47話 狐の小窓(後編)
先程、写真と一緒に送ったグループメッセージについた既読に、目森も、ため息をつきながら空を見上げる。
これだけ青空が広がっているのに、雨粒が音を立てているとは、撮影でも行われているのではないかと、勘違いするような光景だ。
「狐の嫁入りだっけぇ……? 狐……ふふ、狐……」
数時間前の肉球の感触を思い出しては、思い出し笑いを溢してしまうが、ふと思い出したそれ。
雨に濡れながら、携帯で検索をすれば、すぐに出てくる画像と呪文。
「あったあった。えーっと……いたたたた……指つるって……」
なんとも指の構造が分かりにくいが、どうにか手を絡めながらも、画像通りの形を作る。
「けしやうのものか ましやうのものか 正体をあらはせ」
同じ文言を三度。
唱えて、指と指の間の隙間から、向こう側を覗き込む。
”狐の窓”と呼ばれる、オカルト界隈では、広く知られた妖怪を見るための呪文。
「って、まぁ、こんなことしなくても、白亜さんたちは見えてたわけだけど……」
つい数ヶ月前まで、妖怪など信じていなかった自分が言うのも不思議な話だが、これで妖怪や幽霊が見えたら、今の時代もっと話題になるだろう。
それこそ、ネットには、目森の比ではないくらいの好奇心と、承認欲求に塗れた人は多い。
周囲を見渡しても、案の定、光景が変わることもなく、目森もわかっていたとばかりに手から顔を離した。
「――ん?」
その瞬間だ。
指の隙間から見えた何かの影に、目森も不思議そうにもう一度視線を落とす。
指の隙間の下の方。
違和感があった。
なんだろうかと、手を下に向けた時だ。
窓の向こうに、複眼のような大量の視線と目が合った。
「ひっ――」
悲鳴を上げて、手を離そうにも、指の小さな隙間から伸びてきた異形の指は、目森の手を固定するように掴む。
「ミタナ? ミタナァ? ニンゲン」
目玉がこちらに来ようと、無理矢理、指の隙間に目を押し付けてきては、異形の指に掴まれたままの手に痛みが走る。
必死に背を反らしても、自分の手から姿を現そうとしている怪異は、より近づいてきて、その異形の細すぎる指が、目森の目に伸びてくる。
その時――
「ギギャッ――」
怪異の悲鳴らしい声と水音と共に、カランと軽やかな下駄の音が響いた。
太陽を映したような煌めく黄金色の髪。
風に揺れる稲穂のような美しい尻尾。
赤く開かれた和傘に隠れているのは、ピンと張った耳。
「――――」
息をすることすら忘れてしまうような、美しさだった。
「元気のええ童さんだこと。相合傘に、憧れてはったん?」
コロコロと鈴の音を転がすような笑い声と共に、彼女は小さく首を傾げた。
「そら、悪いことしたわ。ごめんなぁ」
柔らかな言葉と共に、彼女の向こう側から気味の悪い音が響いた気がしたが、尻餅をついていた目森が知ることはなかった。
ただ、こちらを振り返った彼女が、後ろ姿からの想像と違わぬ美貌と微笑みを携えていたもので、喉の奥が震え、悲鳴のような声が漏れてしまった。
「あらやだ……そないに怖かった? ごめんなぁ。怖がらせる気はちぃ~っとも無かったんやで?」
彼女は、その美しい微笑みを携えたまま、目森の前に屈んでは、その細い指を目森の頬に滑らせる。
「あ、わわ……わわわ……」
人の指とは思えないような、滑らかな絹のような食感。
「あらあら、ふふふ……赤くなって、か~ぁわい……ええもんやろ? 現実の私も」
最早、まともな言語を口にしていない目森に、彼女はなお、楽し気に微笑みを浮かべていた。
そして、その目森を見下ろす目が、少し細まった時だ。
聞こえてきた足音に、少しだけつまらなさそうに、耳を向けた。
「……手遅れやったか」
「それ、どないな意味やろ? 姉やんに教えてほしいなぁ」
白亜が露骨にため息をつけば、そこにいた彼女、来夢の目は、途端に冷たいものに変わる。
「そのままや。そのまま。ホンマ、大婆様やないんやから、手当たり次第に食うなや」
「姉やんに対して、そないなこと言って……|まだ収録終わっとらんのに、度胸あるやん《男の子やねぇ》」
それはもう、見る人を魅了する美しい微笑みだというのに、白亜は、まるでゲテモノでも食べたかのように舌を出しては、顔を逸らしていた。
「てか、大婆様と比べんといて。この子は別に食わへんし」
不満気に胸を張る来夢は、自分に見惚れている目森のカバンに、視線を送る。
そこには、大量のイラストの描かれた缶バッチ。
「かわいい女の子は、愛でてこそやん?」
するりと、目森を抱きしめ、頭を撫でる来夢に、目森も顔を赤くするばかり。
来夢も、目森の反応を楽しむように、尻尾を揺らしていたが、ふと耳をはためかせると、つまらなさそうに振り返った。
「あかんわぁ……残念やけど、呼ばれてしもうたから行くな? 白亜、ちゃんとこの子届けたら戻ってくるんやで?」
「誰が戻るか。アホ」
「それで困るのは、この子らやない?」
「……」
渋い表情で、耳を垂れさせる白亜に、来夢は小さく微笑むと、今度こそ何かに呼ばれるように姿を消した。
来夢が消えてから、目森はしばらく呆然としていたが、わなわなと震えながら、自分の両手に視線を下すと、すごい勢いで白亜に振り返った。
「すごいいい匂いした!! おふと――お日様みたいな匂い!!」
「ダニの死骸の匂い?」
「もっと香ばしい華やかな匂い……!! 語彙力がないのが悔やまれる……!!」
「ダニが太陽に焼かれた匂いな。とりあえず、瑞希たちには連絡したから、戻るで」
まだ興奮した様子の目森だが、白亜から差し出された手を取ると、まだ降り続く雨の中、瑞希たちの待つ店へと向かうのだった。




