ある歴史家によるエピローグ
昔々この国に、幼い王様と王妃様がいました。
玉座についた当時、王様は8歳、王妃も8歳。とても幼い国王夫妻の誕生でした。
けれど仕方がなかったのです。王様の両親である前国王夫妻が、不幸にも若くして亡くなってしまったのですから。
二人は一目あったその瞬間から惹かれ合い、幼いながらも支え合って、ともにこの国を良くしていこうと誓ったそうです。王妃は、両親を亡くした王様の心を誰より理解し、常に寄り添い慰めたといいます。
最初は少し頼りなく見えた二人ですが、できた家臣たちに支えられスクスクと成長しました。
二人が成人すると、それを待っていたかのようにこの国を数々の困難が襲いました。しかし王様と王妃は、挫けずに一つ一つ愛の力で乗り越えていきました。
一説によると、摂政が手を抜いた所為でそうなったとも言われていますが、それは無いだろうという見方が大半です。現存している摂政の手記の半分以上は、娘である王妃への執念の滲む記述で埋まっていますので。手記を読んだことのある研究者は、口を揃えて「無いわ」と言います。
ただ、摂政がその時期政務から手を引き始めたのは確かなようです。その頃から、摂政としてのサインの入った書類が激減していますから。
ともかく、それは王様たちにとって長く苦しい数年間でした。けれど重なる裏切りや侵略、自然災害に王様と王妃は果敢に立ち向かいました。
当時の官吏や貴族の手記から推測するに、王妃は裏工作を中心に奔走していたようです。相手を懐柔し、あるいは弱味を握り取り込むその手腕は見事なものだったとか。
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そんなこんなで王様と王妃は二人で力を合わせ、次々と襲い来る困難を無事に乗り越えたのでした。
その頃の官吏の日記に、王様が騎士団長と一騎打ちをしているのを見たという記録があるのですが詳細は不明です。「王妃を巡って争った」などと主張する研究者もいますが、それはいくら何でも馬鹿げています。騎士団長は王家に忠実で実直な人物として知られていますから。
大方、稽古風景を不慣れな官吏が誤解したのでしょう。
そして困難が過ぎ去った後、二人は跡継ぎを授かりました。とても元気な男の子でした。
その頃から、王妃と一緒にいる時の王様は「近づいたら余波で孕む」なんて噂されるくらい色気がダダ漏れるようになったそうです。……時代が変わるとジョークも変わりますね?
王様たちは、その子の他にも二人の子どもを授かりましたが、三人とも無事に成長しました。
大きくなると、一番目の子は王太子として政務を手伝うようになり、二番目の子は国外に留学してこの国にはなかった知識をもたらしました。三番目の子は少々引っ込み思案でしたが心の優しい子で、困っている人を助ける為に力を惜しみませんでした。その結果、孤児院や平民の為の教育施設の基礎が国中にできました。
年をとった王様はますます立派な王様となり、国は豊かに国民は幸せになりました。
そしてもちろん、王様と王妃は死ぬまで幸せにイチャイチャと暮らしました。
めでたし、めでたし!
※年数による情報の劣化、及び歴史家による脚色・改竄がされています。




