づいた。
「な、何なのこれ……」
ルーフィの両手は天井から伸びる鎖に繋がれていた。まるで磔にでもされているかのような格好だった。さらにルーフィは自分が一糸纏わぬ姿であることに気づいた。全くもって意味がわからない状況だった。
「――ようやくお目覚めかな?」
前方から声が聞こえ、ルーフィはそちらを向く。そこには椅子に座って頬杖をついている見知らぬ男の姿があった。そして傍らにはティートが恭しく控えている。
「ティ、ティート! これはどういうこと!?」
ルーフィはティートに向かって叫ぶ。しかしティートは何も答えなかった。
「おやおや俺のことを無視するとは……。全く行儀がなってないな」
「だ、誰よ貴方……! なんで私の寝室にいるの!」
「ん? 俺のことを覚えてないのか? ――あぁ、そう言えばまだ変装したままだったな。これならどうかな?」
男はそう言って自身の顔に手をかざす。すると男の顔が変化し、ルーフィもよく見覚えがある顔になった。間違いない。1年前にこの王国から追放した錬金術師だ。
「あ、貴方は確かヴァイス……ヴァイス・クロスフィールド! な、なんでここにいるの!? 確か禁域の森に追放されたはずじゃ……」
ルーフィは声を震わせながら言った。
「くく、戻ってきたのさ……。お前たち聖女に復讐するためにな……」
ヴァイスは静かにそう言った。
「……あ、あれは貴方が教会の教義を守らなかったのが悪いんじゃない! 私のせいじゃないわ! だ、だから早く私を解放しなさい!」
ルーフィはそう言って両手を動かすも、鎖はルーフィの両手をしっかりと拘束して離さなかった。
「そうか? では今回の件も君たちが俺の研究を台無しにして、俺を追放したのが悪いということになるのでは? ――まぁ、それについては今では少し感謝をしているよ。あのとき追放されていなければ、俺は寄生生物を生み出すことはできなかった」
「……寄生生物? 一体何の話……? そ、そんなことより私をこんな格好にしてどうするつもり!? ま、まさか私に乱暴しようなんて考えているんじゃないでしょうね……!」
ルーフィは必死に言った。ヴァイスは自分に復讐をするために自分を拘束しているのは確かだ。そして今自分は裸で、何の抵抗もできない状況にある。そこから考えられる展開は一つしかなかった。
「乱暴? まさか。俺はお前たちと違って慈愛に溢れた精神を持っているんだよ。俺に拷問をしたときに電撃を浴びせたどこかの誰かさんとは違うんだ。乱暴などするわけがないだろう」
ヴァイスはそう言って肩をすくめる。ヴァイスの台詞を聞いてルーフィは自分がヴァイスに電撃を浴びせたことを思い出した。
「あ、あれは……貴方が罪を認めなかったから……」
ルーフィは多少の罪悪感を感じたのか少し言い淀んだ。
「ほぅ、その割には嬉々として行っていたように思うが? ……まぁとにかくそれはいい。別に君に危害を加えるために君を拘束したわけではないのは確かだ」
ヴァイスはさらに「ちなみにこの部屋は特殊な錬成がしてあって防音は完璧だ。いくら叫んでも助けはこないぞ」と付け加えた。
「じゃ、じゃあなんで私にこんなことしてるのよ! 目的は何なの!」
ルーフィはヴァイスに向かって言った。
「……見物だよ」
「見物?」
「そう、見物だ。君が自分の身体の変化を見て、どう反応するかを見物するために俺はここにいる。そのために君の『頭』だけはまだ寄生生物と同化していない」
ヴァイスは淡々と言った。
「さっきから言っている意味が全然わからないわ! 結局、私の身体に何かしようって魂胆なんでしょ!」
「いや……もう既にしてある。しかし、それでは何のことかわからないか……。いいだろう。それならそろそろ始めることにしようか。そうすればすぐにわかる」
ヴァイスはそう言って不気味に笑った。――そして、その言葉を口にした。
「――変異開始だ」
ヴァイスがそう言った瞬間、ルーフィは自分の心臓がドクンと胸打つのを感じた。そして急激に身体が熱を帯び、震えだす。
「う……あ……な、なにを……し……て……」
ルーフィはそう呻きながらガクガクと身体を激しく痙攣させた。
(む、胸が熱い……。な、中から何か来る……いや……た、助けて……)
「あ、ああああああああ!!」
ルーフィが激しく叫ぶと、ルーフィの胸がビキビキと縦に裂け、中から大きな『目玉』が現れた。目玉は周りを観察するかのようにギョロギョロと動く。
「……い……や……なに……これ……」
ルーフィが信じられないといった顔で自分の胸にできた目玉を見る。しかし、これで終わりというわけではなかった。
「ぐ、が、ああああああ!!」
ルーフィはさらに悶絶する。自分の身体の中で何かが動いている感覚があった。そして背中がとても熱く、中で動いている何かは背中から外に出ようとしているのがルーフィにはわかった。
「ああ、あああああああああ!!」
ルーフィが叫び声を上げると、ルーフィの背中から太い触手が次々と皮膚を破って飛び出してきた。飛び出した触手は計6本で、ルーフィの透き通るような白い肌とは対照的に赤黒く、ゆらゆらと空中を漂っている。
(まるで天使だな……)
ヴァイスはルーフィの触手を天使の羽のようになぞらえて、そう心の中で呟いた。ルーフィは苦しそうに「はぁ……はぁ……」と息をしている。
「わ、私に……何を、した……!」
ルーフィが口からよだれを垂らしつつも、ヴァイスを睨んで言った。
「何って、だから言っただろう。寄生生物だよ。……ルーフィ、君は寄生生物になったんだ。まぁ簡単に言えば人間をやめて魔物になったようなものさ」
ヴァイスはニヤニヤしながらルーフィにそう言った。
「なっ……」
ルーフィは絶句した。聖女である自分が魔物になったなど到底信じることはできなかった。しかし、実際ルーフィの身体が明らかに人間のそれとは違うものになっているのは確かだった。
「自分の身体を見てみるがいい。清らかな聖女からグロテスクな寄生生物になった気持ちはどうだ? まぁ俺は君のその姿も結構気に入っているけどな。特にその目とか」
ヴァイスがそう言ってルーフィの胸の目玉を指さした。ルーフィはもう一度自分の胸元を見る。胸元には大きな目玉があり、ルーフィの方を見た。ルーフィは頭が真っ白になった。気がつけばルーフィの目から涙が溢れてきた。
「やめて……お願い……もとに戻して……」
ルーフィは自分の身体が変わってしまったことに相当なショックを受け、泣きながらヴァイスに懇願し始めた。こんな化物のような身体では聖女として生きていくことはできない。姉様たちにも二度と会うことはできない。非情なまでの現実がルーフィを打ちのめした。
「くく、人にものを頼むときには、もっと言い方ってものがあるんじゃないか?」
ヴァイスが楽しそうにそう言うと、ルーフィは完全に観念したかのように言った。
「お願いです……どうか元に戻してください……。あのとき貴方にしたことは謝りますし、私にできることなら何でもします……。だからどうか魔物になるのだけは……」
ルーフィはぐすっぐすっと泣きながら言った。
「何でもする、ね……それは面白い提案だ。だが、残念なことに寄生生物と一度同化したらもう二度と元に戻ることはできないんだ。不可逆的なんだよ、寄生生物になるということは」
ヴァイスはそう言って肩をすくめる。ルーフィはヴァイスの「元に戻ることはできない」という言葉を聞いて、文字通り絶望した。絶対に寄生生物になんてなりたくない。そう思うと、目から涙が溢れ止めどなく流れてきた。
「ただ、心配することは何もない。すぐに全てを受け入れ、寄生生物の身体を気に入るようになるさ」
ヴァイスはそう言った。その言葉を聞いて、ルーフィは背筋に冷たいものが走る感触を覚えた。確かヴァイスは「『頭』だけはまだ寄生生物と同化していない」というようなことを言っていたはずだ。ということは、もし寄生生物が私と完全に同化したとしたら私は……どうなる? ルーフィは今までにないほどの恐怖を感じた。
「ま、待って……! それだけはお願い!! やめて!!」
ルーフィは必死にヴァイスに懇願する。そんなルーフィを見兼ねたのか、傍らで黙っていたティートが口を開く。
「安心してルーフィ。別に寄生生物と同化しても自分の意思が消えてなくなったりはしないよ。ただ、少し今までの自分とは違った自分になるだけ。でも、それはとても素晴らしいことなんだよ。きっとルーフィも後で寄生生物になってよかったと思うと思う!」
ティートはそう言ってにっこりと笑った。しかし、ルーフィにはそれが一層恐怖を煽るものに感じられた。自分が寄生生物になったら、自分の考えがこうまで変わってしまうのかとルーフィは思った。
「そういうことだ。それじゃあルーフィ、君の脳まで完全に寄生生物と同化させることにしよう」
「いや……やめて……お願い……!!」
ルーフィはふるふると首を横に振る。しかし、ヴァイスはその願いを聞くことはなかった。
「――完全同化だ」
「いやああああああああああ!!」
ヴァイスがそう言った瞬間、ルーフィの脳へ寄生生物が急速に侵蝕し始めた。ルーフィは自分の頭の中に何かが入ってきて深く浸透していくのを感じた。ルーフィの意識が少しぼんやりとし、ルーフィは徐々に心地良い気分になっていく。それはまるで自分の脳が甘い液体の中で溶けていくような感覚だった。それにティートの言うように、自分の意識は消えることなくちゃんと残っている。
(あれ……なんだろう……。思ってたのと違う……。すごく気持ちいい……)
ルーフィがその気持ちよさに浸っていると、徐々にルーフィはこの身体は自分なんだという風に認識を変え始めた。ルーフィは自分の身体が自分の意識と馴染み、一つになっていく感覚を覚えた。今では胸元の目や背中から生えた触手も『自分の身体』の一部であって、自分の意思で自由に動かすことができる。
――そう、この身体は私なんだ。私は寄生生物になったんだ。そして、それは受け入れるべきことなんだ。それを拒否するということは自分という存在を否定するということ。私は私という存在を否定することはできない。だから……受け入れるんだ!
このときルーフィの脳は全て寄生細胞と同化し、ルーフィは身も心も完全に寄生生物となった。ルーフィの脳内は快楽物質で満たされ、ルーフィはこの上ない幸福を感じた。
(はぁ……なんだかちょっと前まで寄生生物になりたくないなんて泣いていた私が馬鹿みたい。寄生生物がこんなにも素晴らしいものだったなんて……!! ほんとティートの言う通りだったわ!!)
ルーフィは心底そう思った。そしてルーフィは自身の主であるマスター、ヴァイス・クロスフィールドが自分を寄生生物に変えてくれたことに心から感謝の念を抱いた。マスターは自分にとっての神なのだ。自分はマスターに仕えるためにこの世に生まれてきたのだとルーフィは確信した。
(あぁ、マスター。早く貴方のお役に立ちたい。……貴方の意思を感じたい!)
ルーフィは自分がマスターの役に立っているところを想像すると天にも昇るような快感を覚えた。既に自分の中にはマスターの因子が組み込まれている。私の全てはマスターのものなのだ。
「さて、気分はどうかな。今でも寄生生物になりたくないと思うか?」
「……マスター、私が間違ってました。数分前の私を殴ってやりたいです」
ルーフィはそう言った。ちょっと前の私はほんとにバカだったな……とルーフィは思った
「わかればいいんだ。ティート、鎖を解いてやれ」
「……それには及びません」
ルーフィはそう言うと、自身の触手の先端を鋭利な刃へと変化させ、目にも止まらぬ速さで鎖を切り裂いた。鎖はバラバラになって床へと落ちる。
「ルーフィすごーい!!」
そう言ってティートがパチパチと拍手を送る。
「ふふ、これぐらいどうってことないわ」
ルーフィはそう言って得意げな顔をした。
「でも、全裸だけどね……」
ティートがそうボソッと呟く。するとルーフィはハッとした顔をして自分の身体を見た。そしてすぐに両手を使って自身の胸と下腹部を隠した。
「ッ!! ま、マスターこっち見ないでくださいッ!」
ルーフィは顔を紅潮させながら叫んだ。
……この日、ティートに続いてルーフィが寄生生物となりヴァイスの仲間になった。