後編
好意を増幅させる呪い。
それがメラニー様の不思議な力の正体だった。
ただ、この呪いは平民の間では珍しいものではないようだった。そもそも願掛け程度のもので、実際には相手の気持ちをどうこう出来るものではなかったようなのだが、彼女はほんの少し魔力をお持ちだそうで、呪いが発動してしまった、と言う事だった。
魅了かどうかは調べたけれど分からなかった。その呪いと言うのが、相手の中の好意を倍増させると言うもの。魔法ではない。
メラニー様は大変可愛らしいご容姿の持ち主。そんな令嬢に多少なりとも好感を抱くのは普通の事。その気持ちが倍増される。関心も同様に倍増されるとの事。
彼女の呪いは、彼女が心の中で呪いの言葉を唱えてから相手に触れる事で発動するらしく、好感を抱いた全ての人に適用されなかったのは、そう言った原理だったから。
元々持ち得ていたものを膨らませるもので、相手の心を別の方向に捻じ曲げるようなものではない為に発見出来なかった。
それでは何故、リュドヴィック様はそうならなかったのか、と言う話になる。
メラニー様は色んな方で実験をして、本命であるリュドヴィック様に臨んだ。臨んだのだが、全く効果が表れなかった。
焦った彼女はリュドヴィック様に再度呪いをかけたけれども一切効果が表れず、そうかと思えば婚約者の私に愛を囁き始めたと言う。
呪いを失敗したかと調べ直してみたものの、何一つ間違えておらず、他の生徒に試せば成功する。
この状況に苛立ちを募らせた彼女は遂に爆発して、あの発言だったらしい。
昼休み、リュドヴィック様と一緒に食べる事もなくなったので、以前と同じように友人と共にする。
「あれから何の音沙汰もないと言うのは本当なの?」
友人の問いに答える。
「本当よ」
呪いは時間を置けば効果が薄れるらしい。
無事に呪いが解けた令息達は復学している。リュドヴィック様も解けて登校しているらしいのだけれど、姿を見ない。
さすがに婚約者として声をかけた方が良いと思うので、姿を探していたのだけれど、会えないままだ。
リュドヴィック様の級友の方達の反応からして、どうやら私は避けられているらしい事を知った。
「母から侯爵夫人に言って、この婚約を白紙にさせていただこうと思っているの」
私の発言に友人は驚く。
「どうして?! 二人とも被害者なのだもの、そのまま婚約を続ければ良いのではなくて?」
被害者、と言う言葉に胸がちくりと痛む。
そう、被害なのだ、あれは。リュドヴィック様にとって。
僅かな好意を倍増させる呪いがおかしな方向に向かった結果、愛してもいない婚約者に愛を囁いてしまったのだ。
会いたくないのだろう。
「好意の欠けらも抱いていない相手にあれだけ愛を囁いたのよ? あちらからすれば、私が勘違いしていると思っているからこそ、避けられているのでしょう」
「勘違いって……」
そんな事はないと言いたいのだろう。けれど、彼女は私の側にいる事が多かった。
だから知っている。リュドヴィック様と私の間の空気を。
「けれど、婚約者同士なのよ? ルイーズがリュドヴィック様からの愛を求める事は何一つおかしな事ではないわ」
友人の言う通りなのは分かっているのだけれど、私は元々この婚約は身に過ぎたるものだと思っていた。
リュドヴィック様に憧れる令嬢から受けた嫌がらせも一度や二度ではない。私のような地味な者が母親同士が友人であったと言う事でリュドヴィック様の婚約者に収まっているのだ。身分だとかそう言った逆らえないものがあるならまだしも。
だから甘んじて嫌がらせを受けていたけれど、長く続いた事はない。大抵、令嬢達は私に近付かなくなるのだ。
そこにどういった力が働いているのかは分からないけれど、嫌がらせをされて嬉しい訳でもないので、その見えない力に感謝はしていた。
「……後悔、しない?」
「あの方の隣は私には分不相応だわ」
本当の事を言えば、私はあの数ヶ月間を忘れられないでいる。
最初は戸惑ったけれど、直ぐに慣れたのは、嬉しかったからだと気付いた。
自身が思っていた以上に、婚約者である彼を好ましく思っていた。
とてもとても幸せな、泡沫の夢だった。
婚約者としてあのまま過ごしていたら得られなかっただろう幸せを得られた。
何も知らない、何もなかった振りをしてこのまま婚約者を続ければ良いとは思う。
けれど、私にも乙女らしい心があって、あの甘い時をなかった事に出来なかった。きっと見苦しく縋りそうな気がするのだ。態度に表さなくとも、心の中はきっと酷く濁ったままになるだろう。
同じ顔で、同じ声で、素気無くされる事を受け入れられない。
呪いで心を奪われた婚約者に、冷たくされた方達と同じ気持ちを味わう事になるとは思わなかった。
愚かな選択なのは分かっているけれど、私はこれ以上失われる事を望まなかった。
本当に、愚かだと自分でも分かってる。
タウンハウスに戻るなり、母に時間を取ってもらった。
リュドヴィック様との婚約を解消したい事を伝えると、困ったように眉間に皺を寄せると、頰に手を当てる。
「私達は構わないけれど、あちらが頷いて下さるかしらね」
「むしろ喜んで解消なさると思います、リュドヴィック様が」
そうかしら、と答えて母はため息を吐く。
「あの熱烈な行動は呪いの結果なのです。リュドヴィック様のご本心ではありません」
「リュドヴィック様のお気持ちは分からないけれど、夫人はこの婚約に並々ならぬ執着をなさっておいでなのよ」
友人である夫人を捕まえて、並々ならぬ執着とは、あまりよろしくないとは思うけれど、何度もお会いしている私から見ても、夫人はこの婚約を一番喜んでいた。
「けれどリュドヴィック様ご本人が貴女を避けているのだもの、話し合いは必要ね」
そう言って苦笑いを浮かべる母。
「よろしくお伝え下さいませ」
いつものように登校した私は、朝の挨拶を終え、自席に腰掛ける。
廊下を走る音が近付いて来る。この学園に通うのは貴族の子女ばかり。このように走る人などいない筈なのに。
周囲も同じように思ったのだろう。
多くの生徒の視線が教室の外に向けられる。
勢いよく扉が開き、入って来たのはリュドヴィック様だった。
私を見るなり、駆け寄って来て肩を掴まれる。
「ルイーズ!」
「は、はい」
何故リュドヴィック様は走ってここに?!
「私を捨てないでくれ!」
……捨てる?
「私との婚約解消を望んでいると母から聞いた」
事実なので頷く。
リュドヴィック様が悲壮な顔をする。
「やはり、呪いがかかっていた時の事が許せないのか?」
「許せない? いいえ、そうではなく」
「これまで何とか抑え込んでいたのに!」
抑え込んだ……?
「ルイーズに私の色と同じドレスや装飾品を贈りたかったのを我慢して、流行りの物を贈ったり、絵姿が欲しかったのを我慢していたのに、それもこれも婚姻を結ぶまでと……!」
唖然呆然とは正にこの事で、目の前で今にも泣きそうな顔をするリュドヴィック様を見つめるしか出来ない。
視界の片隅に見える級友達も戸惑った顔をしている。
「ブランショネ嬢さえ現れなければ……!」
両手で顔を覆って俯くリュドヴィック様を見つめているうちに、頭が徐々に冷静になってきた。
……つまり。
あの呪いは発動していたのだ。正しく。
誤算はリュドヴィック様の中にメラニー様への思いが全くなかったので増幅はされず、リュドヴィック様の中に私への想いが僅か所かそれなりにあり、そちらが倍増された。
結果として、私が言うのも何だけれど、理性でもって抑えていた私への想いが抑えきれなくなり、これまで我慢して来た事を実行に移した、と言う事なのだろう。
「質問をよろしいですか?」
声をかけると、顔を覆っていた両手を下ろす。
かなり恥ずかしい事を口にされたと思うのだけれど、悲壮な表情のままだ。
とりあえず立ったままなのもどうかと思ったので、近くの席への着席を勧めると、リュドヴィック様は大人しく腰掛けた。
「呪いが解けた後、何故私を避けてらしたのですか?」
先程おっしゃっていたので、改めて訊く事でもないかも知れないけれど、この際、色々とはっきりさせたい。
「一方的な私の態度に、ルイーズに嫌われたのではと思うと怖くて……」
「呪いにかかっていた間、私、嫌がったりなどしませんでしたよ?」
「それはそうだが、呆れてもいただろう?」
「否定はしません」
呆れたと言うか、どう反応して良いか分からなかった、と言うのが正しいけれど。
「それに……」
「それに?」
「我慢が、出来なくて……」
「何をですか?」
リュドヴィック様の顔が赤く染まる。
「貴女に、自分の気持ちを伝えたいと思ってしまって」
「伝えて下されば良いのでは?」
婚約者なのだから、元々我慢する必要が分からない。
「……貴女の好みの異性は、寡黙で、冷静沈着な人物だろう」
「えぇ、そうですね。物語の中では」
物語だからこそ好ましい性格と言うのはあると思う。
嗜好、と言えば良いのか。
「……それはつまり、伝えても良かったと?」
「なんら問題ありません」
がくりと表現するのがぴったりな程に、リュドヴィック様が項垂れる。
「そんな……それでは私は今まで……」
「もう一つ」
顔を上げたリュドヴィック様は、涙こそ溢していないけれど、これはもはや泣き顔と言って差し支えない。
「婚約の事ですが」
「婚約は解消したくない!」
勢いよく立ち上がったリュドヴィック様に再び肩を掴まれる。
「勘違いばかりで貴女に不快な思いばかりさせていた事はよく分かった。
お願いだ、償いの機会を与えてくれないか、ルイーズ。
君を愛してるんだ」
「リュドヴィック様が私を厭うてらっしゃらないのであれば、私には婚約を解消する理由はございません」
「ありがとう! ルイーズ!」
勢いよく抱き締められ、教室がわっと沸いた。
恥ずかしいものの、リュドヴィック様に誤解を与えたのはどうやら私のようだし。
私自身とてもほっとしている。
眩しい、分不相応だと思いながらも、この方の隣にいたいと思っていたのだから。
メラニー様への処分が決定した。
心の中で決まった台詞を唱えて異性に触れるだけで呪いが発動してしまう為、同性しかいない修道院に入る事が決まった。
流石に王子や高位貴族の令息に呪いをかけてしまったのが問題視された。平民同士であったならまだ、何とかなったのかも知れないけれど。
「ルゥ、次の休みに行きたい場所はないのかい? 何処へでも好きな所に連れて行ってあげるよ」
我慢をしなくてよくなったリュドヴィック様こと、リュドは遠慮なく私に愛の言葉を囁く。
友人は羨ましいを通り越して胸が焼けそうと言っていた。
「ルゥ?」
「何でもありません。
では、近頃人気の歌劇などいかがですか?」
「勿論。直ぐに手配をさせるよ」
あの呪いは増幅させる、と言うものだったけれど、呪いが効いていた時よりも今のリュドの方が甘い気がしてならない。
あれは本当に、増幅する呪いだったのかしら──?