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春の嵐 - 3

彼に自分の事を教えて欲しいと言われた俺は戸惑った。俺には話せるようなことは特に何も無かった。

なのでとりあえず、当たり障りのない身の回りの事や、奏斗との思い出など、あまり刺激にならない程度を様子見しながら話した。

彼はそれを穏やかな表情で、嬉しそうに聞いていた。

奏斗と俺を語る上で避けては通れない問題がある。それはピアノの話だ。しても良いのだろうか。

だって今の彼には、ピアノが弾けないのだから。

字が読めるなら楽譜の読み方を覚えていることもあるのでは、とは思っていたが、彼と話をしていると分かってしまう。この人に奏斗のピアノは弾けない。

しかし、俺が話さなかったとて、いずれ知ることになるだろう。俺は思い切って話を切り出そうとした。


○「ねえ、秋もピアノが弾けるの?」


『も』…?俺は彼から出た唐突な言葉に上手く反応出来なかった。


○「僕ってピアノが弾けるんだよね?もし秋が弾けるんだったら楽譜の読み方教えて欲しいなって。」


●「なんでピアノが弾けるって?」


○「ああ、僕が目を覚ました時さ、''お母さん''がピアノは大丈夫なのかって。ピアノどころかお母さんすら分からなかったんだけどね。」


彼は苦笑しながら答えた。

ああ、やっぱり。おばさんは変わってないんだな。

奏斗がピアノにこだわるのは英才教育の賜物と言える。というか呪いに近いだろう。


●「もう何年も弾いてないけど、それなりに弾けると思うよ。もちろん君ほどではないけどね。」


○「じゃあ退院したら秋は僕の先生になってもらおう。」


悪戯っぽい口調が少しだけ奏斗のものに聞こえた。

いくら奏斗にピアノの才能があるからって、俺が教えた程度で元通りとはいかないだろう。


ということは、このまま記憶が戻らなければ、奏斗ほピアノから解放されるのか…?


一瞬そんなことが頭をよぎったような気がするが、本能的に深いところへしまい込んだ。


●「弾きたい曲、決めといてくれ。」


コンコン


「あれ、秋くん久しぶり。来てくれてたんだね。」


●「…!真琴さん、お久しぶりです。」


真琴「さっきお母さんから話きいてきた。お母さんだいぶ混乱してたけど、秋くんにまで変なこと言ってない?大丈夫?」


この人は相変わらず冷静な人だな、と思った。

俺''にまで''ということは、真琴さんにも奏斗のピアノについて何か話したのだろう。


●「大丈夫ですよ、俺は。」


真琴「そう、色々ありがとう。とりあえず私1週間位は入れる予定だから、秋くん明日も仕事あるよね?もう帰っても大丈夫だよ。でも退院までちょくちょく顔見せてくれるとありがたいかも。奏斗って秋くん大好きだから。」


●「もちろん、仕事終わりに寄るようにしますよ。俺も心配ですし。」


真琴「奏斗、私あんたの姉の真琴ね。秋くんにお礼言って。個人情報とか欲しいものとか、とりあえずここからはなんでも私に言ってくれればいいから。」


○「分かりました、ありがとう。秋、また来て欲しい。待ってるね。」


●「ああ、また来るよ。」


真琴さんが来れば安心だろう。俺は病室を出て家に帰った。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

帰宅しソファに腰掛ける。

疲れた…。嵐のような1日だった。

深く考える暇もなかったが、奏斗の記憶は戻るのだろうか。医者の口ぶりからしても、戻らないなんてことはないのだろうが、戻らなかったらどうなる?

彼だって奏斗だ。俺は彼に対して、昔の奏斗のようで懐かしいと感じた。それはつまり、俺の中で彼はちゃんと奏斗だということだ。ただ、憎まれ口を叩き人を殺す計画を企て、何よりも美しくピアノを奏でる、あの奏斗にはもう会えないのか?奏斗のピアノがもう聞けない?


自分でも訳が分からなくなっていた。正直、奏斗がピアノから解放されるのは悪いことじゃない気がした。でも、あんなに素晴らしいものが聞けなくなるのは良くない。嫌だとか悲しいとかじゃなくて、良くないのだ。あれはそういった次元のものだった。

それに、ピアノを弾いている奏斗を見るのが好きだった。あんなに美しい人間はいないとさえ思っていた。

奏斗がピアノを弾かなくなることについて、自分の中の他の感情、自分が遠い昔にしまい込んだ感情が混ざっている気がして気持ちが悪くなった。

もうこれについて正常に思考することはできない。

そもそも、俺がいくら考えてもこれから起こることに干渉することは出来ないのだから。

やめよう。俺は起きたことに対応すればそれでいい。

今日はもう寝てしまおう。

忙しない1日が幸いし、この日は泥のように眠れた。

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