4.
翌日、お昼少し前。
彼の家の玄関のチャイムを押す。
すぐに、織部くんのお母さんがドアを開けてくれた。
「よく来てくれたわね。入って。あら、それ新しい眼鏡?」
「いえ。これは前の眼鏡で、新しい眼鏡は来週出来ます。あの、眼鏡のお金いただいてしまってすみませんでした」
「いいのよ。思いっきり私が壊したんだし。息子は怪我までさせてしまって……。本当にごめんなさいね」
「全然大丈夫です。かすり傷ですし、わたしの方が悪いんです。あの、これ母と作ったケーキなんですけど」
わたしはおずおずとケーキの箱を差し出した。
「わあ、嬉しい!! あとで食べましょう。やっぱり女の子はいいわね。一緒にお菓子作ったりするの、憧れだわー!!」
「でも織部くん、料理するからお菓子も作れそうですよね」
「男の子と作ったって楽しくないわよ。そういえば、詩音ちゃんも朝陽と同じ学校で隣のクラスなんだって? あの子、学校でどう? クラスが違うから、分からないかしら?」
「織部くんは、女の子からすごく人気があります」
「そうなの? 学校のこと何も話さないから知らなかった。まあ、見た目だけは父親に似て我が息子ながら、なかなかのイケメンよね」
織部くんのお母さんは笑っている。
なかなか、なんてもんじゃない。
「あの、織部くんは?」
「ドレッシングを切らしちゃって、お使い頼んだの。もう戻ってくると思うけど」
織部くんのお母さんはそう言った。
五分くらいして、織部くんが帰って来た。
「いつもどっかしら抜けてる……」
わたしに言ったのかと思って彼を見ると、織部くんの視線はお母さんに向いていた。
「別にいいでしょ!! そのために朝陽が居るんじゃない!!」
彼は買ってきたドレッシングをお母さんに渡した。
「待たせた。ごめん」
織部くんはわたしに謝る。
綺麗すぎて緊張するから、これまで彼をあんまりじっと見ないようにしてきたんだけど、いつもと雰囲気が違うせいか今日は上手く目が逸らせない。私服の白いシャツがよく似合っている。
わたしは慌てて首を横に振った。
織部くんのお母さんは、三人ではとても食べきれないくらいたくさん料理を作っていた。中華からフランス料理っぽいものまで、種類が多すぎる。
「作れるレパートリー、全部出しました!!」
そう言って、お茶目に笑う。
織部くんのお母さんは、明るくてなんだかすごく可愛らしい(失礼かもしれないけど)。
食べながら、また学校の話をしていると、織部くんが「余計なこと言うな」と突っ込みを入れる。多分照れているだけ。
わたしとお母さんは顔を見合わせて、何回も笑った。
昼食を食べて一段落したあと、持ってきたホールのチーズケーキを切り分けてくれた。
「美味しい!! これ本当に手作り? 売ってたら、絶対買うわ!!」
お母さんはそう言って、にこにこしながら凄い勢いでケーキを口に運ぶ。
あんなにたくさんお昼を食べたのに、どこに入るんだろう。
織部くんも黙々と食べている。
「ねえ、朝陽。すっごく美味しいわよね?」
織部くんのお母さんが言った。
彼はケーキを食べ終えたあと、
「あんた、天才」
と言った。
「そんな……。ほとんどお母さんに教えてもらったから」
「また作って?」
「えっと、はい。勿論。織部くんさえ良かったら……」
「もう、いっそお嫁に来てくれないかしら?」
織部くんのお母さんがとんでもないことを言いだした。冗談だと分かっているけど、なんて返していいか分からず、わたわたとしてしまう。
「もう!! 本当に可愛いわー!!」
お母さんに抱きつかれる。
織部くんは、なぜか楽しそうに笑っていた。
帰りは、当然のように織部くんが家まで送ってくれることになった。
「織部くんって基本的に紳士的ですよね」
歩きながらわたしはそう言った。
「別に、誰にでもってわけじゃない」
「あ、お詫びだから……でしたね。何回も気にしなくていいって言ったのに、本当に律儀です」
「あんた、鈍すぎんだろ」
「え?」
彼は、綺麗な目を細めてわたしを見ている。
「あのさ、あの倉田ってヤツ、何?」
「急に、どうしたんですか?」
「……答えて?」
「うちのクラスの副委員長です」
「だから、それは聞いた。好きなの?」
「え? ……わたしが、倉田くんのことを……ですか?」
織部くんは真剣な表情で頷く。
「好きとか嫌いとか特に考えたことないです。倉田くんは一緒に仕事をしている副委員長なので」
「それだけ……?」
「はい」
「じゃあ、信じる」
織部くんはそう言って表情を緩めた。
彼は倉田くんが苦手なんだろうか?
でも、昨日まで全く名前も知らなかったのに、苦手とかあるのかな?
考えても分からない。
いよいよ今日は眼鏡が出来る日。
学校が終わったら、お母さんと眼鏡屋さんに取りに行く。
織部くんの自転車にぶつかってから一週間、本当に長かった。
木曜の朝、わたしは新しい眼鏡をかけて玄関を出る。
織部くんがいつもと同じように家の前に立っていた。
「王子さまーー!!」
妹が叫ぶ。織部くんに否定されたにも関わらず、あれからずっと妹は彼のことを王子さまと呼び続けている。
昨日織部くんには、明日からもう送り迎えしなくて大丈夫だからと、ちゃんと伝えていた。
だからどうして今、目の前に織部くんがいるのか分からなかった。
「新しい眼鏡です」
わたしは眼鏡の淵を両手で持って、彼にそう言った。
昨日よりずっと織部くんの姿がくっきりと見える。
「……帰りも教室に迎えに行くから」
彼は目を伏せてそう言う。
「え?」
もう絶対に百パーセント、わたしに送り迎えをしてくれる必要はない。
本当に、全然意味が分からなかった。
放課後になった。
隣を歩く織部くんは、何も言わない。
昨日と変わらない日常。今日からは、もう織部くんに迷惑をかけずにすむと思っていた。
ただ、黙って二人で歩く。
五分? 十分? 沈黙が重いと思い始めたころ、彼が突然立ち止まり、わたしの眼鏡を奪った。
「え? どうしたんですか? 眼鏡、返してください」
わたしは吃驚して、そう言った。
「眼鏡が無ければ、一緒に帰ったり手を繋いだりしてもおかしくないだろ?」
何を言っているのか分からない。
いきなり視界を奪われ、わたしはただ不安で仕方がなかった。
「ごめん……。冗談」
織部くんはそう言って、ゆっくりわたしに眼鏡を戻す。
彼を見ると、どうしてか傷ついた顔をしていた。意地悪されたのはわたしの方なのに、彼がそんな顔をする理由が分からない。
さっき言われたことを思い返してみる。
「あ、一緒に帰る友達がいないんですか?」
わたしは首を傾げて、織部くんにそう聞いた。
「わざとか? あんた、おかしいだろ?」
わたしは彼を見つめる。
「あーー、もう!! 鈍すぎる!! 普通、分かるだろ!!」
織部くんが突然叫んだ。
……何?
「あんたにぶつかってから、俺に告白してくる女の気持ちが少しだけ分かった。一目ぼれって、ホントにあるんだなって」
織部くんは怒ったように話し続ける。
「死ぬかと思った。可愛すぎて」
可愛い?
さっきから何を言っているのか、全然理解できない。
「あんた、俺のことどう思ってるわけ?」
「勿論、格好いいと思ってます」
わたしはすぐに答える。それだけは、いつだってすぐに、はっきりと答えられる。
「じゃあ、付き合うってことでいいだろ。これから詩音って呼んでいい?」
わたしは、左右に思いっきり首を振った。
「いいから、頷け」
織部くんがわたしの手を取る。
何が起こったのかわからない。
体温が上がる……。
とんでもなく鈍いわたしが、織部くんへの気持ちを自覚したのは、それから三日後のこと。
チーズケーキを渡して、
「大好きです」
って伝えたら、完璧に格好いいはずの織部くんは、ゆでだこみたいに真っ赤になって動かなくなってしまった。
わたしはこの後、一体どうしたらいいんだろう……?
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
2019.1 ラスト一文加えました。
改めて読み返してみたら、ちょっとだけ2人の今後が気になる……と思いました。