第33話 同時進行
翌日から、青山とエリスは、リディアの行動を、慎重に見張り始めた。
直接的な尾行は、相手に気取られる危険がある。そこでエリスは、自らの人脈を活かし、宿の使用人や、近隣の露店商たちに、それとなく話を聞いて回るという方法を選んだ。長年、様々な街を渡り歩いてきたエリスにとって、こうした聞き込みは、お手のものだった。相手に警戒心を抱かせず、自然な世間話の延長として、必要な情報だけを、するりと引き出していく。
「宿の使用人の一人が、面白いことを教えてくれました」
その日の夕方、エリスは、青山のもとへ、そう報告に訪れた。
「リディアさんですが、青山さんの他にも、何人か、親しくされている殿方がいるようです」
「――他にも、ですか」
「ええ。一人は、この街で手広く商いをされている、中年の商人。もう一人は、隣街から視察に来ている、貴族家の御曹司だとか」
いずれも、この街で名の知れた人物ばかりだった。リディアが、決して行き当たりばったりで相手を選んでいるわけではないことが、その人選からも窺えた。
その報告に、青山は、静かに息を呑んだ。まさか、自分以外にも標的がいるとは、思いもよらなかった。
「それぞれの方に対して、リディアさんは、微妙に異なる"物語"を語っているようです。商人の方には、"実家の商売の立て直しに協力してほしい"。御曹司の方には、"故郷に残してきた病弱な妹のために、資金を援助してほしい"、といった具合に」
「私に語った、"借金"の話とは、また違うわけですね」
「はい。おそらく、相手の立場や、心を動かしやすい要素を見極めた上で、それぞれに合わせた物語を、使い分けているのでしょう。商人には、同じ商売人としての共感を。御曹司には、庇護欲を掻き立てるような、弱者としての立場を。そして、青山さんには……おそらく、詐欺の被害者としての、共感を誘う物語を、選んだのだと思います」
その指摘に、青山は、思わず言葉を失った。もし、それが事実だとすれば、リディアは、青山自身の過去――地面師詐欺の被害者であるという背景まで、既に把握した上で、最も効果的な"物語"を選んで、近づいてきたことになる。
「――随分と、周到ですね」
「ええ。生半可な相手ではありません」
エリスの分析に、青山は、これまでの違和感が、一気に一つの構図として繋がっていくのを感じていた。
「――複数の標的を、同時に進行させている、ということですね」
「ええ。おそらく、最終的には、それぞれの相手から、資金や信用を引き出し、頃合いを見て、姿を消すつもりなのでしょう」
青山は、静かに頷きながら、これまでの投資詐欺の一件を思い起こしていた。あの時も、セルジオとヴォルグは、複数の出資者から、同時に資金を集めていた。手口の対象こそ違えど、「複数の相手から、同時に利益を吸い上げる」という構造そのものは、驚くほど共通していた。
「もう一つ、気になる情報があります」
エリスは、さらに続けた。
「例の"年配の女性"ですが、宿の使用人の話では、時折、街の外れにある、ある建物に出入りしているそうです。おそらく、そこが、彼女たちの拠点になっているのではないかと」
「その建物について、詳しいことは」
「今のところ、それ以上は。ですが、もし、そこに踏み込むことができれば、証拠となるものが、見つかるかもしれません。これまでの経験からすると、こうした拠点には、標的ごとの情報を記録した帳面や、やり取りに使う小道具の類が、隠されていることが多いんです」
エリスの言葉には、かつて自らも、そうした拠点を持っていた者だからこそ分かる、実感がこもっていた。
青山は、しばらく考え込んだ。証拠もなく、無断で他人の拠点に踏み込むことは、それ自体が問題行為になりかねない。だが、複数の被害者が既に生まれつつある可能性がある以上、悠長に構えている時間もなかった。
「レイナさんに相談して、正式な手続きを踏みましょう。衛兵の方々にも、協力していただく必要があります」
「賛成です。ただ――」
エリスは、少し声を落とした。
「もし、本当に複数の標的がいるのだとすれば、あの商人の方や、御曹司の方にも、既に何らかの被害が及んでいる可能性があります。急ぐべきかもしれません」
その指摘に、青山は、静かに頷いた。
翌日、青山たちは、レイナを通じて、被害の可能性がある商人と御曹司、それぞれに、それとなく接触を試みることにした。まずは、商人の方から話を聞くことになった。
「リディアさんとの関係、ですか。ええ、確かに、最近、親しくさせていただいています」
商人は、少し照れくさそうに、そう語った。歳の割に若々しい仕草で、頬を緩めながら。
「実は、彼女から、実家の商売の立て直しへの協力を持ちかけられていましてね。信頼の証にと、既に、いくらかの資金を融通しています」
「その資金は、どれくらいの規模に?」
「金貨にして、五十枚ほどです」
その金額に、青山は、内心で息を呑んだ。決して小さな金額ではない。この街の一般的な労働者が、一年かけて稼ぐ額に、ほぼ匹敵するほどだった。
「差し出がましいようですが……その融資について、契約書や、返済の取り決めは、交わされていますか」
「いえ、そこまで畏まった形は取っていません。彼女との、信頼関係の上での話ですから」
商人は、そう答えながら、少し誇らしげな表情さえ浮かべていた。信頼関係だけで大金を動かせることこそが、まるで、深い絆の証明であるかのように。
その返答に、青山は、確信を強めた。契約書もなく、口約束だけで、既に金貨五十枚もの大金が動いている。これもまた、投資詐欺の一件と同じ、危険な兆候だった。
「実は、リディアさんについて、いくつか気になる点があり、調査を進めています。もしよろしければ、少し詳しい事情をお話しさせていただけますか」
青山は、慎重に言葉を選びながら、これまで掴んだ情報の一部を、商人に伝えた。話を聞くにつれ、商人の顔色は、みるみる変わっていった。
「――ま、まさか、あの子が、そんな……」
商人は、しばらく言葉を失っていたが、やがて、深く息を吐いた。両手で顔を覆い、しばらくの間、動けずにいた。
「正直、心のどこかで、少し出来過ぎた話だとは、思っていました。ですが、彼女の優しさに、つい、甘えてしまって……。妻を早くに亡くしてから、誰かにあれほど親身に接してもらったのは、久しぶりのことだったんです」
その言葉に、青山は、胸の奥が、静かに痛むのを感じた。詐欺という行為が奪うものは、金銭だけではない。人が誰かに寄せる、素朴な信頼そのものが、踏みにじられていく。それは、青山自身が、あの契約の日に、骨身に染みて味わった痛みと、同じ種類のものだった。
その言葉に、青山は、静かに頷いた。人の善意や、寂しさに付け込む詐欺の手口は、被害者自身の心の隙を、巧みに突いてくる。それは、誰にでも起こり得ることだった。
「まだ、確定した話ではありません。ですが、念のため、これ以上の資金提供は、一旦、見合わせていただければと思います」
「――分かりました。あなたの言葉を、信じます」
商人は、そう言って、深く頭を下げた。その様子には、リディアへの未練と、青山への感謝が、複雑に入り混じっているように見えた。
その後、御曹司の方にも、同様に慎重な接触を試みたが、こちらは、既に商人よりもさらに大きな金額――金貨百枚近くを、"援助"の名目で提供していたことが判明した。
若い御曹司は、事情を聞かされると、最初は激しく動揺し、リディアを庇うような発言を繰り返した。だが、青山とエリスが、それぞれの標的に対して語られていた"物語"の食い違いを、順を追って説明すると、次第にその顔から血の気が引いていった。
「――俺以外にも、同じような話を、他の相手にも……」
「はい。少なくとも、お三方には、それぞれ異なる事情を語られていたようです」
「くそっ……」
御曹司は、悔しさを滲ませながら、拳を握りしめていた。それでも、最終的には、青山たちの調査に協力することを、渋々ながら承諾してくれた。
夕暮れの街を歩きながら、青山とエリスは、これまでに掴んだ事実を、改めて整理していた。
「思っていた以上に、被害の規模が大きくなっていますね」
エリスの言葉に、青山は、静かに頷いた。
「これ以上、放置はできません。早急に、衛兵の方々と連携し、あの拠点への調査を進める必要があります」
「ええ、賛成です」
二人の視線が、静かに交わった。これまでの事件とは異なる、人の心の脆さに付け込む、この巧妙な詐欺の全貌が、ようやく、はっきりとした輪郭を持ち始めていた。
もっとも、青山の胸には、まだ拭いきれない疑問も残っていた。もし、リディア自身が、単なる駒に過ぎないのだとしたら――あの"年配の女性"、あるいは、さらにその背後にいる何者かが、この巧妙な詐欺の構図を、本当に描いているのだとしたら。リディアという人物の、本当の立場は、まだ、はっきりとは見えていなかった。
(彼女もまた、誰かに利用されているだけなのかもしれない)
その可能性が、青山の中に、複雑な感情を呼び起こしていた。エリスがかつてそうであったように、リディアもまた、何らかの事情を抱えて、この生き方を選ばざるを得なかったのかもしれない。だが、その事情がどうであれ、既に複数の被害者が生まれている以上、この詐欺を止めることを、先延ばしにするわけにはいかなかった。




