手紙と事件と婚約者
ナナシから一通目の手紙が届いた。
「お嬢様〜、まぁたあのジャック様から手紙が届いてますよ」
リカはいやぁな顔をして、手紙を摘んで持ってきた。リカはあまりあの人のことが好きではないの。同じ子爵位のくせにお姉さまの婚約者であることを笠に着て散々威張っていたから、当然かもしれないけど。
「そう。そこに置いといて。後で読むから」
「あれ、珍しいですね。いつもは読まずに捨てるじゃないですか。だから私ももう持ってこなくていいかな〜って思ってたんですけど」
「ええ。ちょっと気が変わったの。せっかくもらうんだもの」
「そうですか……」
ーーーーーーーーーーー
てがみを だす おれは げんき です がっこうの ちかく の ぱんやに はたらいています
そこを すんでいます
ありがとうございます
ーーーーーーーーーーーーー
ナナシ〜! なんなの、この、何も伝わってこない文章は!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それは重畳ですね。その調子で推進してください。パン屋に就職できたのは喜ぶべきことですね。しかし、本題の方は忘れていないでしょうね。
それと学園にもぐりこむと同時に、王都でのコネクションも作っておいてください。貴族子息の情報も集めてください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
返答の手紙にサファイヤを一粒入れ、配送にだす。
お前は呑気でいて羨ましいわ、全く。こっちは色々あって大変だったというのに。
私は痛む頭を押さえて、目の前でふりふりと動く尻尾を見つめた。
「……ねえ、エル。私のお部屋に入らないでと何回言ったらわかるの? あなたの毛が抜けて落ちるのよ」
「……ついまちぇん」
メイド服を着たエルは、ぶすくれた顔を隠そうともせず、尻尾でばしばし床を叩きながら出て行く。私は涙目になって、
「リカ……ねえ、リカ。あの子が歩いたところを掃除しといてもらえる……?」
「ええ、もちろんです! 全く、いったい旦那様は何をお考えなのでしょうか? あんな獣人を雇うなんて!」
まあ、お父様は私にお願いされたから仕方なく雇い入れたのだけど……私は思わず遠い目になってしまった。宥め、すかし、媚び、なんとかエルをお姉さまの侍女につけてはや一ヶ月。
ーーーーあのエルという獣人、破壊的に無能だった。
使用人といっても、いくつか種類がある。主人の身辺を世話するメイド。キッチンでコックの指示を受けて働くメイドや、洗濯専門のメイド、外の掃き掃除をするメイド。あとは特に専用の仕事はなく、家の家事をこなすメイド。
うちはこれでも侯爵家だから、百に行かなくても五十、六十はいるわけなの。
別に一人減ったり増えたりしたところで困らないわ。だからエルも簡単にねじりこめたんだけど、あの子、ほんっとうに無能なのだわ!
まず、獣人を雇っているなんで恥ずかしくて、外には出せないわ。かといって、キッチンや洗濯なんかは特に衛生に気をつけたい場所でしょう? だから必然的に雑用に回されてのだけど、ええ、ここまではわかるわ。
獣人ってお仕事探すの大変なのね、同情するわ、なんて思ったもの。
でも、あの子が無能なのはここから!
まず、掃除ができない。掃き掃除をさせたらほうきを武器なのかっていうくらいに振り回す。拭き掃除をさせたら物を避けるっていう考えがないのか、ここ一ヶ月で割った花瓶は十個以上!
物を運ばせると、途中で絶対半分落としてくる。食べ物なんて運ばせた日にはそこらへんに食べ物のカス。
優しいお姉さまは「まだ慣れていないのよ」なんておっしゃっているけど! もう一ヶ月よ! いい加減自分の部屋くらいは覚えてはいかが!?
お姉さまを起こしに行かせるためにまずエルを起こさないといけないのよ? しかも猫の血が入っているせいか、寝起きは特に私を睨んでくるの!
もういや!
イライラが溜まっている私は、お姉さまに直談判するために図書室に向かった。
「お姉さま! もう、いい加減エルをクビにしてちょうだい!」
と、ドアを開けた私が目にしたのは、お姉さまの膝に座って気持ちよさそうに目を細めているエルの姿だった。エルは私を見るなり耳をピンと横に張った。
サウロはいつもの不愛想な顔ではたきをかけているが、この時ばかりは私を応援しているような目つきだった。
「ジャクリーン。エルはまだ十二歳よ。仕事ができなくても仕方ないわ」
「でも私だって十三歳よ」
「あなたはエルとは違うでしょう。侯爵家という環境に恵まれたあなたと、ずっとスラムで飢えてきたエルでは前提が違うわ」
「お姉さま! なんでわかってくれないの? だってエルってば、何回言ってもわたしの部屋に入ってくるんだもの!」
「そのくらいいいでしょ……ハァ……わかった。これからは私からも注意しておくから」
お姉さまはうんざりしたようにため息をついた。も〜! ため息をつきたいのはこっちよ!
どうやらお姉さまが考えを曲げないらしいと悟ったので、私は諦めて退散した。サウロはまた恒例の「こいつまじ使えねえな」という目で私を見る。
引き際、目についた本があったので、ついでに拝借する。
その夜『猫の気持ち』という本を読んだ私は、ますますエルのことが嫌いになるのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最近は、特に町中が騒がしい。騒がしいと言っても、いい方の騒がしさではなく、どうも悪い噂が回っているようだった。
「へえ、また売春婦が殺されたのかい」
「ああ、どうも最近多いねえ」
串焼き屋の夫婦は声をひそめた。
「ここだけの話、どうもやったのは貴族じゃないかって噂さ」
「貴族だって? それってまさか、ここの領主さんのハルバート家かい?」
「いや、そこまでは知らんが、だってあれだけ派手にやって新聞にもならないっておかしいって思わねえか?」
「確かにねえ。だから貴族が権力をチラつかせてんじゃないかって?」
「ああ」
「ああ嫌だ嫌だ。だから貴族って嫌なんだよ」
おかみさんは嫌悪いっぱいの表情を浮かべた。面白い話ね。
ここまでこっそり聞いていた私は、
「すいません、串焼きを一ついただけますか?」
「ああごめんね。一つでいいかい?」
「はい。銅貨二枚でよろしいですか?」
「ああ、ごめんよ。この間一枚値上げしたのさ」
銅貨三枚を支払うと、おかみさんは申し訳なさそうに、
「ごめんよ、嫌な話を聞いちまっただろ?」
「いえ、大丈夫ですよ。それにしても大変ですね。こんな物騒になってしまっては、夜も出歩けないのでは?」
「まあね、今の所ヤられてんのはみんな売春婦……おっと、子供の前でする話じゃないね」
「そんな、ぼくにとっても他人事ではありませんから。一体どんな事件なんですか?」
そういうと、おかみさんはじろじろと私の全身を眺め回した。
「あんた、この前よりも随分ぼろっちい服を着てるじゃないか。仕えてるお屋敷から追い出されちまったのかい?」
「ええ。そうなんですよ。この前ご主人様の花瓶を割ってしまって。だから今は下町の実家に戻ってます」
「あらまあ。あんたみたいな器量良しもクビになるんだねえ」
ええ、もちろん。花瓶を割ったりしたらクビになるもの。そう、普通はね! ええ! 花瓶たくさん割ってもクビにならないなんてありえないでしょ!?
「まあそういうことならいいかね……」
なんて言いながら、この話を誰かにしたかったのは明らかだ。おかみさんは勢い込んで話し出した。
事件の発端は、三週間前になる。花売りの少女の遺体が川から上がった。
しかし、故人が身寄りのない少女であることと、花売りと水商売だったことから事件にはならず、事故として処理された。
二件目は、その一週間後。今度は風俗街の売春婦が宿のなかで首を絞められた状態で発見された。こちらも下層の、道に立つ客引き売春婦だったので問題視されることはなかったが、明らかに殺人であることから多少捜査の手が入った。とはいえ、杜撰な捜査では何の成果も上がらず、捜査から手を引いた。
そしてそのたった数日後、また同じような事件が起こった。しかも派手に、道の真ん中で殺されていた。にわかに捜査線の警戒が跳ね上がったが、おそらく自分らの管轄する域でこのような事件が起きたことにプライドが刺激されたのだろう……というのが民間人、もといおかみさんの見解だった。
「で、今回で四人目だよ。ったく、早く捕まえてくれりゃあね」
「それは恐ろしい事件ですね! 一体どんな恐ろしい人が犯人なんでしょうか」
「そうさね。こんだけ派手に殺ってたら、誰か目撃者でも出そうなもんだけどねえ」
「すごく慎重な犯人なんでしょうか」
「さあねぇ。まあ今んとこあたしらには被害が及ばなそうだからこんな呑気でいるけどねえ。風俗街の方はもう大変さ。歩いてもひとりっ子いやしないよ」
「え、あちらの方に行ってみたんですか?」
「あたしじゃないよ。こいつがねえ!」
おかみさんは修羅のような顔になって、隣で聞き耳を立てていた旦那さんの耳を思い切り引っ張った。
「いてててて! 勘弁してくれよ! もう悪いって言ったろ!?」
「いい加減にしな! こんなご時世で歩くもんじゃないよ!」
元気な夫婦ね。仲が良さそうで羨ましいわ。
「ありがとうございます。色々お話ししてくれて」
「いいんだよ! あんたも気をつけな。綺麗な顔してるからねえ」
おかみさんが「病気のおっかあと仲良くねえ!」とお土産にくれた二本目の串焼きを食べながら道を歩いていく。どうでもいいけど私にいつから病気の母親なんてできたのかしら。お母様なら今日の朝も元気に「このデザートまずい!」と言ってお皿をジョンにぶちまけていたわ。
どうしましょう。この事件、別に私には関係ないのだけど……どうも気になるのよね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
家に帰ると、ちょうど伯爵家の迎えの馬車が来ているようだった。
その馬車に今にも乗り込もうとしていた人物は私の姿を目にし、美しい微笑みを浮かべた。
「おや。これはこれはジャクリーン嬢。今日お会いできるのを楽しみにしていたのにいないと聞かされて、大層がっかりしていたというのに、何という僥倖か」
「まあ、相変わらずお口が上手なのね。カエリ様」
私は口元を隠し、たおやかに礼をした。
「ところで、どちらに行かれていたのですか?」
「ええ、お友達のお家にお邪魔していたの。カエリ様はお姉さまとお茶でしょう?」
「ええ、今日もエリス嬢は美しい」
「まあ! ありがとうございます。お姉さまはきっと照れていたでしょう?」
「ええ、なかなか信じてくれなくて困りましたよ」
「もっと言ってやってちょうだい。お姉さまと来たら、自分に自信がないにもほどがありますわ」
「全くですね」
その男は穏やかに微笑んで、私の手を取った。
「もっとお話ししていたいのですが、残念なことにそろそろ帰らねばなりません。またお会いしましょう」
と、そっと私の手の甲にキスを落とし、馬車に乗り込んだ。私は久しぶりに晴れやかな気持ちで手を振った。
あの男はカエリ・高句麗。南部からの移民が移り住んだ子孫であり、この国の伯爵位をいただいている若き伯爵だ。
そして、お姉さまの婚約者候補でもある。
お話があったのはそう、一ヶ月前かしら? あの駄メイドのエルが入って間もなくね。
私も知った当時は「伯爵だなんて! お姉さまの何倍も年を食っているおじさまなんてダメよ!」と思っていたの。
でも、いざ会ってみたカエリ様はとても素敵な方だった。南部の血が入っているから綺麗な黒髪を短く切りそろえて(お姉さまと同じ色のせいか、どうも私は黒髪に弱い気がするわ)、いつも赤と白を基調とした旗袍(お国の民族衣装なんですって!)を召してして、赤い細長い耳飾りをしていらっしゃるの。
話し方も穏やかだし、何よりお姉さまを綺麗だと言ってくれるの! 今まで誰も理解してくれなかったお姉さまの良さをわかってくれるのが、何よりも嬉しい。
今も腹が立つ! あのジャック! お姉さまを陰気で面白みのない女だと嘲笑して! 殺してやろうかと……ああダメダメ。
ジャックは小太りで肌も汚いくせにあんなに性格が悪いなんて、これから先結婚できるのかしら?
カエリ様は性格もよくって、お顔も綺麗で、しかも伯爵だし。お年も二十五で、お姉さまと十歳差だけど……このくらいは許容範囲よね?
肝心のどうしてお姉さまを見初めたかだけど……それに関しては微笑んで答えてくれないの。きっと素敵な出会いだったのだわ。
「お姉さま! 今日のお茶会はどうだったの?」
「え、ああ……楽しかったわ」
なにやらぼうっとしていらしたお姉さまは我に返ると、恥じ入るように顔を赤らめた。
「なにをお考えだったの?」
「あ……いいえ、何でもないわ」
「変なお姉さま。わかったわ、カエリ様のことでしょう!」
「え? まあ、そうと言えなくもないというか……」
「本当に!?」
私は口に手を当てて叫び出さないよう気をつけなければならなかった。サウロは口をぱかっと開けて、いかにも間抜けな顔になった。
「ええ、また三日後くる時、故郷から伝わる本を持ってきてくれるんですって。きっと素晴らしい本よ」
「はぁ?」
お姉さまはまるで夢見る乙女のようなうっとりした表情になったが、私は思わず低い声を出してしまった。
「なにを言っているの? お姉さま……ホンッットウにおばか! 素敵な人だとか、かっこいいとか、そういう感情はないの?」
「もちろん素敵な方だとは思ってるわ。でもそんな何回か会っただけで恋なんてできないでしょう」
私はドがつくほどの大きなため息をついてしまった。知ってたわ。お姉さまは私のようにちょろい女ではないもの。
でも、それもいいかもしれない。まだ好きにならなくてもいい。
私はカエリ様のことを素晴らしい方だと思っているし、お姉さまと結婚してくださったら最高だと思っている(もちろん理想は公爵位だけど……贅沢は言えないでしょ?)。
そうしたら先日の準備なんかは無駄になってしまうけど、ナナシも職を手にできたらそれで幸せでしょうし……でも、一点。一点だけ、少しだけ! 疑わしいのよ。
あの方が来る間隔にとても似ているのーーーー売春婦殺しの間隔が。
歪菜様、いつも感想ありがとうございます!
おそらく早く学園編やれよと思われている方も多いでしょうが、しばし前戯にお付き合いください。