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断章 5

 永いエレベーターに乗る。行き先は決まっている。35階。

 今の主の部屋だ。


「そうだな……。今から楽しみだ」


 ゆっくりと壁に背をつけながら、泉の魔法使いの意識は、ほんの刹那。過去へ飛んだ。



 西暦130年 ブリテン島 現在のドーバー近辺


 動けなかった。


 動くわけには……いかなかった。


 

 最後の一艘が地平の彼方に消えるまで。動くわけにはいかなかった。

 我が王の死……隠れられたのを見越したように、古代ローマ帝国は、最後の抵抗を見せた。変わることを恐れ、変わることを嫌い続けたその帝国は、ゆっくりと中から腐っていった。そしてやがて、腐りきった。

 彼らは、アルカディアにはなれず、ウルクにも至れず、ましてやオリンポスやかつての至神が座したと言われるミッドガルドに並ぶことなど到底。

 叶わなかった。

 腐り切り中からあふれ出た腐汁は、己のみならず、周辺の国を腐らせた。だが、それに屈しないものがいた。ゲルマンとアーリアの民だ。

 彼らは、頑なに帰服を拒んだ。

 古代ローマ帝国と彼らの確執は、そこから始まり……そして、ここに至った。


 ゆっくりと帆の先が水平線の先に消える。

 すべての力が抜けるように……泉の魔法使いは、大岩に崩れ落ちた。そのまま、崩れるのに任せて大の字に横たわる。

 かの国に吹き始めた新たな風――神聖ローマ帝国。

 同じ名を持ちながら、彼の王の遺産を継いだ人間の国。

 その国は、残った腐敗を掻きだしている。それを察知したゲルマンの民たちも、帰るべき場所に帰ろうとしている。お互いにとって最も不毛だった戦いが、ようやく終わろうとしている。

 

 ローマは滅びず。だが、この戦いは終わる。

  

 お互いに、この戦いの結果は、将来にわたり深い禍根を残すことにはなるだろう。

 彼らは、必死だった。

 それは、十分に理解している。だが、我々は、彼らと戦っていただけではなかった。彼らをこの行動に駆り立て、真にブリテン島を狙っていた古代ローマ帝国とも戦わないといけなかった。

 我々は勝利した。苦い勝利だ。古代ローマにより海に押し出され、ブリテン島攻略に乗り出すしかなかったゲルマン人たち。彼らを殲滅し、見せしめにした。非戦闘員も構わず剣を向けた。確実に戦意をそぎ落とし、彼らをこの島から一刻も早く叩き出さないといけなかった。

 そんな折に届いたのは、神聖ローマ帝国が古代ローマ帝国との戦争に勝利し、追撃、殲滅戦に移行したという我々にとっても、彼らにとっても朗報であった。彼らは、水際に残ったドルイドたちと合流して、自らの土地を取り戻ることになるだろう。彼らにとって闘いは、むしろ、これからになる。

 だからこそ……彼らの掲げる狂いし穂の天秤が、ブリテン島を狙うことなど……もう、ないだろう。



「隣……いいかしら?」


 ほんの1か月前ならば、お断りだと、無下になく言い切るであろう、その声が聞こえた。


「ああ、今日は空いている。」


「それは良かった。お邪魔するわ。――はぁ~」


 隣に首を回すと、怨敵の姿があった。だが、敵対する気はないのか、大の字になって寝っ転がっている。見られていることもわかっているだろうが、それでも何も隠すつもりはないらしい。

 彼女らしくなく……だが、おそらくもっとも彼女らしい。


「ブリテン島に浸透しいた金の穂は、天秤となる前に刈り取っておいたわ。少し、根が張ってそうだったから焼き切っておいた。アヴァロンも無事。」


「そうか、苦労を掛けたな」


「あいつに掛けた苦労ほどじゃないわ。


 

 はぁ。

 私。馬鹿だな。――こんなことして勝ったって。何の意味なんてない。それを、分かっているはずだったのにな」


 彼女は、勝者になったが。そうなりたくてなったわけではなかった。彼女が、勝者になったのは、偶然の産物。そして、その勝利には何の意味もないことは。

 彼女自身がよく知っていた。


 地に臥したまま、夜を待つことにした。あの日の夕暮れが、語っていた。


 静かなる勝利を迎えてくれるのは、――海鳥だけだったということを。



 エレベーターは静かに、そこにたどり着いた。

 廊下は、ここ数日の徹夜作業につかれた職員たちが、横になり仮眠をとっている。

 5年間もの長い間、情報ではなく、徒労を汲み続けていた。

 皆、どこか悟っている。ゆえに、目を閉じる。目を開けた時に、そこが地獄でも、少しでも労苦に対応できるようにするためだ。

 彼らは、プロだ。

 ならばこそ。もう一度、灯を点さないといけない。


 彼らの燻りが消えてしまう前に。もっと大きな火を。



 護衛にことわり、ノックをする。


 しばらくして、声が聞こえた。



 朝までは、書類が山と乗っていたサイドテーブル。そこには、いつもの主らしからぬ光景が広がっていた。


「お食事中でしたか?」


「ああ、いつもは、あえて食べないようにしている。紳士というものは、お茶の時間を大切にしてこその紳士である。そう思っている。

 しかしだ。こういう日に食するランチというものは、意外にうまいものだな。

 得も知れない味わいがあるものだ。」


 メインディッシュであろう、ローストビーフにフォークを差しながら、わが主チャーチルは、不敵に笑っていた。


「気落ちしていると思いましたが」


「なに、少し目を閉じた時に、昔上海で見た地獄と極楽の光景が、瞼の奥で勝手に再現されただけだ。久しく思い出す事もなかったのだが、そこから感じていなかった何かを感じた。

 気落ちしていては、為すべきことも為しせないからな。」


 詳しく聞くことはできなかった。だが、口角が微かに上がったのを確認して、まだまだ、やる気だと改めて認識した。


「ところで、会議の時間ならば、ゆうに一時間はある。さっきから、入れ代わり立ち代わりで目の前で余興を演じていてな。まあ、これが、観るに堪えないものだった。

 で、今度はお前だ。

 また、アーサー王談義でもして、こちらを勇気づけようとでもしているのか?さすがに今回は遠慮させてもらおう。ブリテン島に帰ったら、勇気づけに聞きたいものだがな」


 忍ばせていた写真を取り出した。


「今日は、さすがにお忙しいでしょう。アーサー王の話を聞いていただけるという許可が出たので、私も余興をしたいと思います。写真の個展です。」


 何をのんきな。そう思い、チャーチルは、何気なくその一枚を手に取った。そこにあったのは、確信だった。


「……マーリン。これはなんだ?」


「……我々にとっての宿敵です。」



 白黒の黄金の穂と鍵十字の旗が天高くそびえる中、確かに、それは写っていた。ビルの間に浮かぶ人影。その目は淦色の黄金に輝いていた。

 チャーチルは、静かに目を細めてその写真を見ていた。

 食事の手は。止まっていた。


「ドイツの超人というのは、ずいぶんとシャイなのだな。まるで、穴倉に逃げ込んだ兎の様だ。ここまでよく隠れおうせたものだな」


 やがて開いた、チャーチルの口の端から、実に楽しそうな声が漏れた。


「閣下、そう考えると、辻褄が合うことが大量にあります。」


「ああ、そうだな。観えていないものに注力するのは難しいことだ。……貴公のことだ。まだ、何かあるのだろう?」


 鋭い眼光が刺し貫く。それは、心地よさでもある。彼もそうであった。


「ベルリンに潜り込んだ最後の草が重要な情報を握っていました。

 いま、裏付け作業を行わせているところです。

 

 アーサー王ならば、ここは引かないでしょう。――おっと、今日は、アーサー王の話は遠慮するのでしたね」


 泉の魔法使いの言葉に、チャーチルは、葉巻を咥えた。

 食事の時間は終わりだ。


「ああ、思う存分に聞いてやろう。だが、その前に。その最後の草君に働いてもらおうではないか。

 だが、主役は一人で舞台に上がれるわけではない。それは、わかっているな」


「ええ、存じ上げています。そのための、MI6です。何なりとお申し付けください。」

 

 さあ、仕事の時間が始まる。

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