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誘われる人、誘う人  作者: 下心 薫
すれ違いの恋
9/12

すれ違いの恋 SIDEーA

「おはようございます」

 東京発新大阪行き、のぞみ213号。

 彼女は窓際の席に座っている。

 三人掛けの指定席、僕が座るのはいつも通路側だ。

 彼女と僕の間にある席は、二人の荷物置き場になっている。

 手を伸ばせば届くけど、肩が触れあうほど近くはない。この距離がどうにももどかしい。


 彼女は同じ職場、同じプロジェクトを担当している先輩で、彼女がプロジェクトリーダー、僕はメンバー、歳の差は十歳になる。

 彼女は仕事が抜群に出来る人で、お洒落で格好良く、上司としても、社会人としても、人としても尊敬できる憧れの人。それに同じ職場の誰よりも美しい……

 僕は彼女の下で多くの事を学んでいる。

 だけど、それだけじゃない。

 僕は彼女に恋をしているのだ……


「おはよう、今日はよろしくね」

 入社二年目の僕にとって、客先への出張は常に緊張を伴うものだが、彼女の微笑みは、心にぽっと火を灯してくれる。


「宜しくお願いします」

「なんだか、楽しそうね。良い事でもあった?」

 彼女と一緒に出張へ行けるのは、僕にとって至福の時間、そんな思いが顔に現れてしまうらしい。


 彼女は品川駅から新幹線に乗り、僕は新横浜で合流する。新大阪までの数時間、僕は彼女と二人きりの時間を過ごす。と言っても勉強熱心な彼女は本を読んだり、英会話の聞き流しをしていたりで、殆ど会話なんて無い。

 横にいる彼女の仕草を気にしていると、時間と車窓の景色は流れていく。二人の間に漂う沈黙は気にならない。


 彼女は、右手の人差し指と中指の間に栞を挟んで本を読む。ヘッドホンをしている時はコードを指に巻き付ける。考え事をしている時に中指を上下に動かしたり、名案が浮かんだ時に親指で鼻を触ったり…… 僕にしか気づいていない癖がたくさんある。

 それくらい、僕は彼女の仕草を観察しているのだ。


 名古屋駅を過ぎたら缶コーヒーを2本買う。1本はブラックで、もう1本は砂糖とクリームがたっぷり入った甘いやつ。ブラックが僕で、甘い方が彼女。

 何も言わずにプルタブを引き、ドリンクホルダーに置いておくと、彼女は何も言わずにそれを飲み、飲み終わった後にひと言呟く


「タキ、コーヒー買ってきたの?」

「はい、そろそろ欲しくなる頃かなと思って……」

「そんなところばっかり、気が効くようになっちゃって…… もう少し別の事に頭を使ったら……」


 僕の名前は相澤玉樹(あいざわたまき)、先輩が言うには僕は()()()らしい。それで、()()()、の、()、が抜けてタキと呼ばれている。


 僕が彼女にとって出来の悪い後輩である事、それに彼女に(いじ)られている事、それは承知しているが、それでも、あだ名で読んで貰えるのは嬉しい。

 だって彼女から、あだ名で、呼び捨てにされている後輩は、僕だけだから……


 彼女には交際中の彼氏が居る。結婚間近だと言う噂も耳にしている。

 だから僕の恋はきっと実らない。

 それでも好きになってしまったものは仕方がない。彼女の恋愛対象になる事も、僕の気持ちを打ち明ける事も出来ない、切ない恋だが、好きでいられると言うだけで、今は心が満たされている。


 今日は大阪の客先でのプレゼンテーションが予定されている。

 僕が作った資料を使って、初めて僕が担当するプレゼンテーション。だけど、実際のところ半分以上は彼女の手直しが入っているので、僕が作ったとは言えない。

 彼女は仕事に厳しいから、僕はいつも叱られてばかり。

 その厳しさに耐えきれなくなって、辞めてしまった部下も少なくないと聞く。

 僕も正直なところ辛い、彼女に認めて貰えるよう頑張っているつもりなのだが、期待に応えられない自分が不甲斐ない。

 ようやく巡ってきたチャンス、何とか期待に応えたい、僕はそう思っていたのだが……


 プレゼンテーションは失敗に終わった……

 あんなに期待して貰って、たくさん指導して貰って、僕の為に沢山の時間を割いてくれたのに、駄目だった。

 僕の心には、失望が波になって押し寄せる。

「先輩、すみませんでした……」

 いつもはおどけた態度を取るのだが、さすがに今日はそれしか言葉が出てこなかった。


 客先を出たのは、午後五時を少し過ぎたところだった。

 帰りの新幹線を手配しようと思ってスマートフォンを操作し始めた時、彼女がそれを取り上げた。


「今日は帰らないよ、泊まるからホテルを手配して……」

 そう言って、彼女は僕から取り上げたスマートフォンを付き返して来た。

 その日は、大阪に泊まることになった。


 落ち込んでいる僕を、彼女は食事に誘ってくれた。

 だけど慰めの言葉なんかは、掛けてくれなかった。そういう事を言う人じゃない事は分かっている。

 だから叱って欲しかった。

「もっと頑張れ、才能がないんだから人の十倍働け……」、そう言って欲しかった。

 だけど彼女は沈んだ顔で、黙々と食事をして、黙々とお酒を飲んだ。

 いつもは気にならない沈黙が、気になって仕方なかった。

 きっと僕の出来なさ加減に呆れ果てて、とうとう叱る事もバカらしくなちゃったんだ。


 彼女は、いつも以上にハイペースでお酒を飲んでいた。少し荒れ気味だった。

 やっぱり僕のせい…… もうこれ以上、彼女を苦しめる訳にはいかない。

 僕は覚悟を決めた。


 二軒目、三軒目と、はしごをした彼女は、四軒目のバーでついに酔いつぶれた。

 僕は彼女を抱えてホテルに戻り、ベッドに寝かせた。

 ベッドに横たわっている彼女の顔が、疲れきっているように見えた。

 僕の目に涙が浮かぶ。出張から帰ったら、僕は会社を辞めよう……

 こうして一緒に出張するのも、これが最後だ。

 そう思ったら涙が溢れ出してきた。


「すみませんでした……」

 小さな声で呟き、部屋を出ようとした。

 すると、部屋の中から声が聞こえた。


「タキ……、キスして……」

 僕にはそう聞えた。


 ベッドに近づき、上から見下ろすと彼女は目を瞑ったまま、静かな寝息を立てている。

 少し、顔を近づけてみたが、微動だにしない。

 僕の聞き間違え立ったのか……


 じっと彼女の顔を見つめていたら、ピンク色の唇が妙に艶かしく思えた。

 もう少し顔を近づける。

 それでも彼女は動かない。


 ゆっくりとさらに近づく……


 僕の中の何かが弾け、微かに唇を重ねた。

 僕の心臓は飛び出してしまいそうなほどドキドキし、それと同時に途轍もない罪悪感が押し寄せてきた。


 僕は慌てて部屋を出た。

 廊下に出て、扉の前に立ち、「ごめんなさい」、と謝った。

 自分の部屋に戻ると、止め処も無い涙が流れ落ちた。

 どういう涙なのかは分からないが、いつまで経っても涙が止まらなかった。


 翌朝、僕はメモを残してホテルを出た。

 「先に帰ります、色々とすみませんでした」

 僕の片想いは、終わった。

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