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イギリス篇 中章 11

 1940年12月18日 24:42 ベルリン図書館特別閲覧室


 首筋に入る鉄の冷たさにそっと目を閉じ、そして、わずかに注がれる血中の冷たさに、息を吐いた。


 すでに、8時間。休みなく。すべての資料を貪り食う。だが、底は見えてなどいない……そのつもりだった。

 歩哨4回躱し、2回は見失わせた。おそらく、3回目はない。

 彼らは、無能ではなく……確かにこちらを捕らえつつある。


「時間がないな……理解はしていたけど。」


 軽口とは逆に疲労は重い。すべての資料の皮脂の累積箇所、視線の集中箇所、そして、無意識の視線を読み解き、ライカに収める。すでに、そのフィルムは山河となり果てないほどの量を消費している。



 多すぎる。



 アーデレーナ・ヒルデガルド・シュリーフェンと、ヒルデは、この場所に、無数に存在している。資料を開けば、それは顔を見せる。そして、顔を伏せては、まるで翻弄するかのように、こちらを弄んでくる。


 情報戦の天才。

 

 ブラフと真実。そのはざまにありながらも、こちらに一手も猶予を与えない。


「直接対決だったら、絶対に負けていたな」


 勝てないという自負はある。でも、負ける気もない。という自負もある。

 不幸中の幸いに、ここには、彼女の権能はわずかに及んでいない。だが、その情報の海。そこには、機雷と有刺鉄線が交わりながら浮かんでいる。

 船に乗れば、機雷で。生身であれば、有刺鉄線のみで事足りる。この最低限にして、最大。最も効率的な、情報戦の厭戦。それが、最大限に生きている。それがこの場所であった。


 息を吐いた。そして、資料を広げる。




 終わった。机上の最期の資料が、ここに出尽くした。

 俺の全力をもってなお、アーデレーナ・ヒルデガルド・シュリーフェン=ヒルデ外交官には及ばなかった。

 完敗か。と月明りの差し込む特別閲覧室を見舞わした。


 第一次世界大戦の資料。そのどこにも、その事実をにおわせる記載はなかった。ならば、最初からとみると、無限の真実が口を開いた。

 八方ふさがり。


「さすが……」


 と口を開いた。思わず、近くの書庫に倒れ込んだ。あまりに乱雑だったのか……一部の本が、無碍なことをするなと倒れ込んできた。

 その痛みで目が覚めてしまった。時間もないのに、余計な証拠を造るのではないなと思い、その本を手に取った。


 

 1910年ベルリン大学卒業生、卒業論文。


 

 非情に丁寧な冊封をされているその本。一品物の冊封が行われている。おそらく、皇帝に献上されたものだろう。学生の卒業論文でありながら、ずっしりと重みを感じるそれに、少し懐かしい気持ちを思い出した。大学を卒業したとき……あの胸の奥にあったような。


 未来への渇望。


 それが、緩やかに開いた気がした。


「少しだけ気休めも必要だろ」


 焦る気持ちにストップをかけて、ゆっくりと書を開いた。



 主席卒業者 アーデレーナ・ヒルデガルド・シュリーフェン

 卒業論文「未来における非対称戦闘並びに、特殊部隊の有用性について」



 真っ先にその文言が飛び込んできた。そして続く言葉も。


 

 近い未来において、敵軍とは、相対する敵そのものではなく、自軍が敵軍を打破する時間こそが、敵となる時代が訪れると私は感じている。


 すなわち、戦争における局地戦の在り方が、今の塹壕戦より遷移して、不毛な消耗戦へと移転することを表している。


 守るべきものもない守備側と攻めるべき手段を持たぬ攻勢側の消耗戦は、常にその一方に負担を生じさせることになる。

 局地戦における攻勢側の大敗である。


 攻勢側は、この敗北により勢いを弱め、守勢側が常に勝利する局面を構築する。



 これは、すなわち、戦術の敗北であり、戦略の完敗である。



 守れば勝てるなどという虚ろなる戦場構造を打ち破ってこそ、勝利は訪れず。また、護って勝った国家は必ず、次の攻めたる国家に敗れる。それも史実である。


 ゆえに、攻勢に至る力を見直し、近年で発達して来る情報戦を取り込むことこそが、悪しき天秤を打ち砕く唯一の方法である。

 故に、戦争の局面がそこに到達する前、情報戦と威力潜入能力を有する特殊部隊により、敵の背後を崩すことが必要になるのである。

 



 それは、確かな知識と知略。そして、自陣に裏打ちされた立証。

 おそらく、彼女がたった一人で行き着いた手段だったのだろう。


 そのあとに書かれていたのは、対フランス、対イギリス、対二重帝国、対イタリア・スペイン連合、対ソ連線、対アメリカ戦。


 その学生だった頃の彼女はどこまで見抜いていたのだろうか。



「生きていてこその……カリスマか」



『ヒルデお嬢様……ああ。シェリーフェン元帥に。ヘイムヘルで待たれているのわが師シェリーフェンにようやく……ようやくよい報告ができる。』


 ゆえに、あの老元帥の言葉が胸を抉った。

 だが。

 だけどこそだ。


 不意に足音が近づく。それは、疑念というより確信。そこに俺がいる。それを確信した歩みの音だ。

 時間はない。

 手を速め、ページをめくる。


 最後のページをめくった。その最後の瞬間。


 唇が微かに離れた。



 

 こっ、こっ、コッ、コッ、!

 

 歩哨は、非殺傷武器のあらえるを持ち、その場に駆け付けた。

 音、匂い。そして、気配。


 それが、そこに何かがいたことを確信させる。だが……。



「こちら、警邏歩哨第26番定期報告。」


『異常はなし。何物も発見できなかった』


 ゆっくりと足音が遠くなり、そして、特別閲覧室にあった人の気配は、すべてが消えた。

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